土佐中心史観による自由民権運動を、より中立的に分析するために、内藤正中『自由民権運動の研究―国会開設運動を中心として』(昭和39年、青木書店)を入手した。
自由民権を考えるときに、福岡の向陽社なども十分視野に置かなければならないからである。
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玄洋社路線を主導した庄林一正
愛国交親社には、当初から玄洋社路線に接近する思想的萌芽があった。それを主導していたのが、庄林一正である。
長谷川昇氏は「変革期における庶民エネルギーの源泉─博徒─草莽隊─『愛国交親社』の系譜に探る─」(『思想』1979年9月号)において、『岐阜日日新聞』の記事に基づいて、愛国交親社の性格を次のように整理する。
〈一、この組織は、その「社則」に定められている如く「政談演舌会」や「其の筋への建言」を目的とする明らかな「政治結社」であった。
二、しかし、この組織は実際には「政談演舌会」などを通じて理論的に庶民を組織化してゆくのではなくて「社則」にも定められていない〝撃剣指導〟を通じて村毎に道場を設けることによって驚異的な組織率(例えば東春日井郡の村々では金戸数の六〇─七〇%の参加数を示す)をあげていく。
三、この組織は、「大野仕合」・「撃剣大会」・「社長の上京送迎」などの際に大規模(数千人に及ぶ)な大衆動員を行い、社号の入った高張提灯を先頭に一種の示戚行進のようなことを挙行する。
四、この組織は、社長直属の本部幹部の他に、各郡毎に郡幹事長・副幹事長及び剣術取締・同補助・機械係などを置き、更に各村毎に幹事(百人頭)・幹事補(五〇人頭)及び剣術取締・機械係などを任命し、末端組織は一〇名毎に伍に組織されて伍長(一〇人頭)を置くという、「講」もしくは「細胞」に類する様な組織に編成されている。そして役職に任ぜられた者にはその末端に至るまで、大げさな「辞令」が発行されている。
五、この組織に民衆を加盟させるための「組織者」(これは、本部直属の者、又は郡幹事長に付属する者で弁の達者な者が当てられた)は、次の様な言葉を並べて農民を説得して歩いた。そしてこの「組織者」の説く処が、とりもなおさず「愛国交親社」の主義・主張を表示するものとなっている。新聞の報ずるところによればそれは次の様なものである(いずれも「岐阜日日新聞」より引用)。
a、「我社に加入する者は何人に限らず其筋より二人扶持の俸米を宛はれ、尚腕力ある者には帯刀を許さるべし」
b、「明治二十三年に至らば、我政府は国会を開設せられ、社会の財産は一般人民の頭数に平等に分賦せらるれば、此の時に及びては愛国交親社員たるもの苗字帯刀御免となり加ふるに八石二人口を賜る」
c、「本社に入れば徴兵を免ぜられ、……但しは士族に取立てられる」
d、「我政府は明治二十三年後は必ず外国と戦争を開く事あるべし、故に我々は今日よりあらかじめ戦争の準備をなさゞる可らすぜとて頻りに撃剣をなし、……又此程発布になりし商標条例は……如何にも苛酷の収歛なれば……我々愛国交親社たるものは必ず……此条例を廃止する様嘆願する〉
長谷川氏が注目するのは、内藤魯一と庄林一正の路線の違いである。長谷川氏は「愛国交親社創立趣意書」が内藤魯一を領袖とする「三河交親社」の趣意書と末尾の数行を除いて同文のものだと指摘した上で、次のように書いている。
〈筆者の内藤が民権政社たる性格を方向づけるために最も力を込めて書いたと思われる「開明文化ノ実ヲ挙ゲ……人民所有ノ権理(利)ヲ伸張シ、一身一家ノ幸福ヲ保チ」という一節を、庄林一正は自らの筆で故意に抹殺して、「欧米強国ト対峙シ、国権ヲ挽回スルノ外他志アラザルナリ、夫レ苟モ我国ノ衣ヲ衣、我国ノ食を食スル者ニシテ誰カ斯ノ志ヲ同クセザル者アランヤ」と書き換えている。これは明らかに〝西欧型自由・平等思想〟への抵抗の姿勢を示している。庄林はのちに「愛親社」(明治二十一年に結成された「愛国交親社」の後身)を率いて、頭山満の「玄洋社」・遠藤秀景の「盈進社」と共に対外硬の路線を明確にしてゆく。その右傾化の道を辿る原点はすでに「愛国交親社」の中に用意されていたのである〉
久留米藩難事件と玄洋社
●平岡浩太郎と本城安太郎への古松簡二による感化
玄洋社に連なる維新・興亜派と久留米藩難事件関係者の関係としては、武田範之の父沢之高、権藤成卿の父直に連なる松村雄之進、本荘一行らの名前を挙げられるが、玄洋社の平岡浩太郎、本城安太郎と古松簡二の関係にも注目すべきである。
『東亜先覚志士記伝』は平岡について、「西郷隆盛等の征韓論に共鳴し、十年西南の役起るや、之に呼応して起てる越智彦四郎等の挙兵に加はり、事敗るゝに及び逃れて豊後に入り、薩軍に投じて奇兵隊本営附となり、豊日の野に転戦した。可愛嶽突出の後、遂に官軍に捕はれ、懲役一年に処せられしも、十一年一月特典によつて放免せられた。その在獄中、同囚たる古松簡二、大橋一蔵、三浦清風、月田道春等に接して読書修養の忽せにすべからざるを悟り、歴史、論孟、孫呉等を研鑽する所あつた」と書いている。
一方、同書は本城安太郎について「明治九年十七歳の弱冠にて越智彦四郎の旨を承け、東京に上つて機密の任務に奔走したが、是れは越智等の一党が鹿児島私学校党に策応して事を挙げんとする準備行動であつたので、後ち計画が暴露するに及び捕へられて獄に下つた。この獄中生活は従来学問を軽んじて顧みなかつた彼に一転機を与へることゝなり、獄裡で同獄の古松簡二等の手引きにより真に血となり肉となる学問をしたのである」と書いている。
『大亜細亜』(大アジア研究会発行)第二号刊行
平成28年10月30日、『大亜細亜』(大アジア研究会発行)第二号が刊行された。
巻頭論説「トランプ大統領就任の意味と興亜の使命」は以下のように結んでいる。
〈…今後の国際社会は国益と謀略に翻弄される時代になると書いたが、それは謀略渦巻く世界観に甘んじるということではない。国益と謀略の時代もまた、パワーポリティクスに基づく西洋発の世界観に他ならないからだ。短期的にそういう時代の到来への備えを怠ってはならないが、同時に長期的に西洋発の近代的価値観を克服する遠大な理想を抱かねばならない。
かつて我が国の先人たちは、単なる国家の生存を超えた理想を胸に抱き、その実現に邁進してきた。その代表的存在である興亜論は、国家や民族の自生的秩序を重んじ、各その処を得る共存共栄の秩序を「八紘為宇」の理想に求めた。謀略渦巻く国際関係の中で、「自由、民主主義、人権」に代わる旗印を掲げることは、われわれに課せられた崇高な使命であると信じる〉
目 次
1面 トランプ大統領就任の意味と興亜の使命
2面 樽井藤吉―「和」の精神により『大東合邦論』を唱えた(坪内隆彦)
6面 アジア主義に生きた杉山家の伝承②(杉山満丸)
10面 「東洋経綸」の魁、平岡浩太郎(浦辺登)
12面 柳宗悦のアジア的価値観 (小野耕資)
14面 大アジア主義と 崎門学の関係(折本龍則)
16面 「筑紫都督府」と 大宰府の成立(山本直人)
18面 西洋近代思想への抵抗 (坪内隆彦)
19面 時論 外国人労働者問題 から見る目指すべき大道の覚醒 (小野耕資)
22面 史料・『東洋学館趣旨書』
23面 連載・大アジア医学の なかの日本②(坪内隆彦)
24面 アルテミオ・リカルテ 生誕百五十年記念祭開催報告