改めて国家とは何か 五


 民主主義とはもともと民衆が貴族を打ち倒すために編み出された革命のイデオロギーでしかなく、したがって輿論政治とは別物である。民主と世襲は相反する概念である。むしろ世襲を安易に「独裁につながる」と決めつけ攻撃する原動力になったのが、「民主」である。イデオロギーとしての「民主」は、明らかに人は皆平等で質的に同じであるという前提に立っている。だがそのようなことはあり得るのだろうか。誰もが同じ権利を持ち、平等に扱われる。それはとても良いことのようにも聞こえるが、人間の文化的異質性を考慮に入れていないという恐ろしさを併せ持っている。

 その本質が如実にどこの世界の議会にも出ているではないか。議会は多数決で決まる。民主主義が話し合いとして理解されるためにはそこで「一定数の議論があり」、「数名が意見を変える可能性が担保」されており、「議論の結果国民の納得が得られる」状態になければならない。だが実際は多数党の方針がそのまま通ることがほとんどであり、議会では官僚答弁ばかりであり、国民の納得はおろか政党の党利党略で国民が振り回される事態となっている。根本的に民主主義が「多数者の専制」政治でしかないという点では革命のときから何も変わっていない。

 多数決によって決まる議会は論理の正しさでなく、多数派を形成したものが勝利する。党派の論理が、議論の正しさを上回るのである。
 上杉愼吉は、晩年は普通選挙運動にも取り組んだが、上杉にとって普通選挙とは一君万民の政治の証であった。だがその世論は多数決によって決まるというよりは、天皇の大御心によって救いあげられるものであった。「皆物ノ鏡ニ映スルカ如ク、大御心之ヲ知ロシメテ、国家ノ理想ヲ実行シタマフ」のである(上杉愼吉『新稿憲法述義』91~92頁、林尚之『主権不在の帝国』34頁からの孫引き)。
 世論(せろん)とは「世の中で一般に言われていること」である。輿論(よろん)は「国を背負う責任を持った意見、議論」である。両者は全く別物であった。民主は世論調査のような無責任な国民の意見により成立している。しかし実際は、国は歴史と伝統を身につけ、国を支える気概を持ったものによってこそ動かされるべきものである。上杉はその証を大御心に求めたのである。
 大御心に公共性の淵源を求めた上杉の考えは、国政の過ちが即天皇陛下の過ちとみなされがちになる点で、議論の余地があるだろう。だが単に多数派の意見を採用すれば文句あるまいという「多数派の専制」は避けねばなるまい。だがそれを保障するだけの思想的裏付けがないのである。むしろ「多数派にゆだねれば勝つのは王侯貴族ではなく庶民に決まっている」という安直で楽観的な革命イデオロギーが顔をのぞかせるのである。

 しつこく民主主義批判を書いてきたが、民主主義も資本主義も基本的に「多くの者に支持されるものは正しい」という思想に乗っかってきた。「本来デモクラシイは、人民全体が残らず協同して政治をすれば、誰れも不平を云ふ筈が無いと云ふことを原理とする政治である」(『日の本』316~317頁、竹村民郎編『経済学批判への契機』所収上杉聰彦「公法学者上杉愼吉における社会学=相関連続の研究」221頁からの孫引き)。だが「多数派に支持されるものは皆正しい」ことを認めがたいとするならば、やはり「多数派に支持される」ということ以外に何か公共性の由来を見つけなければならないのではないだろうか。それを見つけるためにも、上杉はクロポトキンの生存競争にもっともよく生き残るものは強き者でも賢き者でもなく弱者も愚者も助け合うすべを知るものだという議論まで参考にしている(同「上杉愼吉社会学遺稿(抜粋)」247頁)。「多数派に支持される」以上の公共性、それはやはり国家が持つ共同性ではないだろうか。冒頭の柄谷行人の「資本=ネーション=ステート」で言えば「ネーション」である。資本は多数決である。ステートも選挙、世論政治が定着した今となっては多数決であろう。だが「ネーション」は多数決ではない。「ネーション」は地位や所得の高低に関わらず誰もが生まれもつ民族文化である。民族文化は多数決を拒否する。民族文化の声に耳を傾けることを要求する。民族文化は相互扶助を要求する。確かに民族文化の声は政府権力による格差是正を求めるが、それだけではない。家族や地域のつながりは政府が指示するものではない。ましてやそれをすればカネ儲けにつながるわけでもない。さらには過去から伝統文化の恵沢を受け、後世に引き継ごうとする精神は「資本」や「ステート」の現代にのみ留まっている視点を大きく超えて過去から未来に果てしなく広がっていく。

 日本は本来、古くから人間性とか美、連帯について豊富な土壌を持ってきた。人工と自然の調和、自制の深さ、季節の折り目を大切にする風土を築いてきた。「資本」とか「ステート」には集団的エゴイズムを重要視して、そういうものを軽視している部分がある。近代思想にはそういうところがある。ただ、近代思想をある程度受容しながらも、集団的エゴイズムだけでない文化を模索したのも日本近代、あるいは明治ナショナリズムの姿であった。「日本画」とか「日本美術」を生み出したのは明治の国粋主義者であった。それらは伝統的な日本の技法を取り入れながらも、新たな美を模索するものであった。

(続)

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