平成二十五年(20013年)十二月二十六日、安倍首相は、第二次内閣が発足してから丁度一年が経つこの日に首相として初となる靖国神社への参拝を行なった。安倍首相は、靖国参拝を半ば公約にしながらも、第一次内閣では叶わなかった事を「痛恨の極み」と述べていただけに、初の参拝はようやくとはいえ、称賛に値するものであった。しかしこの参拝に対して、米国政府が在日大使館を通じて「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに失望している」との声明を発すると、首相は急に不安になったのか、歴史認識に関するそれまでの態度を豹変させた。どうやら安倍首相には、TPPの合意調印や普天間基地の辺野古移転が決まるなど、対米関係が良好ななかで、靖国参拝はアメリカも大目に見てくれるだろうという読みがあったようである。しかし、アメリカが歴史問題への非妥協的な態度を示し、読みが外れたのを見て取るや、今度は姑息な弁解や変節を重ねるようになった。上述した様に、首相の靖国参拝は称賛に値するが、安倍首相は参拝した後に、「恒久平和への誓い」と題する談話を発表し、「日本は二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにして参りました。」また、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。」と述べている。しかし、そもそも靖国神社は自衛隊の最高指揮官でもある首相がわざわざ「不戦の誓い」をする為に参拝する場所ではない。こうした行動は、「後に続く」を信じて敵陣に斃れた英霊への裏切りであるのみならず、愛国心発揚、戦意高揚を目的とした靖国の趣旨にも反するのではないか。それに靖国の英霊は、首相が大好きな「自由と民主主義」の為に戦ったのでは断じてない。靖国神社の理念とは似ても似つかぬ「自由と民主主義」を敢えて持ち出したのは、今回の参拝が、戦後的な価値を否定し、アメリカとの関係を蔑ろにするものではないというメッセージなのであろうが、何にしてもアメリカや中韓等の顔色を伺い、「自由と民主主義」の価値を強調するために英霊を悲惨な戦争の犠牲者扱いして利用する位なら、むしろ靖国参拝などしない方がましである。