三原じゅん子議員が「八紘一宇」について発言したと報道された。なかなか発言全文が見つからなかったので、私の方で動画をもとに発言内容を文字に起こしてみた。以下起し。
三原じゅん子議員 私はそもそもこの租税回避問題というのは、その背景にあるグローバル資本主義の光と影の影の部分に、もう私たちは目を背け続けるのは出来ないのではないかと、そこまで来ているのではないかと思えてなりません。そこで今日皆様方にご紹介したいのがですね、日本が建国以来大切にしてきた価値観、「八紘一宇」であります。「八紘一宇」というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下をおおいて家となさんとおっしゃったことに由来する言葉です。今日皆様方の手元には資料を配布させていただいておりますが、改めてご紹介させていただきたいと思います。これは昭和十三年に書かれた『建国』という書物でございます。八紘一宇とは、世界が一家族のようにむつみ合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いものの為に働いてやる制度が「家」である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は、弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族を虐げている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族の為に働いてやる制度ができたとき、初めて世界が平和になる、ということでございます。これは戦前に書かれたものでありますけれども、この「八紘一宇」という根本原理の中にですね、現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです。麻生大臣、この考えに対しいかにお考えになられますでしょうか。
麻生財務大臣 もうここで戦前生まれの方は二人くらいですかね、もう他におられないと思いますけれども、これは今でも宮崎県に行かれると八紘一宇の塔というのが立っております。宮崎県の人いない? 八紘一宇の塔あるだろ? 知ってるかどうか知らないけど。福島さんでも知っている。宮崎県関係ないけど、八紘一宇はそういうものだったんですよ。日本中から各県の石を集めましてですね、その石を積み上げて八紘一宇の塔は立っていると思いますが、これは戦前に出た歌の中でも行け八紘宇と為しとかいろいろ歌がありますけれども、そういったものの中にあってメインストリームの考え方の一つなんだと私は思いますけれども、私たちは世界なら世界の中で1500年以上も前から少なくとも日本と言う同じ場所に同じ言語をしゃべって、万世一系天皇陛下という国は他にありませんから、日本以外にこれができているのが10世紀以降にできたデンマークがその次くらいで、5世紀から日本書紀で外交文書を持ち古事記という和文の文書を読みきちんとしている国はそうないんで、そこに綿々と流れているのはこういったような考え方であろうということで清水さんという方が書かれたんだと思うんですけれども、こういった考えをお持ちの方が三原先生のような世代の方にいたということが正直驚いたのが実感です。
「建国」という題で八紘一宇、清水という苗字ということで私は戦前の枢密院議長清水澄氏の著書から引用したのかと思ったが、清水澄に「建国」という書物はなく、清水芳太郎という人物の著書からの引用のようである。清水芳太郎は九州日報の主筆で中野正剛とも関係があったようだが、若くして亡くなったようだ。
三原議員の八紘一宇理解は正しい。「八紘一宇」を最初に唱えたのは田中智学と言われる。だが、田中以前にも、陸羯南が『国際論』で八紘一宇のもとになった日本書紀の章句を引用し、欧米の弱肉強食をやめさせることが日本の使命であると主張している。
八紘一宇は政治に当たるものは皇徳を実践し、人民のための政治を行い、人民は正しい心を養うことで、国中が団結することができるという意味が込められている。戦争の時期に侵略のスローガンに使われたなどとありもしない妄想をもとに物を言うべきではない。もっとも、「敗戦後、GHQが日本は八紘一宇を旗印に侵略に走った愚劣な国家であるということにした」ということであればまことに正しい認識なのだが。
日本人は日本人が培った理念により、近代風の弱肉強食とは違った世界観を再構築することができる。戦前の高い理想に学びわが身を正す必要があるのではないか。
>あなたが、「八紘一宇は政治に当たるものは皇徳を実践し、人民のための政治を行い、人民は正しい心を養うことで、国中が団結することができるという意味が込められている」
と八紘一宇を説明されたように、八紘一宇には単なる「国中が団結することが出来る、団結しようという言葉」ではないですね。
その前に「皇徳を実践し」とあるように、そういう前提がある言葉です。
つまり、皇孫神話を信じ敬い弘めるという実践によって、政治をすれば国中が団結することが出来る、という意味ですよね。
天皇を中核とした家族国家観ということです。
そうすると三原議員が、『八紘一宇とは、世界が一家族のようにむつみ合うこと。一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。
一番強いものが弱いものの為に働いてやる制度が「家」であるという意味』
という説明は、意味半分ではないですか?
その前文の大事なところの意味が抜けている。
あなたは「三原議員の八紘一宇理解は正しい」と言いましたが、この意味半分で大事なところが抜けている理解を正しいと言えるのでしょうか?
この後、あなたは、
>「日本人は日本人が培った理念により、近代風の弱肉強食とは違った世界観を再構築することができる。戦前の高い理想に学びわが身を正す必要があるのではないか」
と言っているように、「日本人が培った理念、世界観」という言い方をしている。
つまりり、ここでも「皇徳の実践」と深い関係を持った言葉を使っている。
そういう認識がありながら、どうして意味半分の三原議員の八紘一宇の説明を正しいと言えるのか?
もきゅっと名無しさん
大変有用なコメントを戴きありがとうございます。
次記事でご回答させていただければと存じます。
少し書く時間を戴ければと思いますのでよろしくお願いいたします。