右翼から国士へ 三


右翼左翼保守革新などもうない

 松尾匡は『新しい左翼入門』の中で右翼と左翼の定義について書いている。要約すると、右翼は世界をウチとソトに分け、ウチを擁護する思想であり、左翼は世界をウエとシタに分け、シタを擁護する思想だという。その上で、「本当の右翼ならば、「ウチ」の内部では、共同体としての団結と助け合いを求める。したがって、その団結を乱す競争は制約しようとするし、共同体が「上」と「下」に分裂していくことを肯定したりはしない」という(254~256頁及び254頁にアドレスが紹介されている著者ウェブサイト参照)。まさにその通りだ。
 しかし、例えば戦前の「右翼」と呼ばれた人たちは欧米のアジア侵略に義憤し、欧米に対抗することを訴えた。いわゆるアジア主義と言われる主張である。アジアをウチと考えて、ソトである欧米に対抗する思想だ。また、日本の社会主義者と呼ばれる人たちは、少なくともその初期はあくまで日本国内のウエとシタでシタを擁護する存在であった。シタの国民の生活が向上すると言って支那事変に積極的に賛成した人物もいた。原則は松尾氏の言うとおりだろうが、論者が何を念頭にしていたか、慎重に考える必要がある。
 例えば若き日の葦津珍彦は「日本民族の世界政策私見」で日英同盟を「アングロサクソンの利益のために、印度民衆を抑圧せしむべき義務を承認した」と厳しく批判しつつ、併せて「民族の地位と歴史と現勢に鑑み、遠き将来をも慮り、天地の正道に立ち、根本国策を練り、上日本天皇の御裁可を仰ぎ、絶対不可侵の根本国策を確立」しなければならないと説いていた。そのためには「内政の改革の断行」が必要であり、「外に、暴風雨の如き重圧を迎へ、内には資本主義のために激成せられし「階級の対立」を放任したならば、何を以てか民族の独立を保ち得るの途があらうか」と論じていた(『神道的日本民族論』14~15頁)。ここでの葦津はアジア主義的主張を出発点に反資本主義的主張に着地している。右翼と左翼の原理原則は松尾氏の通りなのだが、論者の意図によって簡単にかつ大胆に飛躍可能な分類であると言わなければならない。

 冷戦が崩壊してから、もう長い。共産主義対民主主義と言った二項対立はもはや通用しない。左翼の敗北と共に親米右翼が勝利を収めた形になっている。しかしそもそも民族主義において、「米国に甘く、支那朝鮮に厳しい民族主義」などありえるのだろうか。しかしこの少しゆがんだ民族主義が小泉・安倍時代の特徴である。世界の国々の国益を破壊しているのは米国なのに、それに対する義憤がない。むしろ米国についていくことが「現実的」だと思っている。確かに「現実的」ではあるだろう。だがそれを唱えるネット右翼や親米保守は政治家でもなんでもないのだ。国際情勢を評論してみせてそのあと「日本は米国と共に特亜に立ち向かうべきである」と「現実的」に語られた日には、私には腹に一物のこらざるを得ない。一体、「現実」とは何なのか、考え込まざるを得ないのである。彼らの思想的根幹が伺えず、何か底が見えない恐ろしさのようなものを感じてしまう。靖国に祀られている英霊は半分以上が米国に殺されたのである。今現在のご皇室が「象徴天皇」などと呼ばれているのもアメリカがしたことである。断じて特亜がしたことではない。彼らは一体、英霊に何を祈るのだろうか。「思想的根幹」を常に重んじる意見は少数派なのかもしれない。少なくとも私はネット右翼のように特定の民族に対する差別的な発言はしないし、言う人が理解できない。彼らは「死ね」と言いながら朝鮮人を一人も殺さなかった。家には包丁という凶器があるにも関わらずである。言行不一致であり、自分の発言に責任も持てない愚か者である。「言論の自由」と言うが、こんな自分の発言に責任も持てない輩に発言の自由はないし、彼らを認めてはいけないと思う。それは「無責任な発言」を擁護したと言うことであり、自分がしている発言も無責任なものである、という印象をもたれてもやむをえない。
 このことはネット右翼に限ったことではない。もはや冷戦は体験的事象ではなく歴史的事象である。人は己が正しいと思うことを述べれば良いのであって保守とか革新などはどうでもいいことである。しかし右翼的、左翼的と罵倒し合わなければ政治家も政治論壇誌も成り立たないと考えられている。だから未だに三文芝居が国会でも論壇でも行われているのである。これでは論壇誌の低調も当然ではないだろうか。右翼左翼保守革新などもうない。むろんこれらを意識しつつ「右翼左翼どちらも極端で間違っている」などという日和見な態度も成立しえない。わたしは右翼でも保守でもなく、左翼でも革新でも無く、ましてや中道でもない。

(続く)

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