人はひとりで生き、ひとりで死んでいく。
人は本質的に孤立している。
人の心は、誰にも理解されない。
時に伝わったような気にもなるけれど、それは気がするだけ。それ以上の確信など得られるはずもない。それは親兄弟や師弟、親友、夫婦恋人ですら変わることはない。
本人ですら、自分の心を理解できないでいることは珍しくない。
だからこそ人は理解を求め、愛情に飢え、共感を欲しながら、孤立のまま死んでいく。
では不確かな理解や愛情、共感を欲するのは愚かなことだろうか?
理解を望まぬ人生は、気楽かもしれないが、気楽なだけだ。冷たい傍観者の人生だ。苦境に陥っている人がそばにいたとして、それを救いたいと思う心、冷たい傍観者でいられない心もまた、自分の心なのだ。
利害関係だけで人は動くわけではない。
人は最後は己の心に殉ずるよりないのだ。生き様は、誰に支配されるわけでもなく、ただ自分すらわからぬ己の心の声に導かれていく。
時に冷たく、時に温かい自分の心のままに…。