「歴史哲学について」カテゴリーアーカイブ

いかに歴史を描くか

実証史学の不毛について再三書いてきた。

実証史学は「実証」の名のもとに歴史の表層を撫でて重箱の隅をつつくばかりで、歴史上の人物の深層についぞ到達しない。いや、到達することを拒絶するところすらある。
たしかに歴史史料に描かれることは過去の結果に他ならない。そこに込めた理想など後生の人間の勝手な推測だと言えないこともない。
しかしだとしたらわれわれはなぜ歴史を学び、いかに歴史に対するのであろうか。
あるいは現代を論じている場合でも同じである。
時事論、情勢論が持つ非人間性を見ないわけにはいかない。それは人間の理想を差し置いて現実の力関係で決まる世界だからだ。歴史は、そうした力の顛末をたどるだけとも言える。
そこにはグロテスクな世界だけが広がっている。
人間はそうしたグロテスクな力関係だけに甘んじる生き物ではない。
泥土にまみれても、なお美しい理想の花を咲かすのもまた、人間の実像ではないだろうか。そこを見ずに、人間を描いていると言えるのか。
おのれ自身どのような人でありたいかという希求なくして歴史に向かうのは、蔑むべき態度である。
歴史は一面で力関係の所産であるが、一面で魂のうめきとでも言おうか、ある人間が抱いた情念の軌跡である。
情念の史的所産を仰ぎ見ることもまた、必要な行為ではないだろうか。

歴史をどう描くか

 私はたびたび実証史学を批判するようなことを書いてきた。自らの存在なしに歴史を「語る」ことは不可能である。にもかかわらず実証史学は己の存在を消してしまう。歴史は自分の鏡であって、歴史を叙述する「自分の姿」を映さざるを得ない。にもかかわらず己を隠す実証史学は、そもそも支離滅裂なのである。
 「実証」に近づけようとすれば、歴史は細切れにせざるを得ない。細切れになった歴史はどこにも住処を得ず、ただほこりをかぶり誰にも顧みられない。実証に空想を以て替えようとするならば、それは荒唐無稽でしかないが、実証するばかりではなく、今歴史を顧みる己の心の中に深く入り込み、その来歴をたどることは、嘲笑されるべきではない。

 明治時代には、「文学」と言えばいわゆる小説のことだけではなかった。詩も、物語も、講談も、歴史も、皆文学であった。文章を以て人々に訴えかけるものはすべて「文学」であった。頼山陽の『日本外史』を文学と呼んだ山路愛山は、決して突飛なことを言うために文学と呼んだのではなかった。

 おそらく歴史はかつてより格段に「実証」的になった。だが、これもたびたび述べているように、実証とは手段でしかない。人々により分かりやすく典拠を示し論じていくことで説得力を持たせ、後学の参考とされるために実証するのである。しかし、実証が自己目的になってしまって、実証するために細切れにされた小さなことしか論じられないのが、今の歴史学なのだ。

 史料に謙虚であろうとする態度は良い。しかし人々がその言葉を残すために如何なる思いを込めたか、その微妙な心理に忠実であろうとしているだろうか。人は、その行動も、言葉も、心の内も、ほとんどを記録に残さないのである。その記録には残らない遺風を慕う心はあるだろうか。それはおそらく、先人の言葉を忠実になぞろうとする態度からしか生まれえないものであろう。

 記録されたことだけに忠実であろうとするならば、おそらく歴史は公文書の寄せ集めのようなものになってしまうに違いない。公文書が一番正確かつ詳細に物事を残しているからである。おまけに保存状態も良い。だが、為政者にだって公文書に現れない心情がある。歴史学者はそういう心情を探ろうとするとき、公文書でない書簡などを探ろうとする。だが書簡もまたよそ行きの文章である可能性も否定できない。人間は多面的な生き物である。私的な場面で発した言葉がそのまま真実とは言い切れない。

 おそらくその人の残した言葉を、表層でなく奥深くまで味わい尽くし、心のひだを追体験することでしか心情は描けない。本居宣長を描こうとしたら、本居宣長になろうと努めるしかないのである。その果てに生まれた言葉は、本人よりも本人的である場合だってあるかもしれないのである。