現在のような高度資本主義は、長く続けるわけにはいかないだろう。このまま行ったら、人類的自死が待っているように思えてならない。人類が持たないのか、あるいは地球が持たないのか、その帰結はまだ見えていないが、いずれにしても、資本主義の根幹である「自由競争」なるものは、結局勝者が勝ち続ける結果にしかならないし、ある一定の人々の犠牲なしには成り立たない排他的な仕組みである。「自由競争」が成り立つためには巨大な企業と、それに労働力を搾取される都市労働者の存在が不可欠であり、なおかつ個人自営業や農業などよりも都市労働者の方が生活が楽になるような政治面での政策支援も不可欠である。日本に限らず、あらゆる近代国家はその仕組みを作り上げることで繁栄してきた。そうした社会の登場は伝統主義者にとっても一つの危機であった。そうした危機を描いた小説の一つが、『夜明け前』だったといってよい。
『夜明け前』は平田国学の物語であるが、明治維新を齎した原動力の一つとなった平田国学が、文明開化を旨とする明治政府によってパージされていく様を描き、主人公青山半蔵は廃仏毀釈から「維新のやり直し」を目指すのだが、それはもはや狂人の所業としかみなされなかったという悲哀を描いたのである。青山半蔵が目指したのは「新しき古」であり、それは中世的(そして近代的)権力万能の世界観から脱し、自然と共に暮らしがあった素朴な古代的生活に還ろうというものだ。権藤成卿は「社稷」と言ったが、これらはそう大きな違いはない。東洋伝統思想には何か権力万能神話を破るアナーキー的情念を抱え込んでいるのである。
このように神道思想には、近代国家に収斂しえない、日本人の血肉になった情念のようなものを秘めている。それは、神道が農業や収穫といった近代産業に切り捨てられる側に土台を持っていることにも由来している。
神道における祭祀では神饌を奉献することが重要であるとされている。饌とは食事である。食事は自然がもたらす恵みを体内に取り込む行為であり、霊的な行為である。だから「食事をともにする」というのは単なる栄養補給をともに行ったこととは異なる、営為をともにする行為であり、性的な側面さえ連想されることもあるような所業なのである。収穫の一部を食事として神に捧げることで神の霊威は高められ、神と食膳を共にするという意味の直会(なおらい)を行うことで、神と人とは一体となるのだ。食事をカネで買っているという資本主義的世界観に立てば、「いただきます」「ごちそうさま」などという必要すらないし、食べ物に感謝を捧げる必要もないことになってしまう。現代は食品廃棄が異常に多い時代だが、生産効率ばかりが留意され食に感謝を捧げられないのは資本主義ならではというか、情けないことである。
話はそれたが神道的世界観の話に戻って、大嘗祭は各村で行っている秋の収穫を祝う祭りと類似し、天皇は農業信仰、神道信仰とも直結した存在を維持した。単に資本主義、産業主義を推し進めるだけではこうした日本文化、信仰、そしてその奥にいる天皇という存在との齟齬が生まれてくることになるのである。産土、祖霊、農業は日本人の血と信仰に結び付く存在ではあるが、資本主義と結びつく存在ではない。
ここで祖霊という言葉が出てきたので祖霊について述べよう。本居宣長は、人間は死ねば黄泉の国に行き、生者とは交わらないのだから死は悲しいのだと説いた。こうした世界観は唯物的というか、実に現世的なあっさりした世界観である。
それに対して平田篤胤は、人は生きては天皇の御民、死しては幽冥界に行き八百万の神の一つとなると説いた。しかもその幽冥界は生者の世界(顕界)と同じ空間にあり、ただ生者の目には見えないだけだとしたのである。つまり祖先は死者となってもわれわれの傍におり、われわれを見守ってくれていると説いた。この世界観の違いは重要だ。生者は世界を自分たちのものだと信じて疑わないが、しかし死者は生者とともにわれわれの日常を生きている。生者の周りにある死者との関係の構築、いうなれば祖霊を意識した形での生活を想定することが重要なのである。生者だけを重んじる世界観であれば自己利益的刹那的になっていくのも当然で、死者を意識した時に先祖代々から何を受け継ぎ、何を残していくかという発想にもなっていくのである。
本居宣長は自由競争的世界観に親和的で、そういった経済観も述べていたという話もあるくらいで、生者に依拠する唯物的世界観は資本主義と親和的である。しかし祖霊を信じる平田派の世界観はそうではない。平田国学からは続々と経世済民、農本主義を旨とし、商売を批判する論客が登場したのもそうした世界観と無縁ではない。宣長の世界観は平田派的自由競争否定とは対極的関係にある。
ご承知の通り平田篤胤は本居宣長の没後の門人と称し、夢の中で入門を許されたと自称したが、それは山っ気のあった篤胤の「営業上の論理」であって、真に宣長の世界観を受け継ぐ者とは思えない。
平田国学の世界観はむしろ(宣長入門以前に学んでいた)垂加派に近いのではないかと思えてならないのである。篤胤は神道に限らず、古史、天文、暦学、地理学、民俗学、兵学などあらゆる学問の総合商社で、そうした側面も垂加派と類似している。あくまで歌学と神道をもとに発展した国学とは違った側面を秘めている。篤胤は垂加神道を表面上結構厳しく批判しているのだが、その奥底の世界観が垂加派なのである。
なお、垂加神道と平田国学の世界観の類似については本ブログの過去記事に何度か書いているからそちらをご参照いただきたい。
わたしの「平田篤胤=(宣長派ではなく)垂加派」という理解はかなり偏った、牽強付会であるといわれかねない危うさがあることは自覚しているが、やはりどう考えても平田派の世界観は垂加神道に由来しているとしか思えないのである。少なくとも宣長からだけではどうしても生まれえない何かを秘めているというくらいは言えるだろう。
神道を「シントウ」と濁らずに読むのは、ありのままに素朴に率直で飾り気のない心持であるべきという世界観に基づくもので、神道思想者にある程度通底する世界観である。
神道を倫理道徳の基本として理解する世界観は、垂加派によってもたらされた。垂加派登場以前にもすでにあまたの神道思想によってその土台は準備されていたが、大きく花開いたのが垂加派の登場であったといってよい。垂加神道は儒家神道(儒教と神道の習合)などともいわれるが、それに収まらない日本人の原基となる世界観から花開いたものと見なければならない。
山村農村による自然と農業とともにある生活。それはそれを失った時代の人間によるロマンティックなあこがれの側面も否定できないが、とはいえ文化的に分断されかかった人々をまとめる知恵でもあった。資本主義はそれを破壊する刹那的唯物的世界観である。
資本主義は人類の文化の自死に繋がる。神道思想の復興によって文化的崩壊を妨げるべきなのである。