大杉栄と権藤成卿


僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
精神そのままの思想は稀だ。精神そのままの行為はなおさら稀だ。生まれたままの精神そのものすら稀だ。
(中略)
僕の一番好きなのは、人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。

大杉栄の「僕は精神が好きだ」の一節である。わたしの好きな詩でもある。
この世の現実は保守とリベラルのせめぎあいである。だがそうした現実そのものへの批判的意識が、思想家には必要だ。思想は党派性を拒む。党派から発言するようになった時、人は思想家から政治家になる。

大杉栄が死んだとき、内田良平は良いことだと喜んだ。それを知った権藤成卿は、内田と義絶した。
たしかに権藤と大杉には親交があった。だがこれは親交ある友人が殺されたというのに喜ぶとは何事だ、という話では恐らくない。権藤は内田のブレーンだった。大杉以上に内田と親しく、同志と言ってよい間柄であった。にもかかわらずなぜ縁を切ったのか。根拠のないわたしの妄想に過ぎないが、恐らく権藤は、内田は党派から発言するようになってしまったと、深刻に失望したからではなかったか。
身一つで義侠心から立ち上がった男に対して、たとえ意見が違ったとしても、官憲に殺されて良かったなどといくらなんでも失礼ではないのか。そう感じたのではないだろうか。

たとえ志を果たし得ない場所にいたとしても、独り道を実践していこうとする人、名利をもとめず、憑かれたように志の実現に邁進する「狂」の態度こそが豪傑の条件である。この「狂」の感覚は、合理的で近代的な態度ではない。右翼か左翼か、そんなことはどうでもよい。豪傑か否か、「狂」の感覚を持ち合わせるか否かだけが問題であった。冷戦が、「狂」の感覚を右翼と左翼に引裂いた。権藤は、内田でさえも「狂」の感覚を失ってしまったのかという失望に深くさいなまれたのではなかったか。

今日の記事は皆様の目を煩わせるにはわれながらあまりにも根拠薄弱な妄想の類である。
だがこうとでも想像しない限り、権藤の行動は理解しかねるのである。

そして権藤の考えかどうだったかはさておき、「狂」の感覚を持ち続けることは、志あるものにとって何よりも大事なことだと思えてならないのである。

「大杉栄と権藤成卿」への4件のフィードバック

  1. この豪傑の条件たる「狂」の感覚というのは「侠」、男気とか任侠の精神にも通じるものがありますね。
    傍から見ると狂信的でもあり愚かにも見え、時に暴力的・破壊的でもある。だがとても真っ直ぐ純で美しい。
    思い起こせば、古代中国の国士・侠客から幕末明治の志士に至るまで、彼らには狂があり侠があったように思えます。

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