明治時代の自由民権運動の、民選議院設立建白書には以下のような一節がある。
臣等伏シテ方今政権ノ帰スル所ヲ察スルニ、上帝室ニ在ラズ、下人民ニ在ラズ、而独有司ニ帰ス。夫有司、上帝室ヲ尊ブト曰ザルニハ非ズ、而帝室漸ク其尊栄ヲ失フ、下人民ヲ保ツト曰ザルニハ非ラズ、而政令百端、朝出暮改、政情実ニ成リ、賞罰愛憎ニ出ヅ、言路壅蔽、困苦告ルナシ。夫如是ニシテ天下ノ治安ナラン事ヲ欲ス、三尺ノ童子モ猶其不可ナルヲ知ル。因仍改メズ、恐クハ国家土崩ノ勢ヲ致サン。臣等愛国ノ情自ラ已ム能ハズ、乃チ之ヲ振救スルノ道ヲ講求スルニ、唯天下ノ公議ヲ張ルニ在ル而已。天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已。則有司ノ権限ル所アツテ、而上下其安全幸福ヲ受ル者アラン。請、遂ニ之ヲ陳ゼン。
つまり自由民権運動とは尊皇愛国の表現であって、薩長ら有司に限定せず、自分達にも政治をやらせろという宣言なのである。