明日の草莽を奪う市場


わが国は皇室を中心とする国体であることは疑いようがないが、この基底には国をしたから支え続ける草莽の存在がある。彼等は八百万神の末裔であり、尽忠報国の士である。ところが、資本主義はこうした草莽をただの消費者に変えてしまった。
垂加神道は八百万神を皇室の祖先であり、草莽の祖先であるとした。天皇はシナの皇帝とは異なる存在だ。シナの皇帝の上には天があるが、天皇の上には天はない。天皇こそが天そのものなのであって、天皇の勅命はすなわち天命であり絶対に従うべきものであると捉えた。
それは草莽を単なる奴隷とみなしているのではない。天からの命は具体的な行動を規定するものではなく、精神のあり方を問うものである。天からの命をいかに実現していくか。それは一人ひとりの判断に委ねられている。現実的に天命を果たすことが不可能ならば、可能になるような状況に展開させればよい。そのために力を尽くすのが草莽の使命である。
われわれは抽象的、無国籍的世界に生きているのではない。日本に生まれ、社会生活を送り、死んでいく。日本人の一員としてときには政治に参加し、ときには友人と遊び、ときには仕事に精を出す。そうした生活のひとつひとつを見失い、GDPの成長率だの株価だの数字が独り歩きしてしまえば、その政治は国民生活から遊離した軽薄なものになる。
市場の競争原理による自然淘汰こそがリアルなのであって、そうでない議論は「きれいごと」であると、市場経済論者はいう。だが市場による損得勘定のみの世界には、そもそも積極的に参与しなければならない大義に欠ける。
市場経済には明日の草莽が躍動する余地はあるか。大義なき世の新たな国是は、市場経済からは生まれようがない。

「明日の草莽を奪う市場」への2件のフィードバック

  1.  今の世にもはや草莽といえる民などほとんどおりますまい。血や泥や汗にまみれながら、土に根付いて生きることを忘れたからです。
    都会のサラリーマンなどもっとも土から離れて生きている人々でしょう。
    しょせん都会の歯車に過ぎない労働者には、決して手の届かない天の高さを実感することも無く、人を生かすとともに容赦なく殺しもする、天への畏れを抱くことも無い。
    そのような環境ではどのみち天皇への尽忠報国の志など育つわけもなく、自分の先祖やその始祖たる八百万の神に思いを致すこともなく、結婚してセックスして子供を作ってなんとか家を残そうとする動機すらも失わせてしまいます。
    もはや民は草莽ではなく、ただの流れる浮き草にすぎません。

  2. >>1
    コメントありがとうございます。
    まさにおっしゃられる通りだと思います。
    それに加えて現代の経済システムでは、先祖代々農家で広大な土地を持っている等でもない限り、都会でサラリーマンになるよりないという方向におかれ続けてきたということです。
    恒産を持たず都会の歯車となってしまった労働者は、よほどの変わり者でなければ政府に反抗しません。せいぜい野党第一党に一票投じるが関の山です。
    かくして現代人の人生は、草莽とは程遠いところにおかれてしまったのです。

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