神払仁払給比。さっぱりと皇化に従わぬ神を祓いてなびかす、草木もなきようになりたることを云えり。語問はもの言うこと。倭姫世記・万葉に、草や鳥のもの云わぬと云うことに、語とわぬと云うてある。磐や草木が物云うたと云うことで、民百姓まで皇化にしたがわず、ぶんぶん云うたと云うことを云えり。又、上古鳴荒の時、邪気妖怪のあるはずのことと見てもよいぞ。天乃磐座云々。磐座は天子の御座。磐は常磐堅磐にうごきなき祝詞。高御座を立せ玉いて降臨ぞ。磐戸は、禁門を祝して云う。八重雲は、大倭の皇都より遥々九州へ降臨ゆえ、幾重も幾重も雲霧をしのいでと云うことにて、天上より降臨の模様なり。伊豆は出ると云うことで、屹度かどの出るおそるべきこと。神代巻に稜威と塡る。降臨行装の厳重を云う。事実、神代巻に詳かなり。此の如く寄せ奉志云。これより神武天皇の御即位を祝して、天津罪を祓うことを述べ給えり。四方乃国中は、天下四方の国の真中、今の大和と云うが即ち日の神の皇都で、それを天下全体の号にもこうむりて云うことぞ。高日乃国は、日の神の照臨遊ばさるる国と云うことで、都の号ぞ。又日高見国とも云う。天皇をひつぎと云い、まします処を高日国と云う。日の神の長くとどまりましますゆえぞ。いづれの国も日光の及ばぬ処はないが、直ちに日の神の留まらせられ、日嗣の御子のまします国を、日高見とも高日とも称するぞ。外国は余光の及ぶと云うもの。それゆえ都の外はひなと云う。ひなは日無しと云うことぞ。景行記に、東夷の内、日高見の国ありとあるは、結構な都にもなるべき土地のあることを云う。いなかに京ありと云う合点ぞ。安国と安穏にしずめまつり。下津磐根は、常磐堅盤にやぶれずぐれつかぬこと。宮柱を太く立てる。惣じて御殿は、柱がのりになる。神代巻に化作八尋之殿、又化豎天柱、とある。御柱がたたねば御殿もたたず、御殿のひろさたかさ、柱のふとみで則をとるが故実なり。たかはかりと云うがこれぞ。ここの高天原は大虚上天のこと。下津磐根に対して、下に在りては常磐堅磐にはえぬいた磐根に、宮柱太敷き立て、上に在りては高天原云々ぞ。千木はちがい木の略で、御殿のむなぎの打ちがえた、はしのたこう出たが千木ぞ。又は比木とも云う。千木鰹木と云うて、上古は御社・天子の御殿にある。後世は社ばかりにあって、皇居にはない。伊勢両宮の千木は、片掞(えん)とも云うて、内宮は内、外宮は外掞。風雅神祇部に度会朝棟の歌に、かたそぎの千木は内外にかわれども誓いは同じ伊勢の神垣。千木鰹木の寸法なにかは、伊勢儀式、又は類聚本源などに詳らかなり。