太宰府天満宮の境内には、和魂漢才碑が祀られている。菅公の精神学識を伝えるこの碑の建立に尽力したのが、勤皇の志士・栗原孫兵衛である。栗原のことを、日本経済大学経済学科専任講師の竹川克幸氏が平成29年3月10日の『産経新聞』で詳しく紹介している。
大宰府天満宮の門前町、大町旅館街にある旅館松屋(現在は「維新の庵・松屋」)主人だった栗原は、勤皇の志士たちへの支援を惜しまず、安政の大獄の際には勤皇僧・月照をかくまった。また、文久3(1863)年の八月十八日の政変で長州に逃れた七卿のうちの五卿が太宰府に移送されたときには、栗原が密会の場を提供した。
加藤司書や月形洗蔵ら筑前勤王党が弾圧された慶応元年の(1865)年の「乙丑の変」では栗原も連座している。慶応4(1868)年2月に赦免され、明治13(1880)年に死去。
「維新の庵・松屋」では、かつて志士も食べたという名物梅ヶ枝餅をいまも食べることができる。
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【書評】 『続平泉澄博士神道論抄』
日本の自立と再生には、日本人が自らの歴史と思想を取り戻すことが不可欠である。その際、GHQによって封印された國體思想を解き放つことが重要な課題だと思われる。
著者の平泉澄博士は、昭和45年に刊行した『少年日本史』の前書きで次のように書いている。
「正しい日本人となる為には、日本歴史の真実を知り、之を受けつがねばならぬ。然るに、不幸にして、戦敗れた後の我が国は、占領軍の干渉の為に、正しい歴史を教える事が許されなかった。占領は足掛け8年にして解除せられた。然し歴史の学問は、占領下に大きく曲げられたままに、今日に至っている」
実際、平泉の重要論文「闇斎先生と日本精神」を収めた同名の書籍(昭和七年)は、GHQによって没収された。本書には、この因縁の論文も収められている。
平泉隆房氏が「序」で的確な紹介をされている通り、本書は『平泉澄博士神道論抄』の続編として、平泉の著述の中から、主に神道論に関わる論文を集録したものである。「序論」には、「神道と国家との関係」を、「前篇 神道史上の人物論」には、菅原道真、明恵上人、北畠親房、山崎闇斎、遊佐木斎、谷秦山、佐久良東雄、真木和泉についての論文を収録している。闇斎を論じた論文が「闇斎先生と日本精神」であり、崎門の真髄を次のように描いている。
「君臣の大義を推し究めて時局を批判する事厳正に、しかもひとり之を認識明弁するに止まらず、身を以て之を験せんとし、従つて百難屈せず、先師倒れて後生之をつぎ、二百年に越え、幾百人に上り、前後唯一意、東西自ら一揆、王事につとめてやまざるもの、ひとり崎門に之を見る」(本書125頁)。 続きを読む 【書評】 『続平泉澄博士神道論抄』