大塚家具の騒動の際には、あまりにも創業者一家のことばかり考えているので批判する側に回り、織原さんとニコニコ生放送も行った。創業者一家が自分のことばかり考えている例は他にもある。例えばパナソニックでは、松下幸之助が細かい人事にまで介入し、ここも親子の対立(パナソニックの場合娘婿だが)があったために、人事がゆがめられ、組織風土が荒廃してしまったのである。この辺りは、岩瀬達哉『パナソニック人事抗争史』に詳しい。創業者一家の内紛が会社の人事抗争にまで及ぶのは、大塚家具ばかりではない。
しかし、こうした一部例外を除けば、基本的に私は企業経営者が創業者一家などで世襲されることに肯定的である。
資本主義が進めば進むほど、企業の寿命は短くなる。競争が厳しくなればなるほど、市場のニーズは多様化し、ニーズ自体の変化も激しくなるからだ。
企業は資本主義の重要なプレイヤーであるが、人々の生活を担う機関でもある。企業の寿命が人々の労働可能年齢より短くなれば、様々な会社で勤めなければならず、人々の生活は不安定化する。雇用を維持することは企業の大きな社会的責任でもある。
企業寿命を延ばすためには、自社の利益だけであなく業界や社会全体の利益を考えることが重要だ。自由競争じゃないかといって、利害関係者に配慮しない激しい競争は社会に害をなす。むしろ、お互いに利益があるような関係の構築を目指すべきであろう。競争が切磋琢磨ではなく淘汰となった時、社会は息苦しいものとなる。
本題に戻って企業経営者の世襲についてである。
世襲の経営者は、業界や日本社会など、広くて時間的に長い視野で物事を考えることができる。自分の息子や娘などに、なるべく良い環境で引き継がなければならないからだ。サラリーマン社長は大概不文律的に任期が決まっていることが多く、長期的な視野で考えることは本人の利益にならないことが多い。短期的に利益を上げることに目線が向きがちになる。
経営者は天下りで決まる場合がある。
天下りは決して官僚だけの事象ではない。民間どうしにおいても、金融機関やメーカーなどの取引先から経営層が送り込まれることは決して珍しいことではない。
この天下り社長が、出身元の方向ばかり見る(ことを求められる)人物だった場合、企業風土は一挙に荒廃する。出身元のために無茶をするのは大概この類であろう。
ところで今、(倒産ではなく)廃業する企業の割合が高止まりしている。原因は高齢化で、中小企業の経営層が高齢になって体が思うように動かない状況の中で、引き継ぐ相手も見つからず、大きな借金等もないうちに廃業を選ぶのだという。日本の企業の9割は中小企業だが、特に小規模の企業がこのように廃業という道を選ぶのは悲しいことではある。利益がなかなか上がらない企業は、世襲であろうとそうでなかろうと、引き継ぐ相手すら見つからないという世の現実である。決して創業者一家だから甘い汁を吸っているわけではない。
このブログでたびたび書いてきたように、資本競争そのものの問題点も見過ごすわけにはいかない。だがマルクス主義のように悪辣なブルジョワジーを除けば問題が解決するかのような短絡的な発想は誤りである。市場の側面と社会の側面、両面から考えなければならないのである。