【巻頭言】河上肇の生き様―愛国心と愛政権の境目(『維新と興亜』第3号)


■河上肇のナショナリズムとマルクス主義
 昭和八年十月、マルクス主義者河上肇は懲役五年の思想犯として小管刑務所に着いた。このとき五十五歳。この年にして三畳一間の生活に甘んじることになったわけだが、意外にも河上は明るかった。
 ありがたいことに便所は水洗だ。この便器をイスにして、洗面台を机にして河上は日々の記録をつけ出す。
「これが向こう三年間のおれの幽閉所か。よしよし持ちこたえてみせるぞ!」
 獄中で河上が愛読したのは陶淵明の漢詩であった。繰り返し繰り返し低唱し、その詩の韻律を味わった。その後は陸放翁(陸游)の詩を愛す。陶淵明も陸放翁も愛国詩人とも呼ぶべき存在である。同郷の吉田松陰を生涯敬愛した河上にとって、マルクス主義と愛国主義は両立するものであった。
 河上は晩年、『自叙伝』で「私はマルクス主義者として立っていた当時でも、曾て日本国を忘れたり日本人を嫌ったりしたことはない。寧ろ日本人全体の幸福、日本国家の隆盛を念とすればこそ、私は一日も早くこの国をソヴィエト組織に改善せんことを熱望したのである」という。
 河上にとって、ナショナリズムとマルクス主義は両立可能なものであり、最後までナショナリズムを捨てることはなかった。
 「愛国心というものを忘れないでいて下さい」。
 河上はかつて島崎藤村にこう説教したこともあった。藤村に留学先で出会って、藤村に「もっとよくヨーロッパを知ろうじゃないか」と話しかけられた時に、答えたのがそれである。ヨーロッパに憧れる藤村に、内心ムッとする河上の姿がよくわかる。
河上肇

■道徳と農業を重んじた河上肇
 振り替えれば河上肇は『貧乏物語』で、「人はパンのみで生きるものではないが、パンなしで生きられるものでもない。経済学が真に学ぶべき学問であるのもこのためだ。一部の経済学者は、いわゆる物質文明の進歩―富の増殖―のみを以て文明の尺度とする傾向があるが、出来るだけたくさんの人が道を自覚することを以てのみ、文明の進歩であると信じている」という。河上は、富さえ増えればそれが社会の繁栄であり、これ以上喜ぶべきものはないという考え方を批判した。道徳を衰退させる経済思想では理想の社会を作ることはできないのである。
 さらに遡れば河上肇は大学卒業後、農科大学の講師について横井時敬の指導を受けた。そのときに書いたのが『日本尊農論』である。河上肇はそこで農本主義的議論を展開していた。河上の原初は農本主義であった。

■財産奉還論の先駆け
 河上は若い頃から尊皇的発言を繰り返し、天皇への私有財産への奉還を主張する。河上は『貧乏物語』を書く以前に書いた「現の世より夢の国へ」と題されたメモの中では次のように語る。
 「ソコデ最後二話ヲ夢ノ国二引キ入レテ、然ラバドウシタラ善イカト云フニ、私ハ此ノ天下ノ生産カヲ支配スル全権ヲバ、凡テ 天皇陛下二帰シ奉ルコトニシタイト思フ。恰モ維新ノ際諸侯が封土ヲ皇室二奉還シタヤウニ、今日ノ経済界二於ケル諸侯が其事業ヲ国家二奉還シテ、世俗ニ謂フ三菱王国ノ主人モ、三井王国ノ主人モ、其他一切ノ事業家資本家ガ悉ク国家直属ノ官吏トナリ、カクテ吾々六千万ノ同胞ハ億兆心ヲ一ニシテ働ク、悉ク全カヲ挙ゲテ国家社会ノ為二働ク、其代リ其レゾレノ天分二応ジ必要二応ジテ国家ヨリ給与ヲウケテ、何人モ貧困線以上ノ生活程度ヲ維持スルト云フ、サウ云フ世ノ中ニシタイモノト私ハ切望シテオリマス」。
 こうした河上の思想は戦時中皇道経済学を主張した作田荘一や、『財産奉還論』の著書がある遠藤無水などにも影響を与えたのである。
 河上自身は同胞愛というところに異常なまでにこだわった人物であった。河上は常に同胞愛を説き、大学生の時などは足尾鉱毒事件での田中正造の演説に感激して、自分が着ている襟巻、外套、羽織まで寄附してしまう。
 「いかに無告の民を救うか」。
 そうした草莽の志が、河上の義侠心を支配していた。
そんな河上の説く経済が、貧富の格差を野放しにする「自由競争」に甘んじるはずがない。
 「人々の幸福に経済学をもって貢献しよう」。
 これが河上肇の志であった。

■マルクス主義に影響され…
 しかしそんな河上の人生は屈折していく。
 大正十四年には櫛田民蔵に、河上肇の「マルクス主義解釈は間違っている」と痛烈に批判され、マルクス主義を学ぼうと発奮する。その過程で初期の傑作『貧乏物語』を自ら絶版にし、京大教授を辞め、日本共産党に献金、入党する。日本共産党の検挙によって党員が逮捕され、河上は入獄する。冒頭の場面はそれである。
 もはやソ連が登場して以降、政治は資本主義陣営と共産主義陣営に染め抜かれ、どちらかを選ばねばならないような空気が社会を覆っていた。その中で河上の出処進退にも影響を与えられざるを得なかったのだ。
日本型の経済を目指す動きは戦時中の統制と愛国心高揚の時代を待たなければならなかった。もちろんこの時代も、軍部の影響下を否定できないゆがみを抱えた時代であった。
 ある意味ではソ連の登場は河上肇を財産奉還論者からマルクス主義者に移行せざるを得なくさせてしまったのだ。

■日本独自の経済論へ
 話は現代に飛ぶ。
 小泉内閣以降の新自由主義政策により、国内の貧富の格差は開き、社会は富める者と貧しきものとに分断されている。冷戦でソ連が崩壊して以降、資本主義を極限にまで推し進めようという動きを抑制する力は弱くなり、資本主義の弊害が露わになった形だ。そしてそれに今回の新型コロナウイルス感染拡大による経済の疲弊が重なり、国民経済は瀕死の重傷状態にある。
 ひょっとしたら中流層を厚くしていく経済政策よりも、一握りのアイデアに満ち溢れた企業家が経済を牽引し、残り大多数の人間は彼らの手足となって働く方が効率的で豊かになれるのかもしれない。だがそれで望ましい社会は手に入るだろうか。また、同胞愛はあるだろうか。同胞の窮状に心を痛めずして愛国が語れるのだろうか。同胞愛は自己利益を超えたところにある。単に物質的豊かさだけではなく、社会を構成する者として、各人が居場所を持つことは効率よりも重んじられるべきことだ。
 同胞愛のない人間が語る「愛国」など、政権への媚び諂いと何が違うのか。
 内田良平は大日本生産党の結党に際し、「今や国民はすべて餓えてゐる。経済は破綻している」と説き「非常時経済対策」として窮乏国民の負債の整理や公営事業による失業対策、一時的な生活必需品の配給にまで言及している。マルクス主義か資本主義かなどという冷戦期の古びた頭から自由になれば、いま取るべき経済政策が新自由主義ではないことは自明であるように思われる。
 河上肇の生きざまに共鳴できるか。これが「愛国」と「愛政権」を分けるカギであるかのように思える。
(小野耕資)

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