※以前『国体と経済思想』という連載を行ったが、本稿は、そこで言い忘れたことやその後の読書により知ったこと、考えたことなどをまとめたものである。一部同連載との重複もあることをご了承いただきたい。
戦後日本における価値観の中で、「経済成長」という言葉の占める位置は大きい。敗戦によりナショナリスティックな価値観の挫折を経た日本社会の空白を埋めたのは、「経済成長」という言葉であった。だが、ある程度経済成長を達成した今、それは国家社会を統合する言葉とはならなくなってしまった。むしろ、「経済成長」による国の解体が懸念される事態となったのである。
「生存競争と相互扶助とは共に人類の本能であり、正義に対するあこがれと力に対する依頼は、われらの心の中に併存する」(石原莞爾「最終戦争論に関する質疑回答」『最終戦争論』中公文庫版72頁)。野放図な競争の放任は、社会を世知辛くさせ、行き過ぎた相互扶助は社会を弛緩させる。その中でいかなる社会を作るかは、我々に常に問われていることであろう。
人間はほぼ例外なく利己的な存在だ。それを否定することはできない。利己主義が社会に害をなすことがあったとしても、その利己性を否定さえすれば物事は解決すると考えるのは安直すぎる。例えば商売は売り手と買い手の間に等価交換されたら成り立たない代物である。極端な話本来百円の価値しかないものを百二十円で売っているのが商人だからだ。カネ貸しに至っては百万円を貸し付けて百二十万円返済させる、改めて考えると理不尽極まりない仕組みで成り立っているではないか。だがこれを非難するだけでは全くの非現実的意見となってしまう。人には利己性があり、すべてのことがボランティアで済むとは考えられないからだ。では利己心を擁護していればよいのか。そうではない。現に世の中は公正を求め、麻薬を売れば犯罪となり、不当な手段で利益を得れば詐欺として捕まるようになっているではないか。マタイ効果とも言われるが、格差は増長する傾向にあり、富める者はそれゆえにますます富むようになり、貧しきものはそれゆえに一層貧しくなる。同じスタートラインからの競争、「結果の平等ではなく機会の平等を」などという言説は全くの空想である。しかしそれを空想であると認めた瞬間に、「ではどういう再分配を理想とするべきなのか」という公正性の問題が再び頭をもたげるのである。利己主義と公正の両立は社会に突き付けられた課題と言えよう。
頭山満は高山彦九郎を豪傑とみなしていた、と松本健一は言う(『雲に立つ』19頁)。ここでいう豪傑とは、現代人が思い浮かべる豪快で強い人、という意味でもなければ、支那の原義のように才知あふれる人という意味でもない。たとえ志を果たし得ない場所にいたとしても、独り道を実践していく人のことだ。名利をもとめず、憑かれたように志の実現に邁進する「狂」の態度こそが豪傑の条件であった。この「狂」の感覚を松本は「原理主義」と呼ぶ。松本にとって「原理主義」とは、合理的で近代的な態度ではない、ある種の「狂」の感覚であった。そして松本は「右翼」にこの「原理主義」を見出した。右翼と左翼とはナショナリズムとコミュニズムではない。ある時期まで、右翼と左翼は分かちがたく一体であった。豪傑か否か、「狂」の感覚を持ち合わせるか否かだけが問題であった。冷戦が、「狂」の感覚を右翼と左翼に引裂いた。ここでいう「冷戦」とは、通例とは違い、ロシア革命間際に共産主義運動が盛んになった頃から始まる。
「狂」の感覚、「原理主義」は社会の底流にマグマのように流れる土着的エネルギーの爆発を呼び覚ます。「原理主義」は文明への反抗である。あまりにも文明化された今日、「原理主義」はあまりにも忘れ去られてしまった。しかし、同時に冷戦が終わり引き裂かれた右翼と左翼が再び元の「狂」者に戻れば、あるいは近代思想からなる今日の堕落と利益社会のはびこりを改めるきっかけとなるかもしれない。
中江兆民はルソーの社会契約論を日本に紹介した人として知られるが、その思想は儒学をもとにした理想的道徳を現代によみがえらせようというものであった。中江と頭山は交流があり、見解を同じくすることもあった。頭山を右翼の源流、中江を左翼の源流のように言われることもあるが、その「源流」は分かちがたいほどに共通している。
木下半治『日本国家主義運動史』によれば、内田良平の黒龍会は労働宿泊所を設けたり、「自由食堂」を作るなど社会事業も行っていたという(慶應書房版10頁)。同書はこのほかにも、大川周明を会頭とする神武会が「一君万民の国風に基き私利を主として民福を従とする資本主義経済の搾取を排除し、全国民の生活を安定せしむべき皇国的経済組織の実現を期す」と謳っていること(99頁、旧字を改めた)や、石川準十郎の大日本国家社会党が「我等は現行資本主義の無政府経済組織を以て現下の我が国家及び国民生活を危うする(ママ)最大なるものと認め、公然の国民運動に依りこれが改廃を期す」と謳ったこと(242頁)など、国家主義団体が資本主義による格差に対抗しようとしたことが多く記されている。それこそが戦前昭和の「国家改造」の内実であった。
現代、いわゆるカイカクだなんだと言ったところで、それはせいぜい商売の拡大に過ぎない。商売のために国の歴史や国策の自主決定権を明け渡すなど正気の沙汰ではない。それはただの無秩序でしかない。戦後の変革論はことごとく商売の為であった。即ち私利私欲の拡大であった。消費空間が演出する差異などちっぽけなものだ。しかしこの手の差異化に振り回され続けてきたのも戦後史であった。構造改革の騒ぎはその典型であったが、基本的に国家観を見失った戦後日本そのものが商売と恋愛のことしか考えられない、典型的な消費者社会である。余談ながら木下半治の戦後の右翼研究の著作は教条的に裁く傾向にあり、あまり得るところが多くない。
(続く)