・現代はあらゆることにリアリティーがない。信仰心も弱く、共同体は解体され、会社ではいつでもクビにされかねない部品でしかなく、家族はバラバラである。近代化が進むとともに、人生の選択肢は増えたが、その代わり人生に対する希望が失われていった。
資本主義は、カネを稼ぎ、自己利益を追及する人間像を描いたが、果たして人間はそういった「大きな物語」のない人生に耐えられるだろうか。
新自由主義に至っては、「主義」とついてはいるものの、体系的イデオロギーも世界像も放棄している。とにかく人間も企業も自己利益で動くんだ、それが当然なんだ、余計な規制などするなというばかりである。しかしそれは過去も未来も考慮しない、ニヒルで刹那的な生き方ではないだろうか。貨幣経済への盲信は禁物である。
・井上日召『日本精神に生よ』
「人間生活の殆んど全部が経済的生活となつて来た現代は遂に黄金万能の世となつて大義は将に滅せんとし、被圧迫階級の人々までが資本主義に中毒して利己一点張となり互ひに嫉視排擊し合ふ様になつたので要するに右傾派は個人闘争、左傾派は階級闘争の連続で何れにしても人類の理想は出現せんのである」
・河上肇は大学卒業後、農科大学の講師について横井時敬の指導を受けた。そのときに書いたのが『日本尊農論』である。河上肇はそこで農本主義的議論を展開していた。河上の原初は農本主義であった。
現代は人生の選択肢が増えた、自由な時代だといっても、それは水泳における「自由形」が事実上クロール一択なのと同じで、商人以外の生き方はほとんど許されていませんね。
人間も企業も自己利益で動く、それが当然だという人間観を前提とする資本主義は、金稼ぎを義務化した生き方や労働を人間に強いていて、そこには尊厳も高貴さもなく、多様性も自立心もないと思います。
@Nさん
コメントありがとうございます。
われわれは自由なはずなのに何かに拘束されている。悪辣なブルジョアに搾取されているというのが俗っぽい共産主義者の結論ですが、どうもそうではなさそうです。
いわば成功に拘束されている。10の成功が、次は11の成功を要求する。その次は12、15…とだんだん大きくなり、気付けばわれわれを身動きできないほど追い詰めているように思います。