天皇論五部作もこの『皇道哲学概論』で最終巻となる。だが、この『皇道哲学概論』には新しい議論はほぼなく、これまでの四巻の要約総括という位置づけと言ってよいだろう。
神楽歌に縁を持つ大嘗祭は皇道文明の本質であり、その真意義は「土とま心」である。
というように大嘗祭の意義は他の四巻でも触れられているが、本巻で補足されている。
橘孝三郎は「神武天皇は征服王ではない」としており、それはその通りであろうが、「神武肇国」と呼んでいるところはむずかむずかしいところである。わたしなど素人考えでは肇国はイザナギイザナミであって神武天皇は「建国」であるように思ってしまうが、橘は神武天皇の征服性を否定したことに因り神武「肇国」という表現になっているのだろうと思われる。
ベトナム戦争後の国際情勢などを踏まえて文明論を展開するのもまた興味深いところの一つである。
レーニンはマルクス主義に追うところはなく、農民と離れずにいた「土とま心主義」「ま心の人」ときわめて高く評価していることも興味深い。それに対してスターリンはマルクス主義に毒された独裁者であり、中共に対しても同様の評価である。スカルノ、ネール、ナセルらはマルクス主義に学ぶところがありワンマン独裁的なところがあるという評価も面白い。
シュペングラーの「西洋の没落」に大いに影響を受けているところ、ベルグソン哲学の強調、ムスビ思想の主張なども面白いところであるがこれは全四巻にも出てくる箇所である。
橘の皇道哲学の真骨頂はその結論にある。
神武肇国以来、瑞穂の国であるわが国はすべてを神と人に捧げる「創造的人格」を有し、それは人類文明史上崇高無比の理想国家であると説く。
そのうえで「すめらみこと文明」の希少価値は過去に存在していたというだけでなく、将来の文明を創造しうる価値にあると説く。
それを踏まえ「現実に、西洋文明は没落を開始した。世界人類文明史は新らたな精神的開発救済向上文明を迎へ入れななければならん。そのために、アジアの天地に於て、現実に、具体的に、日本皇道、支那王道、印度菩薩道三大道協力、新開発救済文明創造運動を、世界人類文明史は迎へ入れなければならんのである。蓋し、神の摂理にして、世界的至上命令そのものである。
されば、
「皇道日本の世界史的大使命」
と称す。之に標語して、
「土とま心」
と曰ふ。」
と述べている。
橘の文章は戦前も戦後もそうだが抽象的議論も多くわかりにくいところがある。
しかし文明史的に大転換が必要であり、その転換はアジアで培われた文明であることを説いている。そしてそれは決して西洋世界にとっても異質なものであるはずがなく、かつては西洋世界においても理想とされていた文明ではないのか、というのが、わたしなりに要約した天皇論五部作の橘の主張であり、その世界観、現状把握、理想は大いに学ぶべきものがあると言えると思う。