いま日本精神を語る意義について


日本精神を語るとき、その日本精神論を説教的訓話とするのではなく、その日本精神にしたがって、日本をいかに再建するのかを見据えたものにしなければならない。

国家は政治、経済、道徳、歴史、信仰、文化、思想、風俗等の結節点である。国家は政府とは異なる。日本精神を取り戻すということは、こうした国家を取り戻すということでもある。
維新とは日本的変革であるが、それは日本の民族共同体の中心である天皇を戴く変革である。天皇を戴くということは単に大義名分を手にするということではない。ある階級だけではなく日本人全体を救うという証左になるのである。
日本人のための日本、アジア人のためのアジア、世界人のための世界でなくてはならない。グローバル大資本に専制される世界を認めるわけにはいかない。
日本の大地、日本の森、日本の海、そうしたものがもたらす恵みで生きていく。そうした自然との繋がりが希薄化した。地産地消への転換が急務である。
日本の変革は日本人を救うという偏執にとどまってはならず、ひいてはアジア、世界をも目指すべきものである。
AIの発達は人をどんどん雇わなくて良い方向に追いやる。その果てに待っているのは、AIが働き、その上前をピンハネする一部富裕層と、AIと競争しなければならない多数の貧民に分断された社会である。こうした時代の登場は、人間が本来持っている共同体機能を大幅に減少させる。
そうした時代風潮への防波堤として、各国の伝統精神に立ち返ることは重要なのである。

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