官治・都市・成長の欺瞞と山河・民族・ふるさとの復興


わが国の歴史を紐解けば、社会的政策を「お上」が決定してきたことは否定しがたい。無論それはわが国に限らず世界的共通事項だと言えなくもないのだが、どうにも歴史の負の部分に「官治」の影が付きまとうことは否定しがたい。
明治時代、わが国はプロイセンをモデルとした官僚社会を作り上げた。それは植民地化の脅威の中で生き残りを図るための方策であった。中央集権体制の確立は、エリート官僚のもと「欧米に追い付け追い越せ」という国家目標に特化させるものであった。それを支えたのが帝国大学(東京大学)を中心とした大学組織である。敗戦を経て、現在に至るまでも大学の中央集権体質は変わっていない。いまでも高級官僚は旧帝大出身者で占められているのがその証である。
そうした社会の中で学生は東京を中心とした大都市圏に集められ、卒業後は官僚になろうが民間企業に行こうが大都市圏に就職し、地元に帰らなくなってしまうのである。もちろん職歴もない学生を育て上げるだけの体力のある会社はそう多くなく、それが大都市圏に集中しがちなのは自然の道理ではある。だが、こうした中央集権体質はふるさとの人材を枯渇させようとする圧力になり続けている。
わが国の産業社会は一次産業二次産業を軽んじ続けてきた。欧州などでは農家は国境警備隊の意味合いも持ち、大事にされてきたのだが、わが国では島国ということもありそうした意識は育たなかった。バブル崩壊以後若干弱くなったとはいえ、依然中央の官僚が偉いという意識は根強く残っている。
官僚や会社員だらけになってしまった現代の日本社会は、「暮らし」と「労働」が完全に分離してしまった。
われわれは家族の暮らしと、会社員としての労働に一日を完全に分断されてしまっていて、そこに相関関係のない二重人格の生き方を強いられている。こうした生活の中で両親への敬意が自然に育まれるだろうか。大都市圏に長距離通勤を強いられる中で、家庭は労働の疲れを癒す場所でしかなく、地元の人々と交流する必然性をもはや持ち合わせていない。これで地元への愛着や地域への帰属意識が育まれるだろうか。
会社員の登場は経済効率を格段に良いものとした。だが、それと引き換えに失ってしまった生活がある。ふるさとの荒廃の根本原因は、大学、官僚制、カイシャという中央集権体制が、人々をふるさとから引きはがし、一人の学生、一人の国民、一人の従業員(労働者)という地元のバックボーンのない「砂粒の個」に仕立て上げたためである。大学、官僚、カイシャは父、祖父、といった祖先から受け継ぐものが何もない。ただマニュアル化された「作業」だけが引き継がれていく。そこに祖先から続く「縦の流れ」はない。郷土もない。ただただ金銭貸借があるだけなのである。
「ふるさとに暮らす真の生活」への回帰を阻む考えの一つに、新自由主義がある。新自由主義の人間観は、「人々は自分の利益になるように動くもの」であり、バックボーンの違いや、道徳心による行動というものは、ほとんど念頭に置かれていない。その意味で新自由主義は官治国家と大変相性が良いのである。「民間にできることは民間に」「既得権益の打破」を訴える新自由主義はともすれば官僚社会と対立するものであるかのように見られがちである。だが「規制緩和」とは、どの産業を育成するためにどの規制を緩和するか政府が決定するということである。即ち政府権力の強化につながりかねないのである。
選挙を通じて地元民の声を中央に届けることこそ、各地方(選挙区)から国会議員が選ばれる大きな理由だったはずだが、いつの間にか本末が逆転し、党中央が決定した政策に賛同しなければ議員として公認されない風潮になってしまった。いまや議員は中央のやり方を地方に押し付ける先兵となってしまったのである。
アジア主義者竹内好が問題としたのは、「民族意識」であった。いわゆる左派的論客が「民族意識」が解体されることを封建制からの脱却であるかのように肯定的に捉えていたのに対し、竹内は民族意識を欠いたところに、文学も文化も革命もあり得ないと確信していた。外来思想にかぶれ、国籍のない抽象的な自由人をきどっても、それは政府や資本の奴隷にしかならないと論じたのである。竹内は60年安保に反対したが、それは非常にナショナリスティックな意識からであった。もちろん「民族」という概念自体は近代の産物である。だが、その民族観念の原初たる同朋感情、文化、歴史は前近代からもたらされたものである。
高度経済成長期、日本は人口増が見込まれていた。人口増に対応するため、郊外型の都市開発が乱発された。人口増加が下火になった現在、それは地方コミュニティの崩壊となって跳ね返ってきた。市場経済は基本的に自然の循環を断ち切って、物質的に「成長」することを目指している。むしろこうした自然循環は経済発展に邪魔なものであった。自民党保守派は無論、憲法九条真理教と化した戦後左派も、この問題に無自覚であった。戦後左派は左派と言いながら民族意識を軽んじ、怯懦を正当化する「平和主義」を基調としていたために、己の身さえ豊かであればよいというエゴイズムと親和的であった。そもそもが憲法九条なるものがアメリカの庇護下で経済成長に注力することの自己正当化でしかないのだから、自民党保守も九条左派もそれを本気で打倒する気がまるでないのは当然と言えよう。戦後体制の打破なくして地方の衰退の問題、資本主義の問題点は語れないのである。
われわれはいま、快適で便利な都市という箱の中で生かされているブロイラーと化している。それはちょっと郊外に行ったくらいでは何も変わらない。何処の土地にも所有権が定められており、お金なくして生活ができない限りそれは「都市」の範囲内である。だがそのブロイラーは本当にこれからも生かされるのだろうか。野村秋介は言う。
  「勿論、〈反共〉は我々にとっても極めて大切な課題である。しかし更に大切なことは、敗戦によって壊滅された〈祖国日本〉そのものの復興なのである。(中略)経済大国営利至上主義にうつつを抜かし続けた日本は、いまもって、敗戦で喪失した〈民族的魂〉の回復はなされていないのだ。〈反共〉に目がくらんで、 〈日本〉そのものの復興をおろそかにしてはいなかっ たか、という慚愧の思いがなくてはおかしいというのである。/さらに営利至上主義は、日本的文化、ことに神道の母体である日本の〈山河〉を無定見に破壊した。日本人が、神州清潔の民とか東洋の君子国とか呼ばれる、特異な民族性をつちかい得たのは、一に山紫水明なる日本の〈山河〉あったればこそである。(中略) かかる状況を可能として来た大企業における決定的な罪過は、戦後三十余年間、『民族』を単に『マーケット』 として見下して来たことだ。それは民族国家に対しての冒涜でなくて何であろう」(『友よ山河を滅ぼすなかれ』 46 頁、「/」は改行)。
「戦後というこのブヨブヨの飽食の時代の中で、タラ腹食って肥満し、ガキの頃からやれ塾へ行けの一流大学に行けのと親にケツを叩かれ、成れの果てはサラ リーマンか役人に仕立て上げられてだ、微々たる月給をもらってやれマイカーだ、やれマイホームだのと、汗水たらして稼いだ金を大企業・大資本にそっくり搾りとられて、これではまるで近代化された鶏舎にいるブロイラーと何ら変わりないではないか」( 『いま君に牙はあるか』2頁)
これ以上に付け加える言葉は無用であろう。

*月刊日本平成三十年二月「ふるさとを復活させよう③」、国体文化平成30年3月号「資本主義の超克とその先の国家論 十二」における拙稿の抜粋を加筆した

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