伝統と信仰 第八章 国粋主義とアジア主義


 第八章 国粋主義とアジア主義

 アジア主義者はアジアの観察者というよりはヨーロッパの観察者である。アジア主義者はヨーロッパがキリスト教世界で似通った文化圏を構成していることをよく知っている。だからアジアも同一の文化圏であると思いたがるのだ。同文同種だとか、そういうことを盛んに強調して、潜在的にアジアに「西洋」を作ろうとする。アジア主義者は表面的には反西洋の論説を張るが、潜在的に西洋主義者であり、西洋に劣等感を抱いている場合がある。
 もっとも、これはどんな思想であれ西洋に対する劣等感として論評することは可能だ。現実的に西洋発の近代概念が世の中を大きく変えてしまったのは疑いもないことであり、かえって劣等感のない人間は現実から逃避し、己の妄想に閉じこもる人間であろう。
 アジア主義は場合によっては西洋流の拝金主義とか合理主義といったものまで否定したことで精神的に突き抜けていることがある。それが一種独特な香りを放っている所以でもある。アジア主義とナショナリズムは近くて遠く、遠くて近い微妙な関係である。

 国益には数値化できないものがある。国の活力とでも言おうか、文化的同質性、歴史的連続性、伝統、故郷、家族や地域共同体などである。「数値化できる国益」の「益」は「利益」を指すのに対して、「数値化できない国益」は資源、豊かさを指す。「数値化できない国益」を、明治の人は「国粋」と呼んだ。国粋とは国の元気のことだ。目には見えないものだ。かけがえのないものだ。他国には決してまねのできないものだ、と(三宅雪嶺「余輩国粋主義を唱道する豈偶然ならんや」、中央公論『日本の名著 37 陸羯南、三宅雪嶺』、筆者意訳)。
 志賀重昂は「『日本人』が懐抱する処の旨義を告白す」で、「西洋の開化を悉く是れ根抜して日本国土に移植せんとするも、此植物は能く日本国土の囲外物と化学的反応とに風化して、太だ成長発達し得べき乎」という疑問をぶつけたうえで、「日本の国粋を能ふ丈け成長発育せしむるの太だ経済的なるに若かざるなり」と主張した(『近代日本思想体系31 明治思想集Ⅱ』8~9頁)。植物に例えるところは志賀らしいとも言えるが、海外のものをそのまま移植してもうまくいくものではない。それよりも海外の事例を参考にしつつ日本の良いところを伸ばすべきだ、というのが国粋主義者の主張なのである。
 そのような明治二十年代の「国粋」を、明治三十年代の日本主義者高山樗牛は批判する。国粋主義は「単純幼稚」であり、「漫に国粋を説きて所謂国粋の何物なるかを説かず、漫に保存を言ひて而して何故に保存すべきかを言はず、其所説や形式的なり、抽象的なり」(『樗牛全集 第四巻』326頁)。国粋主義者は進歩を説かず、旧形を保とうとするだけだ、という。樗牛の言わんとすることもある程度あたっていなくもない。確かに国粋主義者は「守るべき国粋」を具体的に明示しなかった。だがそれは樗牛も同様であった。むしろ明治二十年代の国粋主義は、先の雪嶺の引用を見てもわかる通り、国粋を具体的な「もの」で置き換えること自体を嫌った。「国粋」とは信仰なのだ。神を具体的なもので示すことなど、できるはずがないではないか。

 岡倉天心は、『日本の目覚め』で、日本の愛国者は50年前、支那の義和団のように熱狂的に攘夷を叫んでいたが、政治の大変革と外国との接触による物質的利益のために、西洋に対する国民感情は一変し、なぜあのように西洋に敵愾心を持ったのかわからなくなってしまった。それどころか、大陸の隣人たちは我々を変節者、白禍の権化とまでみなすようになった。しかしながら数代前の日本人は今日の支那の保守的愛国者の見解と同じであり、西洋の進出により日本の破滅が来るだろうと考えていた。蹂躙された東洋人にとっては欧州の栄光は日本の屈辱である、と述べている(岩波文庫版55頁)。
 松本健一はこの天心の叙述を踏まえて「「屈辱」において「アジアは一である」(Asia is one)、という現状認識を抱いていた」という(『竹内好「日本のアジア主義」精読』岩波現代文庫、94頁)。まさに松本の言う通りであろうが、一方で当時の日本人は、本当に西洋になぜ敵愾心を抱いたのかすらも思い出せないようになってしまっていたのだろうか。そこに岡倉の悲観的な現状認識がある。
 明治三十七年にアメリカのニューヨークである本が出版された。その本の名は『日本の目覚め』。著者は岡倉覚三、いわゆる岡倉天心である。この『日本の目覚め』は英語で出版された日本の紹介本である。「日本の目覚め」という題は「目覚めつつある日本」という語感もこめたものであった。
 岡倉はその出だしをこう始めている。「日本の急速な発展は外国の観察者にとっては幾分の謎であった。日本は花と鋼鉄艦の国、勇壮義列と優美な茶碗の国―新旧両世界の薄明に古雅な陰影の錯綜する夢幻境である」。もちろんこの対比はこの連載でたびたび出るある書物、戦後はやった「菊の優美と刀の残虐」という矛盾の中に日本人をとらえようとした『菊と刀』を連想させて興味深い。しかし岡倉はそうした見方を十把一絡げの非難と馬鹿らしい称賛であると一蹴する。そして日本がここまで発展したのは外来の思想の力もあるが日本が外国の方法を採用する能力とそれを同化せしめる天賦の気力であると強調する。外部知識の蓄積ではなく内部にある自己の実現によるものだと強調したのだ。その上で亜細亜こそ日本の霊感(現代風にいえば宗教的感情)の真の源泉である、とした。亜細亜は蒙古以来停滞し、相互に理解し合えない状況となったと言う。東洋文明の平和的性質は蒙古の破壊を止めることができず、外敵の侵略を食い止めるにはか弱い力しかもっていなかったと見ている。蒙古の侵略を撃退した日本は亜細亜を覚醒させる任を負ったが、島原の乱など侵略を企んだ西洋耶蘇教徒の扇動に島国根性が硬化し、自ら国を閉ざしたいと思うようになった。徳川時代にはありとあらゆる方向で日本人が覚醒することを妨げる政策が行われており、仏儒が盛んに行われたがそれも服従心と平和愛好だけを教えるものとしてしか成り立っていなかった。しかしさまざまな学派が起こりそうした体制に反発するようになり明治維新を迎えることになったとする。その際に効果のあった学派は山鹿素行らの古学派、陽明学、国学である。岡倉は陽明学を維新の大業の誘因であるとみなし頁も多く割いている。
 多くの東洋人にとって西洋の出現は喜ばしいものとならなかった。白人は「黄禍」を叫ぶが亜細亜人は「白禍」の犠牲になったとする。西洋人の心は機械的組織に満足するのかもしれないが亜細亜人は物質的実効だけに満足できない。亜細亜は停滞し時代遅れの部分があるかもしれないが、それに比して西洋は公明正大であっただろうか。帝国主義の名のもとに亜細亜を蹂躙し続けたのではないかと主張したのである。亜細亜が西洋帝国主義に立ち向かおうとすると西洋人はすぐに黄禍の声を上げたではないか。だからこそ西洋の栄光は東洋の屈辱なのである。日本の芸術は欧化の時代をももろともせず国民的理想を保存する強い力となったのだ。
 天心は西洋の帝国主義に対置してむしろ平和主義を訴えている。天心は感情的な筆致で読者に訴える書き方だからそうなったのだろうが、いわゆる現代の感覚で天心を「平和主義」視するべきではない。仏儒が単純な服従心と平和愛好で政治を変える力となり得なかったことを批判的に見ているからだ。天心にとっては信仰とは現状改革の力となり得るものであった。平和主義も帝国主義の現状を変える力として唱えられたのであった。

 天心は「欧羅巴の栄光は亜細亜の屈辱である」とまで述べ、黄禍論に反対している。日清日露で日本が朝鮮半島の独立のために奮闘したにもかかわらず、欧米はそれを黄禍を叫ぶことで応じた。戦争は絶やされなければいけない。己を守る覚悟のないものは奴隷にされなければならないが、他国を侵略するような道義のない国民もまた哀れである。個人の道徳からして発達していない者たちである、という。この道義重視の世界観はアジア主義者独特のものであろう。この自国の防衛を重視しながら侵略戦争に反対していく考え方もまたアジア主義的なものである。日清日露戦争は東洋平和のための義の戦いであり、そのために行われなくてはならない。したがって朝鮮独立、支那の侮日政策の変更を求めて立ち上がることを主張する。そして欧米の干渉からアジアを守ることを目標としている。
 そんな天心は『東洋の理想』では東洋に古代に統一圏があると主張する。それはイスラム、儒教、インド哲学、そして日本的思考がそれぞれ特色はありつつも同じ民族圏に該当するものだという主張である。しかし天心はすぐさまこう続ける。「しかしながら、この複雑の中なる統一を特に明白に実現することは日本の偉大なる特権であった」。そして日本を「アジアの意識の全体を映すのにふさわしい」場所であり、それは島国的地理と万世一系の皇室がおわすからであり、「アジアの思想と文化を託す真の貯蔵庫」たる存在であるとした(『岡倉天心コレクション』ちくま文庫版198頁)。前半でアジアイデオロギーを述べていながらここで巧みに自国の道徳を礼賛する作業にすり替わっている状況がある。この後天心はアジアについて「今日アジアのなすべき仕事は、アジア的様式を擁護し回復する仕事となる」としている(同342~343頁)。しかし前記のように日本がその中心地となることは譲らないわけである。西洋思想が現代の日本人の目を曇らせているとしてアジアへの回帰、復古を唱える。しかしその「復古」とは、アジアに帰るのか、日本に帰るのか。両者が一体であるとまで言えるのが天心の思想の独自なところであろうが、アジアが一つであるとするならば何ゆえナショナルな国家間関係を望むのか。そのあたりが天心の説明不足なところである。
 おそらく合理的な目線で見てしまえば、天心の叙述はアジアを同一視し過ぎる嫌いがある。だが天心は、西洋諸国がもたらした合理主義の波に対し、東洋の「霊性」を対置したところにある。天心は「霊性」という言葉を地下から発掘し、世に蘇らせた。その後鈴木大拙をはじめとしたさまざまな人物に「霊性」は問われていくわけであるが、それは天心が問うた「霊性」を様々な形で継承したものであった。天心が地下から蘇らせた「霊性」という言葉が、日本の精神史を大いに形作っていると言えるのである。

 陸羯南は『国際論』で、日本の国家目的を欧米の侵略を止めさせることに置いた。陸の国際認識は『国際論』に言い尽くされている。陸は世界史を力による侵略、非侵略の歴史と見做し、侵略がどのようにして行われるかを詳細に論じた。それによれば、侵略は外交に対し憧れのような感情を持たせることから始まり、次に経済的に依存させ、最後には領土を奪うのだという。ただし近年の侵略は領土まで欲するものは少なくなっているといったことまで触れている。そのうえで日本がどう対抗するかといえば、まずは自国の使命を自覚することだという。日本の使命は「六合を兼ねて八紘を掩う」ことにあり、世界に公道をもたらし弱肉強食の国際関係を止めさせることにある、という。国際法は所詮欧米が決めた、欧米に有利なルールに他ならないが、先の日本の使命から国際法に東洋の立場も盛り込ませることが重要だといっている。
 ここでは国際関係を非常に現実的にとらえる陸の目が感じられる。国際社会を現実的な力関係で捉えるのはそう珍しい意見ではない。だがそうした論客はたいてい日本が生き残るためには、「強いものに付け」という態度に出ることが多いように思われる。しかし陸はそうではなかった。ここに陸の凄味があるように思われる。そしてだからこそ陸は欧米に与せず、アジアの側に立ったのであった。

 葦津珍彦は資本主義に反対する思想を持っていた。しかし同時に葦津はナチスの経済政策への批判者でもあった。葦津は「英米的自由主義、民主主義を克服する方法は、あくまでも日本的方法によって、日本流に之をなさねばならぬ。然らずして独逸的精神によって之をなすときには、前門の虎を追うて後門の狼を迎うる譏りをまぬかれぬであろう」と警鐘を鳴らしてした(『神道的日本民族論』25頁)。
 僭越ながら、私も葦津になぞらえてこう言おう。
 「ソ連、中共的共産主義を克服する方法は、あくまでも日本的方法によって、日本流に之をなさねばならぬ。然らずして亜米利加的資本主義によって之をなすときには、前門の虎を追うて後門の狼を迎うる譏りをまぬかれぬであろう」と。
 日本人が真に国民精神を自覚したうえで、国家の行く先を論じることができた暁には、このことは自然に了解されるであろう。

 葦津は福沢諭吉に代表される近代的合理主義者、功利主義者が楠木正成の湊川での殉忠を非難したことに対して同時代の多くの論客が反論したが、それらすらも合理主義、功利主義に立っていたことに対して問題の根の深さを見た(同108~109頁)。功利主義を超える価値を、葦津は求めていた。
 欧州から押し寄せた近代文明に抗しがたいことを自覚しながら、それでもその近代文明に安住できない自己。その存在を見て取ったとき、そこに自己を見つめる考えが生まれる。近代文明に安住できない自己は資本主義にも共産主義にも満足できない自己である。自己の居場所は人間の感性の中にしかない。そしてそれはおそらく国籍のない「文明」にではなく血の通った「文化」「伝統」に依拠する感性ということにもなろう。それが敗北を覚悟しても貫く感性の淵源なのである。

コメントを残す