明治時代以来、わが国は立身出世、富国強兵をスローガンに国を営んできた。その結果何が起こったか?地方の衰退である。それは人口減少に突入したいま、より顕著な課題としてわれわれに迫ってきた。
手入れがなされない里山は土砂崩れや獣害のリスクに直面している。地域共同体は最大のセーフティネットだったが、資本主義の論理を無邪気に適用するだけでは安心も幸福も手に入らない。山水の恵みは、人間社会に必要なものなのだ。
かつてアジアには「社稷」という発想があった。社稷は土地の神と穀物の神であり、王が祭祀権を持ったことで王の祖先神的性格を有したが、共同体共通の神であった。社稷は政府より上位の存在とされ、人民の生活の象徴である。新嘗祭などにも社稷の影響が感じられるものである。わが国では五・一五事件に思想的影響力を持った権藤成卿が社稷を重んじたことが知られる。また平田国学、佐藤信淵にも農本主義的側面があった。佐藤信淵は平田国学と出会い家学を発展させたのであるが、それは農政で万民の困窮を救うもので、幕府や藩といった小さな枠にはまるものではなかった。社倉のような共同備蓄にも深い関心を有していた。
戦後、こうした思想は「農本ファシズム」と嘲笑されるようになり、いつしか嘲笑すらされず忘れ去られることとなった。開発主義、経済成長絶対に対するアンチテーゼは生まれなかった。その結果が地方の軽視となった。
そんななか、田中角栄は地方に対する思いのある政治家であった。だが角栄の日本列島改造論は、要は地方に道路や鉄道を通すというものでしかなく、結果として地方の人間をますます都市部に送り込むかたちになってしまった。地方再生には、回復には、山水と共同体の力が必要なのではないか。
機械化によって忘れ去られているが、元来農業は共同労働の側面を持つ。家族や地域で連携して食物を植え、雑草を取り、収穫を行うのである。「社稷」は「家稷」であり、人の生きる意味を与えるものなのである。これこそが「自治」である。
近代文明は資本主義のアクセルのもと、暴走し続けてきた。それは確かに人々の所得レベルを引き上げはしたが、それと引き換えに自然や共同性を破壊し続けた。カネに依存しカネがなければ生きられない生活に陥れられた現代人は本当に豊かなのか。問われなければならない。