伝統と信仰 おわりに


おわりに

 本稿は全く不思議な論考である。私は「伝統」とか「信仰」というものを様々な言葉で言い換え、様々な論客の考察を抜き出し、執拗にこの言葉のもつ意味合いを明らかにしようとしてきた。だが、書けば書くほど生半可な知識でわかった気になることを怖れるようになり、ためらいがちにしか語れなくなっていく。何度も、様々な個所に「~かもしれない」とか、「~なのだろう」と付け足した挙句、やはりそれでは良くないと断言する口調に変える。そんなことばかり繰り返して本稿は書かれた。

 大東亜戦争での敗北は何よりも日本人の信仰に大打撃を与えた。日本人は未熟で近代化できていない民であるかのような教説が垂れ流され、信仰は儀礼的なものとなっていった。経済成長がそれに拍車をかけ、物欲を満たすことだけが重んじられる社会となった。ある意味日本人は資本主義的人間となっていったと言ってよかろう。信仰、信念を持つ人間など資本主義にとっては邪魔なだけである。労働者としても消費者としても信念のある人間は資本主義により排除される運命にある。新しいものをほしがらず、禁欲的で己の心を見つめようとする人間など資本主義にとっては何の役にも立たない愚物である。むしろ何のこだわりもなく、そこそこ流行に敏感で、ある程度の物欲を持ち、まわりとことを荒立てず己の思うところを主張せず会社の言うことを聞き、働いてカネを作り家族や恋人などに金銭を費やしそこそこの幸福を理想とする凡庸な、しかし消費者としても労働者としても理想的な人間のみが生産されることになった。日本人の信念、そして信仰を壊滅させたのは資本主義と高度経済成長だと言える。資本主義の中では皇室もまた物売りのための道具であり、皇后陛下が今上陛下(当時皇太子)とご成婚された際には「ミッチーブーム」なるものが起こった。だがそれは皇后陛下への人格的共感などではなく単純に皇后さまの来ているものと似たような服を着よう、というものでしかなかった。物欲にまみれた物売りの下郎により皇室すらも「ただのセレブ」とみなされつつあった。三島由紀夫はこうした現状に憤り自決したのであったが、それもすっかり堕落し切った当時の日本人により狂人のおままごとであったかのような批評も多くされることとなった。

 本稿ではさまざまな人物、考え方が登場し、それぞれ独特の世界観を以て国家もしくは社会を構想していたことを紹介してきた。むろんそれらが飯の種になるとは限らなかったし、またそれを主張したために不遇の生涯を送らざるを得なかった人物もたびたびいた。
 少なくとも戦後日本では「日本は和の国」という通念がまかり通っているように思う。だが日本は和の国なのか。もしくは和の国と言われる時の「和」とは一体何なのだろうか。
 統計学的にいえば日本人が集団主義的であるとか他者と協調しやすい民族であるなどというのは全く根拠がない。むしろ高度経済成長期においてすら、日本ではマスコミで言われるほどには「カイシャ人間」は多くなかった。戦後日本人にとってカイシャはあくまで欲望を満たす道具であり、職業に信仰的情熱をささげるわけではなかった。かといって職業以外の所に信仰を見出したわけでもなく、ただ人よりちょっと良い車に乗るとか、その程度のちっぽけでつまらないことに情熱をささげてきた70年であった。
 もちろん、「そもそも論」を言えば個人主義と集団主義、協調と自己主張が対立するかのような二分法は安直にすぎる。しかし私には「みんな仲良く」的な「和の国」が戦後急造されたイデオロギーに思えてならない。
 戦後日本は武力を禁止され、軍事面での国際的主張を訴えるだけの力を失った。力の後ろ盾がないということは結局発言力の後ろ盾もないということである。その結果として戦後日本は強者への追従とそれを国際協調とすりかえる詭弁を以って自己をなだめる必要に迫られる。「和の国ニッポン」はまさに戦後的産物であり、戦後の惨況を慰撫するために作られた「偽りの自画像」である。少なくとも「自己主張をせず、他人と仲良く協調的で空気を読みながらやっていく」姿は「戦後日本」的であるかも知れないが「日本」的ではない。現にいかなる外来思想も外来宗教も日本化して習合していったではないか。土俗信仰である神道は未だに息づいているではないか。もともと外来宗教であった耶蘇教に完全に制圧され土俗信仰の姿はほとんど見えなくなってしまった欧州とは雲泥の差である。強い自己主張と心に秘めた信念がなければ圧倒的な外来の力に負けてしまうのである。あえて言えば日本人は自己主張が強い民族である。決して周りと仲良くやるだけの無節操な民族ではない。
 「和の国ニッポン」を押し付けられた日本は陰惨で救いようのない社会となった。政治外交面で何も国際的影響力がなくなれば、今度は金儲けだとばかりに銭ゲバ根性をむき出しにした。そのために労使協調を謳い会社経営者に都合のよいように雇用構造も変化していった。そうやって高度経済成長は起こった。「和の国ニッポン」の姿とは国外では国際協調と銘打って米国に媚を売り、他国には虎の威をかる卑劣国家になり下がった姿であり、国内では上司の意向、社の意向、妻の意向、親の意向、同僚の意向…にしばられるあわれな賃労働生活者の姿である。「和」の名のもとに、従業員が奴隷化された姿が「日本型雇用」と呼ばれるものである。「和の国ニッポン」とはまさに日本を堕落させた張本人ではないだろうか。聖徳太子の「和を以て~」の語はむしろつまらぬ党派心で争わずにいることで自分の思うことを述べあって良き政治を行おうという趣旨のものだった。だが戦後日本の「和の国」とはそれら昔の日本人が編み出した和の倫理にすら反している。日本人には己の信じるところに生きてきた諸先輩がいるではないか。主張する自己を収める必要はない。国内にも国外にも日本人にはもっと自己主張が求められている。

 本稿は愛国の不可能性を論じたものとも言える。我々の生活はすでに愛国心の源泉であり共同体の母体である、故郷や自然と断絶されている。過去から受け継がれた敬神の生活は取り戻すことができないのではないかと思うほど遠くかなたにある。まずはこの困難な状況を自覚することから始めなければならない。我々の生活は土着から切り離され、グローバリズムが常態化した中にある。それは市場が国境を自在に超えるということだけではなく、各地方の共同体を横断し、違いを少なくしていく方向にある。その結果、利便性は確かに向上したが、その対価として我々は根なし草となり、どこまで行っても政府と市場ばかりで国家が見いだせなくなってしまったのである。言論も、政局や株価の占いのようなことしかできなくなっていくに違いない。伝統と信仰はその中で失われてしまったものの代表格であろう。伝統や信仰を知るということは、決して物理や自然科学を知るような客体化された何かを知識として得るということではない。伝統や信仰を知るということは、己の心が問われるということなのである。客体化できない何かにぶつかって、自分の存在が歴史という大河の一滴に過ぎないことを知るということである。そうしてはじめて、自己主張は自己利益を超えた立場からの発言となるのである。

 もうすでに本稿の中で述べたことではあるが、最後にあえて改めて述べよう。現代は伝統と信仰が大きく欠落した時代である。人々は資本主義的な自己利益の充足に馴れきって、大いなる大望を抱くことを忘れている。日本人の、そして人類の精神の救済は後回しにされている。
 だが、だからこそと言ってよいが、現代は伝統と信仰の時代なのである。伝統や信仰が著しく退潮しているからこそ、村の有力者が言っているからとか、そういう世俗的理由にさいなまれず、真摯に伝統と信仰について追究することが可能になるのである。
 人は、いつも「今ここにない何か」を求めて彷徨うものである。現代という道徳的荒廃の時代に生まれ落ちたとき、果たして真実なるものとは何か、信ずべきものはあるのか、利害関係を超えた価値はあるのか、という問いが自然と湧き上がってくる。その時に、伝統と信仰の種がその人の心に植えつけられる。あとはそれが芽吹いて大きく育つまで、静かに水をやり続けるだけだ。

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