土とともに生きるとは


ムスカ「終点が玉座の間とは、上出来じゃないか。ここへ来い」
シータ「ここが玉座ですって? ここはお墓よ。あなたと私の。国が滅びたのに、王だけ生きてるなんてこっけいだわ。あなたに石は渡さない!あなたはここから出ることもできずに、私と死ぬの。今は、ラピュタがなぜ滅びたのかあたしよく分かる。ゴンドアの谷の歌にあるもの。”土に根をおろし、風とともに生きよう。種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう”。どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ」
宮崎駿監督『天空の城ラピュタ』

人類は、科学技術を発展させ、ヒトモノカネが自由に行き交い、全能の「神」にでもなったかのような生活を手に入れた。だがその生活は、自然の脅威の前には屈しざるを得ない代物でしかなかった。
人類と文明はあるときまでは共存する生活を営んでいたはずであった。農業自体あるひとつの作物を栽培し、その他の植物を「雑草」と称して取り去ってしまう人為的産物であった。しかしそこには収穫の喜びと神への感謝があった。アグリビジネスと化した現代の農業がもっとも失ってしまったものである。家庭菜園のほうがまだ残っているのではないかと思うくらい、現代の農業は効率に毒されている。
それは工業とて変わらない。職人技で機械が操られたり、補修されたりした時代は過去のものとなった。現代に起こっているのは、むしろ「機械の都合のいいように」仕事が分断されて作業と化す現象である。機械を操っているつもりがいつしか機械に操られている人間の仕事の成れの果てである。端的に言えば人間が機械化したのである。機械化された人間は、もはや仕事で自分の運命を変えることはできない。現場に力がなくなり、マニュアルとコンプライアンスがはびこる世界である。
「土とともに生きる」とは、地に足をつけ、人間らしく生きようではないかという精神のことである。この精神の復活なくしては、人類は滅びへの道を歩むこととなってしまうであろう。

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