それに、安倍首相が強調する様に、日米両国が「自由と民主主義」の価値を共有し、強固な信頼関係で結ばれた同盟国であるならば、前述した様に、アメリカは何故、戦後から六十年以上経った2007年の下院決議において、未だに我が国の侵略責任を断罪する様な行動を取るのか。2011年、韓国の市民団体がソウルの日本大使館前に慰安婦像を設置して以来、世界各地の反日韓国系団体が慰安婦像を設置し、我が国を貶めようと画策しているが、2013年、アメリカ、カリフォルニア州のグレンデール市に慰安婦像が設置された場所は、グレンデール市の市有地、つまり地方政府の公有地においてであった。地方政府とはいえ、アメリカの公的な機関が、「従軍慰安婦」による反日プロパガンダに加担し、我が国を侮辱している様な国が果たして本当の同盟国と呼べるのか。ソウルの慰安婦像は、公道に勝手に設置されたものであるが、グレンデール市の慰安婦像は、市が公式に設置したものである。これに対し、安倍首相は韓国に対しては、強く抗議し、慰安婦像の撤去を求めたが、アメリカに対しては何の抗議も示していない。同盟国なら、我が国を貶めるプロパガンダに加担しても何も言えないというのであれば、それは同盟ではなくて単なる支配と従属の関係に過ぎない。
周知の様に、アメリカは、戦後の「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に基づいて、我が国民に徹底した自虐史観と贖罪意識を植え付け、我が国を骨抜きにしようとして来た。したがって、アメリカが「同盟国」として信頼する日本とは、戦後の自虐史観を受け入れ、骨抜きにされた日本であって、一度我が国政府が、そうした歴史観を修正し、国家の尊厳を取り戻そうとすれば、それまでの同盟関係など何物でもなかったかの様に、情け容赦のない非難と制裁を加えてくるのである。その際、アメリカは韓国と共謀して、慰安婦をめぐる歴史戦において我が国を道徳的に断罪して来ているが、真の保守政治家であれば、こうした外圧を跳ね除け、我が国の歴史の正当性を固持して譲らない筈である。ところが、「売国保守」である安倍首相は、アメリカからの予想外の反発に直面するや、慰安婦への「同情とお詫び」を声明し、ついには自らが屈辱的として唾棄して止まなかった河野・村山談話を継承するに至った。