東京・愛宕にある青松寺を訪問いたしました。
ここは東京タワーの近く、愛宕グリーンヒルズなどのあるオフィス街にあるのですが、近代的な都市の中に突如として閑静な寺院が出てくるので不思議な気持ちになります。
ここにはいくつか史蹟があり、それを訪ねるのが目的です。
まずは「孤忠留魂之碑」。これは昭和二十年八月十五日に日本の降伏をよしとせず立ち上がった畑中少佐らを慰霊する碑です。
宮城事件については尊皇派においても異論のあるところだとは思いますが、連合国からの国体護持の確約が取れていない段階での降伏は陛下を危険にさらしかねず、断じて承服できないとの思いから立ち上がったものです。
蹶起した畑中少佐らは平泉澄博士の教えを受けたもので、強い尊皇心を持っていました。
ただ、当の平泉博士や同じく平泉博士の教えを受けていた阿南惟幾陸相は、心情は理解するものの、蹶起には強く反対しました。
西内雅氏や吉原政巳氏など当時野に居た平泉門下生もかかわるところがあり、戦後(自決を止められ生き残った)井田中佐らと手記を残しています。
同事件はクーデター計画はありましたが、成功する見込みのほとんどないもので、命を賭した問題提起と言った要素が強いのではないかと思います。その意味で五・一五事件や神兵隊事件に近いものがあると考えています。
もちろん彼らを鎮圧した側にも尊皇心があり、非常にギリギリの状況下における決断ではなかったかと考えています。
同碑は青松寺が管理している墓所の敷地内にあり、通常門徒以外立ち入り禁止の区域に存在します。寺に電話したところ「お参りであれば入ってよい」とのことであったのでお参りいたしました。写真はお参り後失礼したものです。本来八月十五日付近にお参りする予定だったのですが、下調べが足りずお参りできなかったので日を改めました。写真で分かる通りわたしが訪れたときはすでにお花が供えられており、誰かがお参りしたものと思われます。
同碑の隣には肉弾三勇士の像もありましたので併せてお参りいたしました。
なお、青松寺の敷地内には、インドネシア独立戦争に参加した市来龍夫、吉住留五郎に対して1956年にスカルノ大統領が送った記念碑があります(こちらは誰でも訪れることができます)。
「独立は一民族のものならず 全人類のものなり」という言葉が記されています。
大東亜戦争はそれまでの興亜論者の主張を横取りした面はあったものの、ともかくも「東亜開放」を戦争の大義としていました。その崇高な使命に共感した兵もおり、そうした人たちは日本の敗戦後もインドネシア独立戦争などに参加したのです。インドネシアを再植民地化しようとするオランダ軍との激戦で、インドネシアにおける大東亜戦争に匹敵するくらい激しいものでした。
「アジア解放」の大義が息づく一例と考えます。