伝統と信仰 第九章 原理主義という名の民族主義


第九章 原理主義という名の民族主義

 我々の精神的ふるさとは、高層ビルやアスファルトにはないことは明白である。田舎暮らしを経験していなかったとしても、故郷はいつの世も、大地と自然によるものと決まっている。
 現代人の日々の生活は、より経済成長し、より消費し、より寿命を延ばした方が良いという物質に満たされた生活になるようにと常に煽り立てられている。この物質に塗れた生活をよしとする考えを、唯物主義という。唯物主義とはマルクス主義のことではないことを押さえておく必要がある。その唯物主義に裏付けされたモノに塗れた生活は、どこか胡散臭いものを感じざるを得ない。なぜかと言えば、それは死と信仰の問題を置き忘れているからではないか。
 鈴木大拙は『日本的霊性』で、「大地の生活は真実の生活である、信仰の生活である、偽りを入れない生活である、念仏そのものの生活である」という(岩波文庫版94頁)。
 出口王仁三郎は、「鉄筋コンクリートの高層建造物の中に、生存難や人間苦が存在している」といい、文明を批判する(松本健一『出口王仁三郎』49頁)。自然を自分たちの都合でいいように使い、その後自然が破壊されようと知ったことではないという発想は、西洋近代と結びつけられ、伝統を破壊するものとして受け取られた。かつては草花や小動物、虫たちと人間が共存していた場所が、いつの間にかコンクリートで埋め尽くされて、市場を構成する商品となってしまう。周りすべてが金銭的価値に置き換えられてしまうことへの違和感が、そこにはある。

 大地や自然に根差した生活こそ善であり、その観点から近代文明、近代政府を否定する思想を、松本健一は日本の「原理主義」と呼んだ。こうした原理主義を破壊衝動かなにかの表れと見る向きもあるだろう。そういう面もあるかもしれない。だが同時にこうした「原理主義」は民族的、共同体的な心性に、その思想的中心を持っていこうという動きであり、大なり小なり誰もが持ち合わせるものだろう。利益社会に人が甘んじることができないと悟った時、原理主義はすぐ隣にある。アジア主義は、原理的故郷を西欧的近代国家ではなく、アジア的国家像、社会像、人間像に求めるものであった。
 天皇は単なる立憲君主ではない。天皇の祭祀の側面に注目したとき、日本文化の中心たる神聖性、カリスマ性が現れてくる。震災の時に被災者に寄り添った天皇は、人々と共感共苦する中で、国民の安寧の為に「祈る」信仰的存在となる。天皇という存在も日本文化という存在もこの原理主義から無縁になれない。自分だけは原理主義から遠い存在だとは思わないほうがよい。
 佐藤健志は『愛国のパラドックス』で、武智鉄二の『伝統と断絶』を引用しながら、「伝統を復活させるためには現在のシステムをすることも正当化される」という考えは、一九六〇年代の急進左翼が唱えたものだと批判している(113頁)。だが私には、こうした武智のような主張には軽視できないものがあるように思われる。武智は軍隊がいかに近代的産物で、日本人が伝統的に持っていた歩き方などの所作を変えていったかを強調し、そこに伝統破壊を見るのである。

 日本以外でもこうした原理主義的な思想を唱えた人物がいる。ガンジーである。
ガンジー(1869~1948)はイギリスで弁護士になるほど頭がよく、また裕福な家系に生まれた。19歳からイギリスに留学。そこでインドの歴史や宗教に触れて、自己の思想を確立していく。弁護士としての活動の地である南アフリカでのインド系移民の権利回復運動を経て、本格的にインド国民会議に合流。その後非暴力・不服従運動を続けてインド独立を目指す。1948年にヒンドゥー教徒に暗殺された。
 ガンジーは機械で大量生産された紡績用品を着ることを好まず、伝統的な糸車で衣類を生産することを奨励した。また、イギリスの塩税に抗議し、自国で塩を生産するために海まで「塩の行進」を行っている。
ガンジーは宗教的、哲学的思想を持ち、インド哲学のなかでも現世放棄的影響を受けているという指摘はすでになされている。ガンジーを日本でおそらく最初に評価した人物は、大川周明であろう。インド哲学の研究もしていた大川は、現実のインドに関わる中でガンジーを評価したのであった。
 ここで従来のガンジー評価について述べる。ガンジーにはマルクス主義と非マルクス主義の立場で大きく評価に断絶が見られる。非マルクス主義者が多くガンジーを評価するのに対し、マルクス主義者はガンジーの非暴力性を「日和見」であると批判したり、もしくはガンジーがその運動においてブルジョアジーから資金援助を受けていたことで階級が温存された、という否定的評価を行った。ガンジーはカースト制度を根本的に批判したわけではなかったので、それもまたマルクス主義者には受けが悪い点である。
 また、戦後日本特有の捉え方としては、「ガンジー主義=憲法九条主義」と同一視して礼賛する考え方である。これは俗にサヨクと呼ばれる、戦後民主主義の信奉者によって唱えられている。しかしこれがほとんどガンジーに対する誤解に基づくものであることは小林よしのり等が指摘しているとおりである。先ほどから述べているようにガンジーの非暴力・不服従運動とは彼の信仰の過程におけるインド哲学の強烈な実践であり、その意味で彼は非常に民族主義人間ということができるのである。西洋近代文明を民族文化を破壊するものとして憎み、そしてインド哲学を主張していく。

 そのあたりはガンジーの著書『真の独立への道(ヒンド・スワラージ)』にわかりやすく表れている。ガンジーはこの中で鉄道について触れる箇所があるのだが、そこでは、「鉄道で飢饉は広がります。なぜならば、鉄道の便宜によって人々は自分の穀物を売り払うからです。高く売れるところに穀物は引き寄せられますし、人々はそれを気にかけないようになるので、飢饉の惨事が広がるのです。鉄道で邪悪が広がります」(岩波文庫版55頁)。
 「呪われた文明が及んでいないところに、まだかつてのインドがあるんです。(中略)あなたと愛国者たちへの私の助言ですが、まずインドを―鉄道が通ってないような地域を―六ヶ月歩き、それから愛国心を、その後で、自治を語らなければなりません。
 さあ、私が真の文明とはなにかを話しているのがあなたにはわかるでしょう。これまで私が描いたようなインドを変えようとする人がいたら、敵と知りなさい。その人は罪人です。(中略)インド文明の傾向は道徳を強化する方にあり、西洋文明は不道徳を強化する方にあります。ですから西洋文明を非文明と言いなさい。西洋文明は無神論であり、インド文明は有神論です。
 このように理解し、信じて、インドの国益を願う人たちは、子供が母親にしがみつくように、インド文明にしがみついていなければなりません」(83~85頁)。

 最後にガンジー主義はインドの伝統だけではなく、ガンジーの人格抜きには不可能であることを挙げておこうと思う。ガンジーは国内のヒンドゥー教徒に暗殺されるわけだが、それはヒンドゥーとイスラムの共存を主張したからであった。ちなみにこのときのイスラム派はほとんど現在のパキスタンとなる。ガンジーは信仰の道を唱え、それにより支持を得たが、しかしそれゆえに人々はイスラムとの共存を嫌った。確かにガンジーがあれほどインドの信仰にこだわったにもかかわらず、イスラムとも融和するのは矛盾しているようにも思われる。その結果、イスラムとの協調を目指すガンジーは裏切り者とみなされ、非暴力主義は急速に退潮していく。ガンジーの暗殺はその結果に他ならない。
 ガンジーは人間の不完全性を見つめ、個人の理性ではなく伝統や慣習、良識における叡智によって国をまとめようとした。
 また、ガンジーの後継者とされるネルーが首相につくが、彼の政策は一言で言えば富国強兵殖産興業である。国内の近代化に勤めたネルーはかつてガンジーが批判したところの「西洋文明」を取り入れて、ガンジーが擁護した「伝統的インド」を破壊する役割を担った。結局ガンジー流の復古主義的民族主義は実ることはなかったのである。
 もっともガンジーには思想家的側面のほかに、あまたの利害関係の中を泳ぎ回る政治家的な側面も持ち合わせていた。英国の植民地支配への批判より近代文明への批判を優先させたり、ヒンドゥー教による身分差別を批判しきっていないこともそうである。現実世界を泳ぎ回りながら、自己が理想とする世界へ一歩一歩近付けようとしたと言えば、その通りではあるが、必ずしも聖人視するのが適切とは言い切れないのであろう。

 倫理とか道徳とは共同生活における心理的規範のことであり、したがって、人々の「間」に存在するものである。「間がら」を規定するものである以上、そこには権力関係が付きまとう。しかし、倫理や道徳はそうした権力関係だけに拘束されない「価値」の追求でもある。したがって多くの「原理主義者」は、金銭や政府による暴力の支配を否定し、伝統的な共同体の秩序を称えることとなった。ここに、いわゆる保守主義者と原理的な無政府主義者が近づく接点が生まれるのである。伝統は、存外アナーキーなのだ。
 大東亜戦争の終戦に納得せず、本土決戦、一億玉砕を主張した人々がいた。その一人、井田正孝中佐はその手記で、「国敗れんとするや常に社稷論―すなわち「皇室あっての国民、国民あっての国家、国家あっての国体である」となし、国体護持も皇室、国民、国土の保全が先決なりと主張する。唯物的な国家観―なるものがある。社稷論は敗戦の寄生虫であり、亡国を促進する獅子身中の虫である。(中略)皇室の皇室たる所以は、民族精神とともに生きる点にあるがゆえに、精神面を没却した皇室には、意義も魅力もないことを深く考察すべきである。さらに彼らの出発点は、皇室の名を利用する自己保存であることを看破せねばならぬ。(中略)その言うところは皇室の存続であるが、真の狙いは国家の面目よりも、物質的生活苦ないしは戦争の恐怖に対する利己心以外の何物もない」と述べている(田々宮英太郎『神の国と超歴史家・平泉澄』180~181頁からの孫引き)。
 ここで井田は、皇室の形式的存続が物質的生活苦から逃れるために唱えられているとし、皇室を支える民族精神の存続を何よりも重んじた。この論法は井田だけでなく日本浪漫派や三島由紀夫、桶谷秀昭らの議論を思わせるのだが、敗戦の際に、物質的安寧よりも民族精神が折れないことを重んじる考えは、どこか「原理主義」を思わせる。近代政府の枠組みを超えたところに最も重んじるものを持ってくる原理主義は、誰の中にも持ち合わせている思想であるが、それは簡単にナショナリズムと同一視できないものを含んでいる。ここでいう原理主義は民族主義とほぼ同じである。本来ナショナリズムは民族主義の翻訳語であるはずだが、両者にはどう見ても同一視できない差が生まれているのである。

(続く)

「伝統と信仰 第九章 原理主義という名の民族主義」への3件のフィードバック

  1. 聖人君子のやうに見られるガンディーも
    稲垣武「革命家チャンドラボース」などを読んでみるとチャンドラ・ボースへの仕打ちなどにも
    明らかなやうに意見の違ふものにはかなり陰湿な権謀術を用いていた
    やうです、またインドの独立ってガンディズムではなく武装蜂起で達成されましたし
    過大評価には注意しなければなりませんね・・・

  2. トライチケさん
    ガンジーを聖人君子のように言うのは間違いだと思う一方で、彼の文明観などは西郷隆盛を見る思いがしてしまうのです。
    Kuantanさん
    本土決戦論は日本を考えるうえで大きな問題となることは確かだと思います。
    本土決戦を戦い抜く動機ともなるのも天皇であれば、自ら亡命するのではなく国民の命を救うために降伏を図るのも天皇なのです。天皇という存在の重層性を考えるきっかけともなりうるのではないでしょうか。

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