日本文化を重んじるということはむやみに外来のものを排するということではない。もちろん日本が元来有しているものを大切にすべきだが、「日本らしさ」を重んじるということは何もかも外来のものを排するということではない。飛鳥時代、聖徳太子による憲法十七条や三経義疏、法隆寺の仏教文化も外来の単純な模倣ではなく、独自の日本精神による当時の世界文化の選択であった。明治時代の文化も西洋の模倣と見られがちであるが、大日本帝国憲法を初めとして、外来を学びつつも改めて日本的自覚を身につけた時代であった。このことを指摘したのは蓑田胸喜であるが、まさに正しい見方といえよう。
むしろこうした強い自覚による外国からの文化の吸収ではなく、浮ついた外国崇拝と自国に対する軽蔑感情を基にした外国文化の模倣が行われたのは大正時代であり戦後であった。此の二つの時代に共通することは資本主義と共産主義と言う、国境を無視する二つのグローバル思想のどちらかを信奉しなければならないかのように考えられた時代だと言うことだ。
戦後日本はアメリカの従属下に置かれてきたが、一方で経団連などの巨大資本や自民党の政治家などを筆頭に、アメリカに自ら進んで従属してきた部分を見逃すわけにはいかない。財界や自民党はアメリカと「持ちつ持たれつ」の関係を築き、憲法を改めず、日米同盟体制を温存し、TPPに参加するなど、日本を自ら売り渡し続けた。それは彼らの思想的信念から行われたのではない。彼等は自己利益にしか関心がなかった。自己利益に有利と見れば平気で国を売り渡すし、不利と見ればかつての繊維交渉のように国益を振りかざし立ち向かうのである。彼等は所詮自分たちの利権を守る存在であり、国を守る存在ではない。
次の陸羯南の言葉は当たり前のことを言っているに過ぎない。だがその当たり前が通用しない時代だからこそ新鮮に響く。
「世界と国民との関係はなお国家と個人との関係に同じ。個人と言える思想が国家と相い容るるに難からざるが如く、国民的精神は世界即ち博愛的感情ともとより両立するに余りあり。(中略)国民天賦の任務は世界の文明に力を致すにありとすれば、この任務を竭さんがために国民たるものその固有の勢力とその特有の能力とを勉めて保存し及び発達せざるべからず」(『近時政論考』)
日本が日本らしくあることが世界文明に対する貢献なのである。