信仰と倫理


日本は皇室という中心を抱き、その周囲を隷従でも放縦でもなく国民が脇を固めることで成り立っている。この精神こそが古の明徳なのである。その意味で天皇と民は本然一体であり、民を軽んじ虐げる権力者は亡びるべきなのである。こうした君民一体の精神こそが重要だ。その精神は祭祀によって表現されたから、祭政一致とは単に神道を国家の国教に据えるということではなく、こうした「民を虐げない政治」を前面に打ち出す事でもあった。外国の圧力もありそれを放棄してしまったのが明治時代の負の側面である。

神道はそれ自体が信仰であるから、それを理解するにはその本質において存在する神々の霊感、冥応(平泉澄)に深入りしなければならない。
歴史を貫く冥々の力とは、楠木正成の魂が山崎闇斎を動かし、さらに闇斎の魂が橘曙覧を動かすといったたぐいのことである。
神道では祭りが行われるが、祭り自体形式的には昨年の繰り返しである。しかしそこに新しい祈りが込められる。それこそが重要なのだ。
若林強斎は「理ト云モノハ、活ニ活テ居ル物ノ、ホコホコアタヽカナ様ナルモノヽ、ナマグサキ様ナルモノナリ。コヽノ合点ガナケレバ、理ノツラヲ見知ラヌト云者ナリ。」(『雑話続録』)といったという。理は歴史の現実の中で悩み、苦しみ、悪戦苦闘する中で具体的行動として示された集積の中から生まれてくるのである。そうでなければ、理は単なる観念論に堕す。
闇斎が「人の一身、五倫備はる」と述べたように、人間には生まれながらに倫理的存在であるととらえていた。だからこそ神儒一致、神儒妙契でなければならないのであった。

同じく信仰と倫理について考えた人に竹葉秀雄がいる。竹葉秀雄は安岡正篤の弟子で、愛媛県の教育界に影響を与えた人物である。
竹葉秀雄は黒住宗忠に関心を持ち、「日本でなければ生まれない宗教家であり、今後世界的になるべき偉大な心境であり、宗教であると思います」と述べている。
『維新と興亜』同人の三浦夏南氏が竹葉氏の地元愛媛県の詳しい人に確認してくれたところ、「竹葉先生は弟子の近藤先生を伴ってほとんどの宗教団体での宗教的修行に取り組まれたそうです。体験せねば分からぬというのが竹葉先生のモットーだったみたいです。先生が出入りされなかったのは、創価学会くらいで、あらゆる宗教に通達されていたようです。その中でも強い感銘を受けられたのが黒住教であったと近藤先生からお聞きしたと言っておられました。また竹葉先生の地元の庄屋だった方が黒住教で、伊予鉄が株式会社になった時の社長であり、かなりの人物だったようで、先生の郷土三間にはやはり黒住教の教えが伝わっていたようです。」という回答であった。
明治維新の原動力となった下士、豪農層に維新の精神は浸透しており、その一環として黒住教があったことがうかがえる。黒住教は開祖黒住宗忠の出身地である岡山県を中心とした宗教であると思っていたが、それが愛媛県まで黒住教が広がっていたのは新発見であった。黒住教については『維新と興亜』第二号で片岡駿について書いた際に触れたが、天誅組に参加した藤本鉄石も黒住教徒であるし、いくつか黒住教関係の本を読みましたが良いものであった。片岡をはじめとした明治以降の維新派にも影響があったようである。

真の意味で信仰を持つことは極めて政治的なことでもあり、倫理的なことでもある。倫理を突き詰めれば政治思想にもなり、信仰にも到達するのだ。

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