伝統、共同体の力―資本主義は絶対の真理なのか


人は社会にさまざまな形でお世話になってようやく生きている。それはまるで社会に応援されているかのようだ。

現代は個人主義がはびこり、「個の力」が重んじられる時代だ。それは悪いことばかりではない。コネだけでよろしくやることは通用しなくなるし、虎の威を借る狐のような疎ましい連中も減る。「何となく気に入らないから」と悪口を言われ潰されることもない。お偉いさんの私的都合に振り回されることも減った。
しかしそれでも、社会なくして個人などないのである。そんな時代だからこそ、「誰かのために自分の役割をまっとうする」生き方は、貴重なものとなる。
現代でもっとも「誰かのために自分の役割をまっとうする」生き方をされている方こそ、ご皇室の方々である。私を慎んで役割をまっとうされる美しさは、総理大臣以下の臣下にはとうてい真似できないものがある。
皇室は国民の共同感情を背負っておられる。皇室を抜きにして日本の共同体を語ることはできない。国民は天皇の赤子なのである。
国民個人の上に家族があって、地域共同体があって、国家がある。そうして同心円状に共同体は広がっている。そしてその同心円状の共同体を貫く芯のようなものが、伝統や文化、信仰といった聖なるものである。この芯を失ったら、すべてがバラバラになってしまう。
こうした伝統は利己主義を抑えるものであったが、高度経済成長の「成功」とともに影響力が薄くなり、代わりに利己心を充足する市場の力が強くなってきた。企業風土は家族的とはとても言えないものになり、従業員は交換可能な部品となっていった。
こうした伝統的人付き合いが減ったのは市場社会のひとつの目標であった。商品経済は人付き合いをサービスや商品に置き換えていった。一旦サービスや商品に置き換えられてしまえば、次第に効率化が進み、テクノロジーによって担われるようになる。そうなると、企業はテクノロジーに投資し、労働力(人間)に投資しなくなる。そうして給料は上がらなくなってくる。政府の財政出動的施策は対処療法として有効だが、わたしは本質的解決には繋がらないとみている。
やはり資本主義の常識から離れて、伝統や共同体の力を今一度見直すことが必要なのではないだろうか。

「伝統、共同体の力―資本主義は絶対の真理なのか」への6件のフィードバック

  1. 反資本主義として、資本家やサラリーマンを憎むことが商人を賤しむことに繋がれば、周り巡ってまた同じことになると思います。
    士族が間違った幕政を正すために先ずは武士道に学ぶことと同じく、商人が腐った商業を正すためには過去の義商の姿に学ぶべきであると僕は考えます。商人が武士道に学ぶことが絶対に悪いとは思いませんが、人格がいたらなければ、役人仕草を覚えるだけに終わってしまうのではないでしょうか。
    全員が軍人になることが難しかったのであれば全員が商人になることも難しいことで、全員が農家になることもまた人間社会に無理を生じさせることでしょう。
    食材の市場を見るに商人の命は人間の活気でありますが、民間人の役人仕草はこれを殺そうとしますので、商業者は武訓というよりも大橋淡雅先生の『淡雅雑著』などの商人の道義を見直した方が有意義であると考えます。

  2. 欧米の主義の思想が蔓延る世界の大問題に関しましては、これはローマ化された白人の思想に問題の根があるのであって、近代化を通して彼らはこれから脱したつもりでおりますが、結局は唯一神教的な善悪観を振りかざして、そこから全ての物事を理解しようとする癖は全く抜けていません。
    科学人ならこうあるべき、市民ならこうあるべき、人民主義者ならこうあるべきと、彼らが異分子に耳を傾けることはありません。
    こういうことで、欧米型社会とは実はのっぺら坊が支配する世界なのであります。自分たちの権力や利益になれば、社会思想やその根本経典はなんだって構わないのです。このような律法は自力で考え出したことではありませんので、その失敗の責任を取る必要もなく、彼らグローバリストは、一たび国が窮地に陥いれば、異国へ移動して、利益が無くなれば、また何処かへ移動します。

  3. 僕は、この「白人種の移動」を歴史の問題と見做しておりまして、はじめのうちはローマによるの圧迫に原因があったかもしれませんが、ローマの滅亡後から今日にいたるまでも移動をやめようとしないのはどういうことなのかと思うのです。
    白人種の大欲望は、遂にはアメリカ大陸にも収まらなかった事実が明らかになっておりますが、彼らはこのことを説明せず、自由に関する標語を掲げては答えをはぐらかします。
    また、商人とグローバリストの異なる点は地縁や国柄に基づく信仰の有無にあるのではないかと僕は考えています。同じ国に住み、同じ言葉を使い、同じ衣服を着ていたとしても、彼らグローバリストにはこれがなく、一体何人なのかが疑問に思うところがあるからです。

  4. たとえ彼らが自身のことをコスモポリタンであると説明したとしても、分からないもの分かりません。彼らが勝手に古代ギリシャの政治思想に心酔して、そこに人類の真理を見出しているのならば、奴隷の習慣も同じく大事にしているのだろうと皮肉をいうの他ないです。
    日本人の欧米かぶれを揶揄されて久しいですが、白人(大陸人)こそがそのローマ性を破棄して、イスラエルの神をイスラエルへ還し、白人本来の文化を見直すべきなのであります。
    全く現実的はありませんが、白人の移動を制限するためにはどうすればよいのかを考えない訳にはいきません。白人をヨーロッパに幽閉すべきと言えば、語弊がありますが、彼らが祖神を知り、故郷に根付くことは何も悪いことではないのです。
    駄文を長々と書いてしまいまして失礼致しました。応援してます。

  5. はじめまして。
    まさに中田様のおっしゃるとおりで、伝統的共同体の復権は、重要であると思います。
    さらに遡って考えるなら、西欧的個人主義が本当に素晴らしいものであるかについての考察は、欠かせないのではないでしょうか。私が思うに、明治以来西欧に振り回されっっぱなしのような気がします。外来文化との葛藤はどこの国でもあることなのでしょうが、我が国に於いては、西欧を絶対的上位者においたがゆえに、苦しみは深刻になってしまったように思います。

  6. >>YS様、藤原様
    コメントありがとうございます。
    まさに現代資本主義は国柄も信仰も故郷も文化も道徳も忘れ去り、カネ儲けに走っています。
    その原因として、一つはアダム・スミスの「神の見えざる手」に国柄等を考える概念がないことが挙げられます。アダム・スミスは倫理を重んじる人間だったようですが、そちらは忘れ去られています。
    もう一つは、市場のプレイヤーが個人から、株式会社という国柄等のない無機質な存在に変わったことが挙げられます。個人が担う商売と法人が担う市場競争はだいぶ質が異なることを踏まえなくてはなりません。

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