「古神道」カテゴリーアーカイブ

川面凡児『建国の精神』目次

 
川面凡児『建国の精神』(稜威会本部、大正7年)目次。神道的宇宙観において、今泉定助に対する川面の影響が窺われる。
(一) 発端
(二) 目録
(三) 天壌無窮の神勅と神籬磐境の神勅との表裏
(四) 神代の世界的活動と奈良朝以後の島国的蟄伏
(五) 日本民族性、国民性と宇宙観、天地観、世界観、原人観、霊魂観、処世観
(六) 我と彼とはその究明を異にする事
(七) 唯一不二の根本大本体と世界列国の言語名称解釈
(八) 宇宙根本信念と国家統一と民族の興廃
(九) 日本民族の宇宙万有観
(十) 天神中主太神と空間、対象、宇宙 続きを読む 川面凡児『建国の精神』目次

大本開祖出口なおと本田親徳の邂逅

 大本開祖出口なおの天職を見ぬいた人物こそ、本田親徳翁であった。大正9年に服部静夫が著した『大本教祖出口直子伝』(明誠館)には「本田親徳翁の眼識」と題して、次のように書かれている。
 〈今の綾部町皇道大本の境内の一部に石の御宮と称する一区画がある、これぞ綾部町字本宮坪の内の元屋敷で、刀自(出口なお)は其の昔其処にささやかなる茅屋を建てゝ、貧苦と戦つて生活をしてゐた、明治二十一年三月即ち刀自が神懸り以前の事であつたが、或る日所用のため隣郡船井郡鳥羽村はづれの八木島の手前まで差掛つた時、途上に異様の風をした一人の老翁と遭遇した事があつた、其の翁は不意に刀自に向つて最も荘厳な口調にて、先づ敬神の必要から説話し始め、刀自が変性男子の霊性を具備してゐることや、尚八人の子女の母であることまで看破して、後年必ず重大なる天職の任命が下る時期の来る事など淳々と述立られたので、最初刀自は奇意の思に駆られて、其の意の何たるかをを、半信半疑で其の返答にさへ煩つた、挨拶もそこそこ其の儘立ち別れて仕舞つた、此の異様の人物こそ後年に至つて実に本田親徳翁であつた事が判つた〉