最後に「偉大なる外交」、「大東亜戦争」の章について、
今年(平成24年当時)は、日米開戦70周年の節目です。これまで、あの大東亜戦争の口火を切った我が国の真珠湾攻撃は米国に対する卑怯なる奇襲作戦であり、戦前にお ける我が国の非道義性と、好戦侵略的な性格を物語る出来事として認識する向きがありましたが、最近になってようやく、あの戦争は、米国の我が国に対する露 骨な挑発と開戦を想定した周到な準備の結果、勃発したものであることが、様々な歴史資料によって明らかになりました。
大東亜戦争勃発にいたる我が国と米国との長年の確執の発端は、本章でも触れられているように、いわゆる「ハリマン覚書」の破棄にまでさかのぼりま す。ハリマンはアメリカの鉄道王として知られた実業家で、日露戦争の直後に訪日して、我が国がロシアから手に入れた南満州鉄道を日米共同で経営する約束を 取り付けました。これが「ハリマン覚書」です。このハリマン覚書が、戦後アメリカから帰国した小村外相の強い意思で廃棄されたことが、その後の日米関係に 暗い影を落とすことになったのでした。
そもそも、日露戦争において、アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトが両国の講和を仲立ちした背景には、西欧列強のアジア侵略に遅れをとったアメ リカが中国権益に参入するというしたたかな外交戦略がありました。つまりアメリカは、日露講和で日本に貸しをつくった見返りとして、戦後我が国が満州で獲 得した権益の「分け前」をハリマンを通して要求してきたのです。よってこの要求を我が国が拒絶したことで、アメリカは日本に対する不信感と敵意を募らせ、 以後我が国を国際的に孤立せしめ、東アジアの権益から締め出そうとする様々な画策を繰り広げるようになります。
日米開戦前夜に、アメリカが最後通牒として我が国に突きつけた「ハル・ノート」は、そうしたアメリカの我が国に対する敵意とアジアに対する野心を露 骨に表明するものであり、そこでは、我が国が、日露戦争以降に東アジアで獲得した全ての領土権益を一方的に放棄することが要求されておりました。想えば、 我が国が日露戦争に踏み切った背景には、ロシアの南下を食い止め、朝鮮の独立と満州の保全を確保する国防上の切迫した必要があったのであり、したがってそ のために我が国が莫大な犠牲を払って獲得した権益も国防上不可欠のものです。それを無条件で全て放棄せよというのですから、そんな理不尽な要求を我が国が 受諾できるはずはありません。この到底受諾不可能な要求を突きつけ、我が国をさんざん挑発し瀬戸際まで追い詰めておきながら、いざ開戦に至ると、「正義人 道」の名において我が国の非道義性を非難するというやり方に、アメリカの陰険悪質な本性が現れています。
我々は、こうした偽善的国家の軍隊が現在も我が国に盤踞(ばんきょ)しているという現実に深く想いを致さねばならないと思います。