第一章 一神教と多神教
「信仰」とは「伝統」への信頼に他ならない。「伝統」は左右の立場を超えて信じられてきた。伝統は左右を区別しない。それはまるで共同体がその人の思想信条を区別しないことと重なるようだ。伝統は過去から引き継ぎ、未来に残すものとして、明確に個人の人生に意味を与え、不死性を持たせるものだ。使命がある限り、国は死なない。ここでいう「国」とは、政府のことではない。共同体のことである。共同体の使命とは、先人の叡智を受け継ぎ、次代に伝えることである。
伝統は人間が行う世俗の出来事であり、神を称える信仰とは別物だという人がいるかもしれない。そういう解釈もあるだろう。だが、全く貧しい肉欲に囚われがちな各個人に潜む清明な精神は、伝統によってもたらされるのである。即ち自己の精神は先人たちの分身であって、必ずしも各人に分けられるものではない。我々は叡智によって教えられると同時に、叡智に参与し、次代の人間の精神を形作る精神の一滴となるのである。「知ることは思い出すことである」とプラトンが言ったとおりである。それは、神々が人間にもたらす働きと、とてもよく似ている。
伝統にはどこかアナーキーなところがある。現代の政治家は伝統を統治の道具として活用することはあっても、伝統を信仰として理解することができない。それは伝統がどこか近代国家における政府と相いれないところがあるということだ。古代国家はそうではない。古代国家にとって政治とはまつりごとであり、伝統とは信仰そのものであった。
日本人は何を信じ、何により国家乃至は社会全体を構想していたのか。こういうことはなかなか突き止められなかったし、今後も難しいだろう。
なぜそうなるかと言えば、さまざまな原因が考えられるが、まずは日本もしくは東洋における信仰観のわかりにくさが挙げられるだろう。東洋はさまざまな信仰のるつぼである。基本的に耶蘇教が主であり、それの正統と異端の歴史であった西欧世界とはずいぶん様相を異にする。東洋世界は信仰が互いに影響しあい、もしくは異国からやってきた信仰が意外な形で読み取られたりしていくことにより発展してきた。特に日本はその傾向が強く、「日本人は宗教心が薄い」などというのは完全な嘘である。ただし前述のような複雑な経緯をたどっているため特定の教会(寺院、神社)に通うというような西欧的信仰形態をとっていないだけである。むしろ日本は宗教国家、日本人は宗教民族と言える。
一神教と多神教は漢字のようにわかりやすい対比があるとは思われない。完全な一神教が今ある宗教に一つもないのと同様に、完全に神々が対等な多神教も存在しない。両者の境界は実は曖昧である。しかし曖昧であるということは両者を区別する意味がないということにはならない。
一神教とは、理念系でいえば、唯一の神を信仰することであり、それはほかの神の排斥に向かうことがある。一神教とは他の神を排斥してしまうのではなく、排斥しなければならないのである。唯一神がただ一つの絶対なのだから、他の神を信じる者は間違った神を崇める者であり、神が作った人間としてあってはならないことだからである。歴史上では、大航海時代の西欧の世界進出と同時に耶蘇教徒によって繰り返された悲劇が思い起こされる。
ただし、この唯一神への信仰が完全な形で行われたわけではない。当の耶蘇教さえイエス・キリストは神の子であり、また精霊も交えた三位一体説を教会は採用したのであって、これは造物主一人に神を絞れなかった、ということでもある。もちろん神学はこの現象を説明するために様々な論理展開をなしているのだが、正直耶蘇教の信仰のない人間からすれば問題を糊塗しているだけのようにも映る。また信仰を広める以上神々の要素を完全に排斥するわけにはいかなかったともいえる。聖書に全く記述のない「クリスマス」や「ハロウィン」が堂々と祝われているのも、もともと砂漠の民の信仰であった耶蘇が欧州の土俗信仰と習合したためである。耶蘇教にも欧州の土俗信仰もしくはギリシャ的多神教概念が入り込んでいる。
一方多神教についてだが、仏教も広く見れば多神教だろうが、たとえば仏教には如来とか観音という序列があり、また仏教の中の何宗かによって、阿弥陀如来を重んじるのか釈迦如来か大日如来か…と変わってくるのである。それはそれぞれが違うのを信じるのと同時に、その信徒にとってはたとえば真言宗にとって大日如来が一神教に近いのではないかと言いたくなるほどに重要な要素を持つことも確かなのである。神道において太陽神が最高の位置をしめ、その子孫が天皇となって現在にまで至るというのも同じである。神道は多神教であってもその中で太陽神、すなわち天皇を最高のものとして敬うことは少しも不自然なことではないのである。
遠藤周作は、『沈黙』で、日本には耶蘇教は育たないことを登場人物に語らせている。信徒の数こそ増えているように見えるが、日本人は人間と隔絶した存在として神をとらえない。芥川龍之介の「神神の微笑」もまた同じような問題意識で書かれた作品である。そこでは日本の神々の力は「造り変える力」であると述べられている。どこの社会でも異教が入り込んだとき「作り変え」が行われるものだ。日本においてもそれが行われたということは日本人にも確固たる信仰があったということではないだろうか。ただそれが西洋耶蘇的な教義、教会、経典に縛られていなかったというだけのことだ。
日本の「作り変え」の歴史を称えたのは蓑田胸喜であった。蓑田は聖徳太子や親鸞、山鹿素行を外来の思想である仏教や儒教を日本風に「作り変えた」人物とみなし礼賛している。作り替えの力がある限り日本文明は不死の存在であり、永遠に発展存続するものと捉えたのである。
(続く)