年功序列について


経団連もトヨタも「年功序列の維持は不可能」だというようになってきている。
だが、欧米でも年功序列終身雇用というほどかっちりした仕組みはなくとも、高年齢者の雇用はある程度保護され、首になりにくい状況となっている。
国民の大半は凡庸で、そもそも仕事なんか生活に支障がない範囲でしかやりたくないと思っているものだ。スキルアップの意欲に溢れ、より利益をあげるために寸暇を惜しんで働く人などごく一部である。それを失業と賃下げの恐怖で無理やり働かせてきたのが、資本主義の偽らざる姿である。もちろんこれは年功序列だろうがそうでなかろうが大同小異だ。しかしそのなかでもとりあえず凡庸な人間でもそれなりにやっていれば家族を養えるだけの収入を得ることができる雇用を確保することは重要だ。
ようするに民政とは、こういう凡庸な人間でもいかにその能力を発揮してもらえるだけの環境を整えるかだ。それは稼いでもらいGDPを増やしてもらうというだけでなく、子供を育ててもらうことなどあらゆることを含めた総合的見地から考えられなくてはならない。

それを資本の論理に委ねればすべてうまくいくなどと考えるのは妄想である。なぜなら資本の論理では家事や子育て等直接カネを稼ぐ行為ではないことが軽んじられるからだ。
資本の論理に委ねた社会とは、1%が残り99%の富を独占する奴隷社会である。それでもよいなどと考える下劣な輩とは根本的に相容れないのだ。
解雇規制があるから経営を圧迫するのだとか(本稿とは関係ないが)法人税が高すぎるとか、そんな寝言に耳を貸す必要はない。そんなのはサラリーマン経営者を甘やかしているだけだ。社会的責任を放棄した企業に未来はない。

「年功序列について」への1件のフィードバック

  1. 「日本型雇用は崩壊した!」などと叫んでいる人間に限って、安全圏にいるのが腹立たしい限りです。このような血も涙もない輩が民間議員などと称して官邸に入り込んでいるのは、まさに地獄絵図です。だいたい財界人ごときが、ここまで国政に容喙していいんでしょうか。

コメントを残す