「『維新と興亜』」カテゴリーアーカイブ

神谷宗幣氏「新しい国際秩序を日本が構築するべきだ」(『維新と興亜』第13号)

『維新と興亜』第13号に掲載した参政党事務局長・神谷宗幣氏「新しい国際秩序を日本が構築するべきだ」の一部を紹介いたします。

■日本は経済戦と情報戦でボロ敗け
── 参院選で最も訴えたい政策は何ですか。
神谷 「参政党には具体的政策が少ない」というご指摘を受けることがありますが、我々が何よりも重視しているのは、テレビや新聞が伝えない政治的な問題を国民に伝えたいということです。その上で、国民の皆さんに日本の将来について考えていただき、一緒に政策を固めていきたいと考えているのです。
 我々は、三つの重点政策の一つとして「子供の教育」を掲げています。明治維新以降、西洋の教育が導入され、管理教育が強まったと認識しています。そうした管理教育を改めて、江戸時代のように子供の個性を重視した探求型の教育制度に変えていくべきだと考えています。同時に、敗戦後に刷り込まれてきた自虐史観を一掃して、自尊史観の教育に変えるべきだと訴えています。
── 重点政策の一つ「国のまもり」では、「日本の舵取りに外国勢力が関与できない体制づくり」を掲げています。
神谷 この30年間、日本経済が成長しなかったのは、日本人の能力が低下したからではありません。日本の経済の仕組みを外国勢力に都合よく作り変えられ、日本人の富が外国の資本家に流れているからです。日本は経済戦で完敗したということです。外国勢力によって作り変えられた経済の仕組みを崩さなければ、日本経済は立ち直らないし、日本の国防も成り立ちません。そのために、我々は、外国資本による企業買収や土地買収が困難になる法律の制定を訴えています。経済戦だけではなく、情報戦においても日本はすでにボロ敗けしています。このような状態では、日本が実際の戦争で勝利することはできません。

魚谷哲央氏「戦後体制を強化した安倍政権」(『維新と興亜』第13号)

『維新と興亜』第13号に掲載した維新政党・新風代表・魚谷哲央氏「戦後体制を強化した安倍政権」の一部を紹介いたします。

■戦後体制の打破を正面から掲げる唯一の政党
── 参院選で最も訴えたいことは何ですか。
魚谷 我々維新政党・新風は、戦後体制の打破を正面から掲げる唯一の政党です。戦後体制打破なくして、日本は真の独立主権国家たり得ません。右派的な主張をする政党は「保守政党」として括られますが、我々は、自分たちが保守政党だとは考えていません。あくまでも我々は「維新政党」なのです。
 わが党は、「基本政策大綱」序文で、「大東亜戦争後の日本の戦後処理を決定したヤルタ密約とポツダム宣言によつてもたらされた戦後体制を打破し、正統かつ常識的なる国家体制の回復を第一義として、皇室を中心とした自由で平和かつ豊かな社会を築くことを目的としてゐる」と謳っています。
 我々の立場は、戦後体制の枠内にある自民党右派の立場とは根本的に異なります。平成18(2006)年に発足した第一次安倍政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げました。その時、「保守派」は安倍総理に期待しましたが、我々はその限界を見抜いていました。
 平成19年7月の参議院選挙で、我々は「安倍さんの言葉と我々の言葉は似ているが、実態は真逆です。安倍総理が言う『戦後レジームからの脱却』は、戦後体制を肯定し、それを強化していく方向です」と主張しました。実際、安倍政権が行ったことは、日本の自主性を高めることなく、日米安保体制を強化することでしかありませんでした。第二次政権では、「戦後レジームからの脱却」自体が封印されてしまいました。
 名の知れた政治家が保守的な姿勢を示すと、「保守派」は安易にそれに乗ってしまいますが、結局戦後体制そのものである自民党の政策に戻ってしまいます。
── 今回の参院選では、保守を標榜する新しい政党がいくつか参戦します。
魚谷 驚くほど多くの「保守政党」が出ていますね。過去にも新しい保守政党が注目を集めたことはあります。しかし、強固な思想性に支えられなければ、結局自民党右派的な流れに飲み込まれてしまいます。

吉村伊平氏「世界人類の宝珠・日本」

 以下、吉村伊平氏の許可を得て、同氏の「世界人類の宝珠・日本」を転載させていただきます。

 こんにちは。吉村伊平でございます。皆様の前でお話をさせていただく事を大変光栄に思いますと共にこの機会を与えていただきました国柱会の皆様に心から御礼申し上げます。
 秋篠宮悠仁親王殿下の御降誕、誠におめでとう存じます。皆様と共に改めて寿ぎたく存じます。
 本日は明治天皇のお誕生日です。明治節でございます。明治天皇は明治大帝とお呼ばれになりました。国際的な呼び方でしょう。田中智学先生は「国体の世界的表現者たる明治天皇」と仰いました。明治維新より二十九年後の日清戦役そして三十八年後の日露戦役に勝利し、又不平等条約改正をも達成されて日本は明治天皇を戴く東洋の君主国として名をあげたのであります。
 さて、私達人間は一人では生きてゆけないものでございます。集団として生きて行かざるを得ないのであります。
 最も安定した集団は円を描きます。輪(和)となります。即ち球となります。宇宙も球型であります。球には必ず中心があります。宇宙の中心は大神であります。球を日本に例えれば中心は天皇陛下であります。即ち日本人の集団、日本国の中心は天皇陛下であります。世界に王国はたくさんあり、国王、女王もたくさんおられます。
 我が国の天皇陛下は我々国民を「オオミタカラ」とお呼びになります。他の国の皇帝とかキング、カイゼル、クイーンはお呼びになりません。我が日本国の天皇陛下だけであります。これが有難いところであります。アリガタイのであります。
 明治天皇の御製に
  罪あらば我を咎めよ天つ神
    民はわが身の産みし子なれば
  千萬の民の心ををさむるも
    いつくしみこそ基(もとひ)なりけれ

明治天皇

 ここに一君万民、君民一体の国柄が表わし尽されております。
 日本の文化と言えば茶道、華道、能、狂言とワビサビの香り高いものがたくさんありますが、天皇こそ日本の最高の文化であります。「国体の本義」と言う書の中に「日本は一大家族国家である」と書いてあります。
 親が子供にそそぐ愛は無償の愛であります。身を捨てて仁を為すと言いますが、我が子に対して身を捨てて愛をなす気持を経験された方もここにも多くおられると思います。
 そして子は又家族はその恩に報いようとする。親から子、子から親へと滞りなく思いは通ずるものであります。 続きを読む 吉村伊平氏「世界人類の宝珠・日本」

『維新と興亜』第12号(令和4年4月28日発売)

『維新と興亜』第12号(令和4年4月28日発売)

『維新と興亜』第12号
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《目 次》
【特集】日本よ国家たれ 主権回復70年 沖縄復帰50年
 「守るべき日本」を浸食してきたアメリカと市場(荒谷 卓)
 「唯一の被爆国」こそ核武装せよ! 「自主防衛」構築への「国家意志」明徴(堀 茂)
 主体的外交を支える非同盟路線(本誌編集部)
 本土が沖縄に基地を押し付けている!(中村之菊)
【特集】農業は国防だ! 政商たちが歪める農政
 日本でも餓死者が出る(鈴木宣弘)
 遺伝子組み換え食品がもたらす日本人の絶滅(小野耕資)
【対談】「親日の台湾」という幻想を捨てよ─TSMCの正体(深田萌絵×稲村公望)
【巻頭言】国家の根幹を揺るがす国有林の民間開放(坪内隆彦)
●時論 水道民営化論者は天皇陛下のおことばに耳を澄ませ(折本龍則)
●時論 新自由主義者の次の目標はスーパーシティだ(小野耕資)
大川周明は不敬なのか(林 雄毅)
「畏怖」や「愛情」がない片山杜秀氏の右派思想論 藤田東湖と西郷南洲⑥(山崎行太郎)
世界政治思想史上の奇跡「百姓の富めるを喜び給ふの詔」(西村眞悟)
「大日本帝国憲法復元改正」は五十年以上、取り組んでいる重要な運動です。(川瀬善業)
現代に甦る石原莞爾 ③ ウクライナ事変と世界最終戦論(金子宗德)
高風無窮 ② その道を好む(森田忠明)
愛郷心序説 ⑧ 民のかまどの経済学を実践せよ(杉本延博)
私にとっての憂国忌五十年 ②(玉川博己)
いにしへのうたびと ④ 大伴家持の美意識と苦悩 上(玉川可奈子)
真正護憲論(新無効論)完(南出喜久治)
「効率万能」「個人主義」を超える日本古来の美意識(福山耕治)
崎門学に学ぶ 『白鹿洞書院掲示』浅見絅斎講義 ①(三浦夏南)
【書評】河原仁志 『沖縄をめぐる言葉たち』
活動報告
読者の声
編集後記
『維新と興亜』第12号

鈴木宣弘「日本でも餓死者が出る」(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)

『維新と興亜』第12号に掲載した鈴木宣弘先生のインタビュー記事「日本でも餓死者が出る」の一部を紹介いたします。

ウクライナ危機の陰で日本に飢餓が発生する?

── ウクライナ危機が起こったことにより、食料価格の高騰が起こっています。
鈴木 ウクライナ紛争で浮き彫りになったのは、食べる物を自国で賄えるようにしておかないと、いざという時に我々は生きていけないということです。この基本を今一度確認すべきです。特にウクライナ紛争前から中国の爆買いがだんだん始まって、小麦もトウモロコシも大豆も値上がりして、しかも中国の方が高い値段で大量に買う力がありますので日本は買い負けるという状況が起こっています。穀物だけではなくて肉類や海産物に至るまで、日本はすでに「お金を出せば買えるから輸入先をちゃんと見つけておけばいい」などという議論は成り立たないんだということをわからなければいけません。そういう時代がすでにウクライナ紛争の前から生じてきていて、特に今回それが危機的状況になったという印象です。
さらに、生産資材に至ってはより危機的な状況です。例えば化学肥料の原料であるカリとリンは日本には鉱物資源が不足しているため100%輸入に頼っています。日本は中国からかなり買っていたんですが、中国が輸出を抑制し始めて値段が上がり始めていたところにウクライナ紛争が発生し、カリやリンはロシアとベラルーシが中国と並ぶ大生産国なので状況がさらに深刻化しております。今年の分は何とか確保できているけど来年はわからないという状況に陥ってしまっています。このままではまさに餓死者が出るような食料危機が発生しかねない状況です。

『維新と興亜』第12号

── そのような危機的な状況に対して政府はどのような対応を取っているのでしょうか。
鈴木 まさに現在起っているのは食料危機なんです。生産資材も入ってこない状況で我々が生きていくにはどうしたらいいのかという議論を始めなければいけません。
ところが政府にはその危機感がまったくありません。岸田総理の施政方針演説では、「経済安全保障」と言いながら「食料安全保障」という言葉は一度も出てきません。「食料自給率」という言葉すら出てきません。国会の議論でもそうした話はあがってきていません。この期に及んで「食料自給率」や「国内生産振興」という言葉すら出てこないということは異常な事態と言わざるをえません。政府はいまだに「どこか外国から買ってくればよい」という認識でいます。新たな調達先をどう確保するかという議論にしかなっていない状況です。さらにひどいことには「もっと貿易自由化を進めていけば、さらに買い先が増えるのではないか」と言い出す始末です。貿易自由化を進めすぎたことで国内の生産を犠牲にして、製造業の輸出は増えたかもしれないが農業は衰退しているという状況を招いているのに、それをさらに貿易自由化を進めればなんとかなるというような、全然本質的な議論ができていないのが現状だということです。
さらに財務省が、減反政策でコメを作らせない代わりに野菜を作ったり麦を作ったり大豆を作ったりといった転作を支援する活用交付金をカットすると言い始めた。いまこそ食料危機を乗り越えられるように頑張っていかなければならない状況だというのに交付金をカットするなど何を言っているんだ、と全国の農家も蜂の巣をつついたような騒ぎになっています。
財務省はこの期に及んで歳出削減したいということしか頭にありませんが、そこには「国民を守る」という国家戦略がかけらもありません。まさに「今だけカネだけ自分だけ」の人達です。そのバックにはアメリカの穀物商社や巨大企業の利益があって、それと結びついた政治、行政、マスコミ、研究者が国を危うくしているという恐るべき状況です。

安全保障としての農業保護を行え!

── このような危機的状況にどう対応していけばよいのでしょうか。
鈴木 飢餓などの不測の事態が起こらないよう、たとえどんなにコストがかかろうとも国内で農作物などを作るのを奨励することです。「国内で作るのはコストがかかるから輸入すればいい」というものではありません。有事のために備えるコストというのは莫大にかかってもしょうがないんです。そうでなければ国民は守れません。短期的にはコストがかかりますが、もし飢餓が発生してしまえば大変な社会的損失ですから、経済ベースで考えても普段からちゃんとお金をかけて命を守るための生産を維持しなければならないのです。その点では軍事的安全保障の考え方と一緒です。
化学肥料にしても、たしかに鉱石の生産国は外国で国内の自給は難しいですが、そもそも化学肥料を使うこと自体が問題なのではないかという議論もあります。江戸時代のわが国の農業はまさに完璧な循環型社会をつくっており、幕末頃の肥料学の世界的な第一人者であったリービッヒという人が、江戸時代の日本の農業は凄いと述べています。「日本の農業は土に自然資源を入れてそれをまた糞尿で出し、それをまた入れて全てを使うという循環農業の究極の姿だ」と絶賛しているのです。江戸時代と現在では時代状況がまったく違いますが、自然の摂理に従って生態系の力を最大限に発揮し、できるだけ自国の資源で全てを賄うということはやろうと思えばできるんです。早急にそちらに向けて舵を切る必要があります。高村光太郎が「食うものだけは自給したい。これなくして真の独立はない」と言っていますが、まさにその通りです。

GHQに食糧生産も自国の食文化も奪われた

── 日本がここまで食料自給を軽視するようになってしまった原因は何ですか。
鈴木 日本の農政は欧米の思惑で歪められ続けてきました。幕末には不平等条約を突き付けられ農産物の関税を決めることもできなくなりました。その不平等条約は表面上改正できはしましたが、現在でも本質的な力関係では何も変わっていません。今回も輸入小麦の価格高騰が大問題になっていますけれども、国産の小麦はダブついているんですよ。とにかくアメリカの小麦を使うというのが日本の基本的な構造として存在しています。
日本はアメリカの戦略で占領政策として給食等でアメリカ産食材を使用することの奨励などを行ってきました。学者が回し者に使われて、「米を食べると馬鹿になる」とか、「子どもたちだけはアメリカ産の小麦だけで賢くしてアメリカ人と対等に話ができるようにしてあげなければ示しがつかない」といった嘘の宣伝をさせられて、学校給食で無理やり食生活を変えてしまった。それで朝鮮戦争で余ったコッペパンと家畜も食べない脱脂粉乳が日本人に食べさせられたのです。そういった闇が大きくのしかかっています。
こんな短期間に伝統的な食生活を一変させた民族は日本人だけだと言われます。その後もアメリカで余っている大豆やトウモロコシを無理矢理日本で売ろうということで関税を実質撤廃させられて、日本の米以外の穀物生産はほとんど壊滅状態になってしまいました。
── なぜそのように農政がおかしくなってしまったのでしょうか。
鈴木 占領期から「アメリカから食料を輸入しろ」という圧力は加えられ続けており、それとともに食料自給率が下がってくるという傾向はありました。しかし牛肉とオレンジの問題が典型ですが、かつての農林水産省は国産品を守るべくそれなりに踏ん張っていた時代もありました。
しかし近年で特におかしくなったのが第二次安倍政権のときです。安倍政権では経済産業省が官邸で力を持ち、農林水産省とのパワーバランスが一気に崩れてしまった。完全に農林水産省が言うことを聞かされるだけの部署になって、食料を犠牲にするという構造が徹底的に強まったわけです。その結果TPPをはじめとした自由貿易協定が矢継ぎ早に締結されてしまいました。TPP参加自体は民主党政権時代に決まりましたが、その後第二次安倍政権になってから一気に進んだわけです。安倍さんは「農業を守る」とか「日本は瑞穂の国だ」とか言葉ばかり言うけれども、平気で嘘をついてごまかしを重ねて悪い方向へと持っていく政治が当たり前のようになってしまいました。
TPP交渉の際に作成された日米サイドレターという付属文書には、「アメリカがやってほしいことがある場合は規制改革会議等で検討しすぐに実行する」と書かれています。しかし、「TPPが頓挫した場合はこの日米サイドレターも無効になりますね」と野党から質問があった際に、当時の岸田文雄外務大臣は「これは日本が自主的に決めたことを書いているだけなので自主的に粛々と実行します」と答弁しているんです。日本の政治家が「自主的に」と言った時は「アメリカの言う通り」ということがわかります。
その他にも、オリックスの宮内義彦氏、パソナの竹中平蔵氏、サントリーの新浪剛史氏などの決まったメンバーが政府の諮問会議に参画して、自社の活動に有利になるよう働きかけているのではないかと疑いを持たれかねないような政策を実行させています。例えばオリックスの子会社であるオリックス農業は、兵庫県養父市の国家戦略特区で巨大農園を持っています。また、オリックスが千葉県銚子で洋上風力発電をやりたいから、地元の漁師から漁業権をオリックスに付け替えるというような法改正までやっています。「今だけカネだけ自分だけ」の政治で一次産業が壊されていっているのです。
── アメリカの圧力とそれに乗っかるレントシーカーたちによる「今だけカネだけ自分だけ」の行政施策が行われていることがよくわかりました。彼らの支配に対抗する長期的なビジョンはありますか。
鈴木 日本国内という点で考えることも重要ですが、国際的に共通性もあるアジアの国々が共同体的なネットワークを強化するということは、アメリカの従属国でなくなるために重要な流れではないかと思っています。アメリカからまさに独立できるかということが日本にとって重要なのであって、そのためには日本も彼らに対抗できるだけのネットワークを構築しなければなりません。日本人は仲間をしっかりと作らなければ必ず欧米にやられてしまいます。
こうした食料も含めた安全保障の議論をすると、必ず「いまの日本はアメリカに守ってもらっているからこれ以上言えないんだ」というような反応が返ってきてしまいます。しかしそれは思考停止ではないでしょうか。「アメリカが守ってくれる」という幻想から覚めたうえで考えていかなければダメだと思います。
(後略)

堀茂「『唯一の被爆国』こそ核武装せよ! 『自主防衛』構築への『国家意志』明徴」(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)

『維新と興亜』第12号に掲載した堀茂先生(国家基本問題研究所客員研究員)のインタビュー記事「『唯一の被爆国』こそ核武装せよ! 『自主防衛』構築への『国家意志』明徴」の一部を紹介いたします。

はじめに

これまで我が国における核に関する議論といふものは、理論や研究としては、勿論存在してゐた。特に核抑止力や核軍縮に関する論文は多いが、それが我が国の「核武装」といふことになると、議論すら憚られる〝禁忌〟となる暗黙の了解が厳然とあり、まして政治の世界でそれを語ることは失職すら覚悟すべきものであつた。これらは云ふまでもなく「平和憲法」に基づいた「非核三原則」が、我が「国是」である以上、議論の余地などあり得なかつたといふことである。
しかし、歴代内閣が秘密裡に「核武装」を検討してゐたことは、余り知られてゐない事実かもしれない。例へば一九九四年の核開発疑惑が高まつた北朝鮮に対してクリントン政権は、羽田内閣に対して核施設のピンポイント攻撃を打診したことがあつた。その時熊谷弘官房長官(当時)は、某「軍事関連企業」にどのくらいの期間があれば我が国が核兵器を所有出来るかを確認してゐた。その答えは「三か月」であつたといふ。それ以前にも岸内閣、佐藤内閣他で、非公式に議論されてゐたといふ経緯はあつたやうだ。
本来なら国民を巻き込んで広く議論すべきアジェンダが、極秘裏に行はねばならなかつたこと自体、「反核」で凝り固まる世論に対してオープンに訴へられるやうな〝空気〟は全くなかつたといふ証左でもある。それを語れば、政権が転覆されるくらゐのインパクトは確かにあつたのである。我が国が「核武装」を〝禁忌〟とせず、少なくとも議論の必要があると考へ始めたのは、北朝鮮が実際にミサイルを発射してからであらう。短距離、中距離から始まり、今や巡航ミサイルやICBMまで射程に収めるといふ運搬手段の多様化は、米国まで脅威に晒してゐる。だが、それ以前から中共、ロシアといふ核保有の独裁国家に囲撓されてゐながら議論すら出来てゐなかつたことも又事実である。
小論は、所謂「自主防衛」特に「核武装」といふことについて検討することが目的であるが、これまで我が国で冷静な議論が出来なかつた大きな理由は、「唯一の被爆国」といふ事実に自縄自縛されてゐたといふことに尽きる。この言葉自体が既に「国民主権」や「基本的人権」と同じく、絶対的価値を持つ〝不可侵〟の言葉と化してをり、我々を思考停止にさせて来た。
当然乍ら広島、長崎の惨禍は忘れてはならない言語を絶する地獄絵であつたことは史実であり、この悲劇を二度と繰り返さない為に我々が世界に語ることの重要性は云ふまでもない。だが、我々はそれを悲劇として伝へるだけではなく、米国の国際法無視の非人道性を訴へ、同時に国民に二度と核の惨禍に遭はせない為の方策も明確にしなければならないはずだ。それは無論、言葉や理念だけでは成就しえない。そのことをもつと認識せねばならなかつた。

『維新と興亜』第12号

一、「唯一の被爆国」といふ弱者の論理

長年懸案だつた核兵器の開発、保有そして使用を禁止する「核兵器禁止条約」が本年一月に発効した。それは我が国の悲願たる核廃絶を実現する一歩ではあるが、そこは単なる〝持たざる者〟の集まりである。この条約で肝心の既保有国が、それを手放すことはあり得ない。我が国はじめドイツ、オーストラリア等米国の同盟国は、参加を見送つてゐる。
かつてセオドア・ローズベルトが外交の要諦を〝speak softly and carry a big stick〟と云つたが、核といふ「棍棒」の無いもの同士が、〝我々だけでも持つことは止めよう〟と合意しても、「猫なで声」の論理を聞く「棍棒」の所有者はゐない。狂暴な大男が持つ「棍棒」の脅威から逃れる為には、自身でそれに代はるものを持たねばならない。
最近、安倍晋三元首相が「核シェアリング」といふ既にNATO加盟国の独、オランダ、ベルギーで運用されてゐるシステムについて、我が国においても「検討」する必要性に言及した。「核シェアリング」とは、自身では持たないものの有事の際には米国の戦術核を持ち込んで自軍で運用するといふものである。これを冷戦時代の〝遺物〟として批判的に見る識者もゐるが、一つの〝持たざる者〟の知恵であることは間違ひない。
比して、我が国の「非核三原則」のやうに〝持たず、作らず、持ち込ませず〟といふことを絶対とするなら、それは単なる思考停止と断言出来る。これだけ敵対的な核保有国に囲撓されてゐるのに、自らは丸腰でゐることを寧ろ誇り高く宣言してゐるといふナイーヴさである。それでゐて米国の「核の傘」には信倚するといふのは、どう考へても矛盾がある。
この「非核三原則」は、高度の政治的判断とか「被爆国」に由来する感情的な理屈であるかもしれないが、持たない選択を維持するといふことは、結局は弱者の論理に過ぎない。〝持てる者〟が強いのは当然である。少なくとも〝持ち込ませず〟といふこと無くして、如何に抑止力を維持するといふのか。
政治家や識者の一部は、常に米国への信頼を強調する。米国の「核の傘」は十全に機能してをり「非核三原則」でも問題ないと云ふ。だが、それは「非核三原則」を維持するための方便にしか聞えない。本当に「核の傘」が機能するどうかは、十分に検証されねばならない。「棍棒」を持たない我々が求める真の抑止力とは、敵国をして我が国に核攻撃を行つた場合、米国が必ず報復攻撃をすると強く思はしめることである。だが、抑それを他国に確実に担保させるものはあるのか。
(中略)

三、〝持たざる者〟の論理

北朝鮮が核を保有したいと思ふ気持ちは、主権国家としては当然である。ロシアと中共には所謂〝血の友誼〟があるとは言ひ条、彼らは依然として北朝鮮を「属国」扱ひしてゐるし、反米で同調するくらゐしか役に立たないと思つてゐる。北朝鮮の分断国家としての安全保障は、独自の軍事的抑止力と外交的交渉力を有することである。さう考へれば、核の保有は最もコストが掛からない、しかも最強の「抑止力」と「交渉力」となるのも自明である。少なくとも、対等に米国とも対峙出来ると考へることは、単なる指導者の自己満足ではない。国家生存への唯一無二の方法となる。
現実に「唯一の被爆国」故の「核廃絶」といふ我が国の主張とは関係なく、核の拡散は継続してゐる。一旦所有したものを、〝持てる者〟が放棄することはない。それが、より邪悪な指導者であれば尚更である。世界は善意で動いて来たわけではないし、これからも動かない。〝悪魔の兵器〟を抑止する為には、感情抜きのプラグマティックな議論をする必要がある。
例へば、〝持てる者〟がそれを放棄しないといふなら皆が保有したほうが、相互の抑止力は高まるといふ逆説的な議論もある。私もその考へには首肯する処が多い。何より他国が他の主権国家に対してその保有を阻止することは、如何にその保有が地域の脅威となるといふ理屈でも「内政干渉」であり「主権侵害」とならう。
まして一方の国は、既に保有してゐるわけであるから、後発の国を除外して先発の国だけで排他的なクラブを作ることは余りに独善的である。結局、それが今の国連といふ機関であるわけだが、これだけでも国連の欺瞞性と機能不全は設立当初から予見出来たのである。
第二次大戦後、集団安全保障は東西問はず国防の要諦となつたが、我々は核保有国が同盟国に対して提供する「核の傘」の信憑性を考へねばならなかつた。勿論、それは理論としてはあるが、核保有国が同盟国の為に報復攻撃を行ふといふことは、当然ながら今度は自身が核攻撃の脅威に晒されることにもなる。同盟国とは言ひ条、自国民の犠牲を覚悟してまで、他国の為に報復攻撃することなど果たして有り得るのか。
日米同盟の場合でもさうだが、それが唯一有り得るのは、日本国内にある米軍基地がその標的となつた場合であらう。その時、米国は必ず報復をする。つまり、自衛隊基地はじめ我が領土が核攻撃されただけでは、米国は動かない蓋然性もあるといふことだ。さういふ意味からすると米軍基地は我が国にとつて、「核の傘」を確実にする為の〝人質〟と位置付けられるだらう。
何故〝人質〟かと云ふと、米国とすれば同盟国は守らねばならないし、自国を脅かす長射程のミサイルにも断固反対だが、中距離くらいまでは自国に届かないので許容してもいいといふのが本音だからである。実際、トランプ政権は北朝鮮の短距離、中距離ミサイルは事実上容認してゐた。つまり米軍が我が国から撤退すれば、「核の傘」は確実に機能しないといふことである。

をはりに─「核武装」への「国家意志」

かつてド・ゴールが自前の核保有に固執したのは、その量の多寡の問題ではなく、仮令少数の戦術核であつても、保有すること自体が国家の自立性を高め、独自の軍事外交政策を遂行する最低限の要件と見てゐたからだ。抑彼は他国の「核の傘」の存在など信用してゐない。核保有は、フランスが常に「第一等の地位」にゐて「偉大なフランス」である為の必要条件であつたのである。
(後略)

荒谷卓「『守るべき日本』を浸食してきたアメリカと市場」(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)

『維新と興亜』第12号(令和4年4月)に掲載した荒谷卓氏の「『守るべき日本』を浸食してきたアメリカと市場」の一部を紹介いたします。

わが国は主権国家ではない

── 一九五二年にサンフランシスコ講和条約が発効し、わが国が主権を回復してから七十年が経ちます。しかし、未だに日本はアメリカへの依存を続け、独立国としての気概を失ったままです。
荒谷 国民は「アメリカに依存する以外に日本の生存の道はない」と信じ込んでしまっているのです。第二次安倍政権で成立した「平和安保法制」には、「米国が攻撃されると日本の存立が脅かされる」とする「存立危機事態」という概念が書き込まれました。それほどまでに、「日本はアメリカなしには存立できない」という考え方が浸透してしまっているのです。
政府、経済界、メディア、御用学者たちは、中国や北朝鮮の脅威を取り出して、「日米同盟に頼る以外に道はない」と主張し、自主防衛の努力を怠ってきました。
しかし、現下の世界情勢は、まさに人類史における革命的大転換期にあります。もはや、日米関係のみに固執する時代ではありません。自立した思考と判断で日本の将来を創造しなくてはなりません。
アメリカに頼るしかないと信じ込んでしまっているため、日米関係を維持することが自己目的となっているのです。その結果、日本政府はアメリカ、正確にはアメリカのグローバリストの言いなりになっています。こうした状態は独立国とは言えません。日本政府がグローバリストの要求に屈して、日本の農業、林業、水資源までも売り渡そうとしているのも、主体的選択肢を自ら放棄しているが故に彼らの要求に逆らえないからです。
── 日米地位協定によって日本の主権は踏みにじられています。
荒谷 まさに治外法権を明文化しているのが、地位協定です。日本との講和交渉のために来日した国務省顧問ジョン・フォスター・ダレスは、一九五一年一月に「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか」と語っていました。このダレスの言葉に象徴されるように、アメリカは日本のどこにでも基地を置くことができるのです。
わが国は、ロシアとの間で北方領土問題を抱えていますが、日本政府は「北方領土には米軍基地を置かない」と約束することさえできないということです。これが、領土問題の解決を妨げている大きな理由です。つまり、日米地位協定によって、わが国の主体的な外交が阻害されています。わが国は主権国家ではないということです。

守るべきものは「日米安保体制を基軸とする戦後憲法体制」ではない

『維新と興亜』第12号

── 東西冷戦の終結、ソ連邦の崩壊は、日米安保条約を見直し、わが国が自主防衛に転換する好機でした。しかし、わが国はそれを活かすことができませんでした。
荒谷 世界各国は、冷戦終結とソ連邦崩壊を受けて、軍の任務を見直しました。例えば、ドイツでは五十二万人体制から三十七万人体制への兵員削減や徴兵制度見直しなどにより、 新世界秩序構築のための安定化任務に適合した少数精鋭のプロフェッショナルな軍隊へと転換を図りました。しかし、わが国は国際環境の変化に対応した戦略の見直しも行わず、自主防衛への転換の意志も示そうとはしませんでした。
冷戦終結によって、アメリカの対ソ封じ込め政策は終結し、日米同盟の存在意義も消滅したはずです。しかし、冷戦終結によって世界の構造がどう変化するのかをまともに議論しないまま、わが国は日米同盟にしがみついたということです。
冷戦終結によって、対ソ戦略上の日米同盟の存在意義がなくなったにもかかわらず、アメリカがその存続を望んだのは、日米地位協定をはじめとする日本における既得権を維持し、冷戦時代に稼がせた日本の資産をすべて収奪しようと考えたからでしょう。
一方、わが国は「日米同盟は永遠に不滅だ」「日米同盟がなくては日本の安全は保障できない」などという無思考・無作為に陥り、日米安保をそのまま存続させたのです。対米従属によって利益を享受してきた人たちの「既得権」が優先されたのかもしれません。
もともと、アメリカの初期対日占領政策は日本弱体化政策でしたが、東西冷戦の勃発に直面したアメリカは、グローバリストのシンクタンク外交問題評議会の刊行誌「フォーリン・アフェアーズ」に掲載したジョージ・ケナンの「X論文」の主張に沿ったかたちで、日本の経済復興、再軍備政策に転換しました。日本の再軍備の経緯を振り返ると、日本政府が自発的に軍事力を再構築しようという意図を持った形跡は全くありません。
一九五〇年六月の朝鮮戦争勃発を受け、日本はマッカーサー書簡によって、陸上自衛隊の前身となる警察予備隊の設置を告げられました。そして、ポツダム勅令を根拠に国会の議論も一切ないまま、再軍備が開始されたのです。戦前に駐米大使を務めた野村吉三郎はアメリカの意図をくんで、海上自衛隊の前身である海上警備隊の創設を日本政府に働きかけました。海上警備隊は米軍の一部として創設されたのです。サンフランシスコ講和条約後には、米軍の提案によって航空自衛隊ができました。
つまり、日本の再軍備・防衛体制は、すべてアメリカの要請によって進められてきたということです。日本占領は七年間で終わり、GHQは解体されましたが、彼らはワシントンに引っ越して日本占領を続けたということです。
日米安保は対ソ封じ込め戦略に基づくものでしたが、同時に日本を抑える意味もありました。例えば、一九九〇年に在沖縄アメリカ海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール少将は、「アメリカ軍が日本から撤退すれば、既に強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は 『瓶のふた』 のようなものだ」と発言しています。北大西洋条約機構(NATO)にも、対ソ封じ込めと同時にドイツを抑える意味がありました。
野村吉三郎が米海軍のプラット提督に宛てた書簡には、「新憲法は無血革命と言えるかもしれない」と書かれていました。日本人の中には、マッカーサーによる占領を有難がり、マッカーサーがアメリカに帰国することを非常に残念がった人もいました。彼らは、占領体制の継続を渇望していたのでしょう。こうした人たちが守りたいのは、伝統的な日本ではなく、マッカーサーの無血革命によって作られた社会なのです。つまり、彼らの言う「国防」とは、日米安保体制を基軸とする戦後憲法体制を守ることなのです。 続きを読む 荒谷卓「『守るべき日本』を浸食してきたアメリカと市場」(『維新と興亜』第12号、令和4年4月)

『維新と興亜』第11号(令和4年2月28日発売)

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《目 次》
【特集】亡国のSDGs=環境原理主義 中国の高笑いが聞こえる
 環境原理主義が日本を亡ぼす 「気候産業複合体」の利権構造(有馬純)
 【対談】EV化で自動車産業の覇権が中国に 脱炭素化の背後に巨大なESG利権(加藤康子×稲村公望)

■「国家の物語」を取り戻せ(北神圭朗)
■石原慎太郎 「死者との黙契」(今村洋史)
■ネトウヨ保守雑誌の読者に問う! 第三弾 尊皇心を失った保守派言論人たち(山崎行太郎×金子宗德×本誌編集部)

【巻頭言】「日本封じ込め」政策は今も続いている(坪内隆彦)
●時論 皇位継承は天皇陛下のご聖慮を拝すべし(折本龍則)
●時論 水道私物化を主導する野田由美子の正体(小野耕資)
「天皇」は縄文時代の定住共同生活と神々との共生から生まれた(西村眞悟)
【新連載】高風無窮(一)明眼の人(森田忠明)
愛郷心序説 ⑦ 我が高天原観(杉本延博)
私にとっての憂国忌五十年 ①(玉川博己)
「文化防衛論」と『占領憲法下の日本』(原 嘉陽)
生長の家の運動が持続していれば、大日本帝国憲法復元改正は実現していた(川瀬善業)
これからの課題と日本の将来(稲 貴夫)
危機に立つ日本の農業② 食糧生産とは安全保障である(小野耕資)
いにしへのうたびと 貧窮問答歌(玉川可奈子)
真正護憲論(新無効論)⑥(南出喜久治)
老病死の段階では「良かったさがし」(楽観論)が求められる(福山耕治)
竹下登論 ① 調整型社会の実現が必要だ(田口 仁)
【書評】副島隆彦『ディープ・ステイトとの血みどろの戦いを勝ち抜く中国』
活動報告
読者の声
編集後記

『維新と興亜』第11号

石原慎太郎 「死者との黙契」(今村洋史)(『維新と興亜』第11号)

 『維新と興亜』第11号(令和4年2月28日発売)に掲載した「石原慎太郎 『死者との黙契』(今村洋史)」の一部を紹介します。

『維新と興亜』第11号

石原先生が逝かれた。2012―2014年、先生が再び国政へ挑んだ、その祖国への止まざる愛惜の所以と、そして率いた「日本維新の会」が短命に終わった経緯を当時付き従ったものとして後世の史家のために記しておこうと思う。
2011年の東北の大震災に際し、無能と国民に対する不誠実を曝け出していた民主党政権は2012年に至り既に死に体であった。国民は政治の刷新を望み、自民党の復権のみならず、石原先生の国政復帰待望論もそこかしこから叫ばれていた。石原先生は、かつてより平沼赳夫氏率いる「たちあがれ日本(以下、たち日)」に応援団長として関わっていたが、国政復帰を模索する中、2012年秋、「たち日」の会合へ出席された。その日、さほどの広さもない会場に2百人ほどが詰めかけていた。
平沼代表から「うちの若い人たちは優秀ですよ」と聞かされ、先生が闊達な議論を期待しているのが、その表情から窺えた。しかし、それは直ぐに失望に取って変っていった。挙手して発言する若手党員が、悉く近視眼的な政局観の披歴に終始し、まともな問答にならなかった。挙句に「石原先生、是非総理になってください。石原慎太郎総理、バンザーイ」などと言い出す者も出て、端で聞いている方が恥ずかしさに顔を伏せたくなる思いだった。我々が石原慎太郎の国政復帰に向けて全く頼りにならない、むしろ足手纏いでしかないことは明らかだった。
その後、「たち日」は「太陽の党」へ衣替えし、その党首として国政復帰を決意した石原先生は「日本維新の会」との合流へのめり込んでいた。それは、たち日系だけでは勝負にならないこともあるが、何よりも合流相手の維新の橋下徹代表の存在が大きかった。
「(自分が)権力の本質が金にしか集約されない論理と、利害感覚しか持ちえない世界に別の論理と情熱を持って飛び込んでいったドン・キホーテだったことを改めて覚らされたのだ」と、かつて諦念を以て国政と訣別した石原先生の目の前に現れた橋下氏は若き日の自分と同じドン・キホーテ的人物であった。稀代の論客である橋下氏と二人して国政へ切り込んでゆく、いわば任侠映画の道行きさながらの心情がなければ先生の国政復帰への決心もなかったと思う。
その橋下氏は「維新へは石原慎太郎しか迎えたくない」と言い放っていたが、最終的には互いに惚れあっていた仲の石原先生の言を入れ、お荷物の我々も合流と相成っていた。出来上がったのは烏合の衆とも言うべき新生「日本維新の会」だったが、石原慎太郎と橋下徹の二枚看板であれば、選挙後、過半数に届かぬ自公連立政権への参画という勝算も芽がないわけではなかった。合流相手の維新幹部などは閣僚へ送り込む名簿まで用意していたという。
石原先生は「橋下氏は義経、私は義経に惚れた弁慶だ」と乾坤一擲、衆院選に臨んだが、結果は下野した民主党にすら及ばぬ野党第二党に留まり、大勝した自公の政権と連立することは叶わなかった。この選挙では橋下氏の国政進出が見合わせられ、石原・橋下の両氏が国会で轡を並べることにならなかったが、それが一年半後に両氏の袂を分かつことにつながっていった。
「私は弁慶」と石原先生は言ったが、弁慶を必要としたのは実は自分自身であって、国政の場でタッグマッチを組める相棒を必要としていた。しかし、橋下氏は国会に不在であり、その国会で相棒の役割を果たせるのは亀井静香氏以外になかった。しかし、亀井氏との共闘はその剛腕ゆえ、たち日系からも大阪系からも強烈に拒絶されてしまっていた。
こうして事実上独りで国会へ臨むこととなった石原先生だったが、率いる議員団の結束はてんでばらばらで特に大阪系の議員たちは端から従うつもりもなく「国家とか民族とか、わからへん」と言って憚らなかった。また上程される法案についても党は是々非々と言いながら、場当たり的な一貫性にかける対応に終始し、混乱した間抜けな議員などは反対すべきところを間違って賛成へ立ち上がり、後ろから「座れ、バカ」と怒鳴られる始末だった。
通常国会の最中、心労によるものか石原先生は軽症とはいえ脳梗塞を患い、しばらく登院出来ず、一方の橋下氏は自身の慰安婦発言の火消しに追われていた。アベノミクスを掲げる安倍政権が勢いに乗る中、維新は国会で存在感を増すどころか、自民にも民主にも秋波を送る愚行を繰り返し、益々自らの立ち位置をあやふやなものにしていった。筆者が、たち日系の維新幹部に「本当に民主党の連中と組もうと思っているのですか」と問うと「民主党の右派と組んで二大政党を目指すのだよ」とあっさり言われ、過日の「たちあがれ日本」はアンチ民主党が出発点ではなかったかと唖然としたものだった。
2013年7月参院選が行われる頃には維新は国政進出時の勢いを失い、とても橋下出馬というカードを切れる状況ではなかった。石原先生はこの時も橋下氏の出馬を望む、という発言をしたが、そこに当初のような熱を感じなかったのは筆者だけだろうか。当然ながら参院選は惨敗し、維新の内部、特に大阪系からは何処かと手を握らなければという焦燥が一層強まっていた。
そうして2013年~2014年にかけて、維新内部の相克は変わらず、民主党やみんなの党との合併を画策する維新の一部勢力にとって、たち日系は如何にも目障りな存在になっていった。今でも年末になると政党交付金目当ての合従連衡が繰り広げられるが、当時の維新も例に洩れず、年末に向けた2013年10月には、他党との合従を急いだ連中による平沼降ろしのクーデター未遂の騒動が起こっていた。それは結局、扇動に失敗した東国原英夫氏が議員辞職するという、大山鳴動して鼠一匹という結末だったが。
内ゲバに終始する維新という政党に石原先生が留まり続けたのは、やはり橋下徹という傑物に対する思い入れが依然として強かったからに違いない。その道行きとまで惚れ込んだ橋下氏と訣別する直接的な契機は原発輸出の原子力協定の国会採決を巡ってだった。橋下氏はその原子力協定には反対だった。
最後の盟友だった亀井静香氏は原発を廃止するという意見で、その代替に太陽光発電を考え、自ら発電会社を立ち上げたほどだったが、石原先生との友誼は変わらぬものだった。故に橋下氏とエネルギー政策について意見が違っていたとしても、それが先生と氏が訣別する理由にはならない。