読書メモ:橘孝三郎『皇道文明優越論概説』


天皇論五部作第四段は『皇道文明優越論概説』である。「概説」と謳っていながらこれも千頁以上の大著である。天皇論五部作はこの巻から歴史を踏まえた哲学的議論に入っていく。
この巻から、橘孝三郎の問題意識を象徴する語と言ってよい「土とま心」が頻繁に登場する。その意味でも重要である。

さて、『皇道文明優越論概説』であるが、目次を見ると緒論があって支那王道文明、印度菩薩道文明、埃及オシリス文明、ギリシャ知性文明、ローマ共和文明、キリスト教文明、近世西洋科学文明、皇道文明優越論とある。
この目次を見ると世界の諸文明に対し皇道文明がいかに優れているかという戦前にありがちなお国自慢的叙述なのではないかと思ってしまう。だが実際中身を見ると全くそうではないことが分かる。なぜなら橘が上記諸文明で否定的に扱っているのは「近世西洋科学文明」のみだからだ。ここに橘の思想の真骨頂がある。「近世西洋科学文明」以外のすべての文明は「土とま心」を基調とした文明であり、だからこそ尊いというのである。

支那王道文明は祖先崇拝、宗廟祭祀を基準として起こり、堯舜禹、文王武王周公などによって創造された王道文明国家であると説く。始皇帝の独裁政治によってそれは破壊されてしまったが、劉邦によって再興されたという。

印度菩薩道文明は古仏教やヒンドゥー哲学と日本神話の比較を通じて両者の本質が同一であったと説く。

埃及オシリス文明はナイルの恵みから生まれたエジプト文明を、天地自然の大いなる恵みを母として生まれた「土とま心」の文明であると説く。
同様にギリシャ哲学、ローマ、キリスト教の中に偉大な文明を見だしていく。

「土とま心」とは、「土」は農業、ひいては土着のものを大切にすること、「ま心」とは大いなるものへの敬意、敬虔な心である。この心こそもっとも重要なものであるとしている。

翻って近世西洋科学文明は「神」の観念をへし折り、「金」と「物」にばかり関心が向くよう転換させてしまった。それは核戦争の危機となって人類に襲い掛かっている。それを克服できる兆候は見えないのであるが、しののめのあかりがないというわけではない。しかもそれはアジアにあるというのである。
それが皇道文明である。

皇道文明は支那王道文明や印度菩薩道文明などのよいところを吸収し文明を充実させてきた。すめらみこと信仰こそが世界を救済する思想であると説く。
無論日本史においても堕落がないわけではない。しかし大化改新や明治維新など再び輝きを取り戻して来た。現状では日本も近世西洋科学文明に汚染されているが、天皇のみは神代からの性質を失わず踏みとどまっている。日本人は天皇を中心として世界救済開発文明創造運動に取り組むべきだとしている。

橘は東京を「生地獄」と呼ぶなど経済開発に対しかなり辛辣である。「土とま心」はおそらく晩年になって使いだした用語であろうが、その問題関心は橘の生涯を貫いたものである。

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