スロー運動の真意


本日はわたし自身の備忘録、メモ的更新である。

だいぶ以前からの動きであるが、スローライフ、スローシティ、スローフードという動きがある。スローフードの運動は日本でもよく知られているが、せいぜいマクドナルドなどのファーストフードを食べない運動としか理解されていない。しかし実はスロー運動は深い内容を持っている。

スロー運動は俗に言って大量生産、大量消費から地産地消型の動きに転換していこうというものだ。こうしたスロー運動は土着の文化、つながりを基盤としており、例えば各地で伝統的に栽培されている作物の保護、復興や有機農業なども訴えたりしている。
ホルモン剤や抗生物質を大量投与して無理矢理育てられた畜産物や遺伝子組み換え作物など、大量生産大量消費社会の中で生み出されたものの中にはどう考えても自然の摂理を無視しているものが目立つ。そうしたものへのアンチテーゼもスロー運動の一環なのだ。

先鋭化した場合は、ジョゼ・ボヴェのように、マクドナルドの建物を破壊する人物も現れている。ボヴェは、WTO(世界貿易機関)を「健康と食料、労働などあらゆる人間の営みに侵食する『執行権』『立法権』『裁判権』を兼ね備えた『市場原理主義の超権力』である」と述べているが、まさに農作物を「知的財産権」をタテに私物化するグローバル種子企業の暗躍に対する憤りをも連想させるものである。

もちろん農作物などに限らず、仕事などにおいても人もいつでも入れ替え可能な方向に変えられようとしている。スロー運動は目先の農業問題等も主張するが、より根源的に「この世界すべてがカネで置き換え可能なものにされつつある」現状への抵抗、変革運動なのである。各地が培ってきた文化、歴史などを尊重することもそれにあたる。

「スロー運動の真意」への2件のフィードバック

  1.  私にはまだスロー運動も「手ぬるい」運動に見えますね。
    大量生産、大量消費の社会を否定し地産地消型に転換しようというなら、アメリカやカナダに居住するアーミッシュのように、現代技術の機器そのものを拒否して近代以前の自給自足的な生活様式に戻そうとまで行かないと不徹底でしょう。
    また大量生産・大量消費の社会を大転換するには、アーミッシュのように宗教的信念、信仰と生活様式が結びつく共同体を築かない限り、おそらく上手くいかないと思います。

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