学問は出世や生活のためにするものではない。己を磨くためにするものである。このことは深い真理であるが、口で言う以上に行うことは難しい。
親などの家族は学問を功利的動機のために行うことを期待する。学問は給料の良い会社等に入ってもらうためのものであって、決してそれ以上ではない。家族は、己を錬磨するような学問を行うことを期待しないし、あらゆる手段でそれを行わないよう妨害するものである。さらには、人が学問しているにもかかわらずカネを稼げない存在だとわかった瞬間、人をごくつぶしとしか見なさなくなる。「浮世の沙汰も金次第」と言うが、家族の縁もカネ次第である。嘘だと思うなら無職になってみるがよい。家族がどういう態度を取るか、わかるはずだ。「家族なのだから助けてくれるはずだ」と薄甘い期待を抱くのは、大きな間違いであったことに気付くはずだ。
友人は名利を求めて派閥を作ろうとする。コネを作ってその縁で何か自分に有利な方向に動いてもらおうと期待する。これまた人は利用価値や肩書で判定されがちであり、そういうものが無くなった人間には誰も見向きもしない。
いささか悲観的なことを書いてしまったが、人間にはそういう冷酷薄情な面があり、そこから逃れるのはとても難しいということだ。
おそらく無職になってしまった人に対して、赤の他人のほうがごくつぶし呼ばわりはしないだろう。腹の底でどう思っていようが、他人に対してあえて波風を立てるような人は多くないだろう。むしろ家族という、一生無関係ではいないという親愛の情が、かえって人を傷つける言葉を放つきっかけになってしまう場合もある。心配、不安な感情が自分と違うことだと突き放してみることを許さないのである。
友人も同じである。コネを期待すると言っても、おそらくほとんどの人は完全に利害関係だけを念頭にコネを求めたりはしない。利害の計算以前に何らかの理由で親しみを抱いている人を選んだうえで、つながりを求めていくはずだ。あくまでコネクションの構築は二の次であったはずが、いつしか自らの欲望に取り込まれてしまう。
人の心の弱さが、利害を超えていたはずの感情を利害関係に引き戻すのである。
亀井勝一郎は「人間は真理より世評を恐れる。ほんたうに、いつでも真理を恐れるようになったら偉い。」と言った(『亀井勝一郎全集』二巻442頁)。悪評を恐れないのはむしろ易しい。難しいのは自らを良く評価していただいている人の意見に寄り添わないようにすることである。つい筆を曲げて、読者の意見に寄り添ってしまう。嘘をつこうと思って寄り添ってしまうのではない。自らが読者の側に引きずられてしまうのである。それは悪影響ばかりではない。それによって世界が広がる場合の方が多い。それでも、いつか耳障りのいいことばかり言っていられなくなる。
それだけではない。なんだかんだ言っても家族や友人はかけがえのないものである。しかし、かけがえのない存在だからこそ、それらの意見に引きずられないことも難しくなっていく。
人間社会に渦巻くのは悪意ばかりではない。だが善意ならばすべてがうまくいくとも限らないのだ。そして人の善意が学問の励みになる場合もあるが、妨げになる場合もある。人が生きるということが既に真理から遠のくきっかけにすらなる。
※3月7日少々追記致しました。
地獄への道は善意で舗装されている、とはよく言ったもんですよね。
人を取り巻く人々やコミュニティの暖かさや善意が、逆にその人を利害関係で絡めとり縛り付けるのはままあることです。
政治家や評論家、言論人を見ても、「この人、支持者の意見に引きずられてんなー」と感じることは多いですし。
Nさん
コメントありがとうございます。
「支持されている」ということは本当に稀有な、ありがたいことではあるのですが、そこにもう歪みが始まるきっかけが潜んでいる…。とても難しいことです。支持されなければ何も始まらない。しかし支持されたとたんに歪み始めるのですから。
たしかに「地獄への道は善意で舗装されている」のかもしれません。しかし、ひょっとしたら舗装している方も地獄にいざなっているとは思っておらず、天国にいざなっているつもりなのかもしれません。
だとしたらとても皮肉なことです。
あまり冷笑的なことばかり言っていても何も前には進みませんが、そういう危険性を改めて思うこともまた大事なような気がしております。
名無しで済まないですが、いくつか問うてみたいことがあり質問しますね。少し前の記事でも「国士」とか古臭い言葉にこだわっていることからしても、あるいは岩田みたいな二流の人物に触れてたけど、あなたは大東亜戦争の肯定派ですか?別にそれが悪いとは言わないが、その主張に理論的一貫性は見られないですよね?ぜひあなたの歴史解釈を教えてください。
それともかかわるが、バークの言葉に「祖先を顧みようとしない人々は、子孫のことも考えないだろう」というのがあります。この正しさは国を問わないと思います。バークを敢えて無視して、亀井とか陸とか箴言の一つも残せなかった人物にこだわるのはあなたが白人嫌いだからですか?岩田なんかにはあくまで間接的に触れているようですけどね
一人のバーク主義者さん
別の方かも知れませんが、少し前にも大東亜戦争の評価について聞かれました。
ミクロに見れば数々の誤りはあったと思いますが、マクロで見ればおおむね正当性のある戦争だったのではないでしょうか。
あと、私は思想に国籍があるという考えですので、外国人の思想家は好みません。『論語』くらい長年日本人に読み込まれていれば話は変わりますが。
私自身の話で言えば『フランス革命の省察』『自然社会の擁護』他何冊かは目を通してはいますが…。