「権藤成卿」カテゴリーアーカイブ

第8回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(9月25日)のお知らせ

以下の通り、第8回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催、オンライン)を開催します。参加希望者は事前にご連絡いただければ幸いです。

『権藤成卿の君民共治論』 権藤成卿

日 時 令和3年9月25日(土)午後7時
講 師 小野耕資(大アジア研究会代表)
テキスト 『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
申し込み mail@ishintokoua.com

第8回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(9月25日)のお知らせ

以下の通り、第8回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催、オンライン)を開催します。参加希望者は事前にご連絡いただければ幸いです。

『権藤成卿の君民共治論』 権藤成卿

日 時 令和3年9月25日(土)午後7時
講 師 小野耕資(大アジア研究会代表)
テキスト 『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
申し込み mail@ishintokoua.com

第7回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(8月6日)のお知らせ

以下の通り、第7回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催、オンライン)を開催します。参加希望者は事前にご連絡いただければ幸いです。

『権藤成卿の君民共治論』 権藤成卿

日 時 令和3年8月6日(金)午後7時30分
講 師 小野耕資(大アジア研究会代表)
テキスト 『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
申し込み mail@ishintokoua.com

第6回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(7月16日)のお知らせ

以下の通り、第6回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催、オンライン)を開催します。参加希望者は事前にご連絡いただければ幸いです。

『権藤成卿の君民共治論』 権藤成卿

日 時 令和3年7月16日(金)午後7時
講 師 小野耕資(大アジア研究会代表)
テキスト 『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
申し込み mail@ishintokoua.com

第5回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(6月11日)のお知らせ

以下の通り、第5回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催、オンライン)を開催します。参加希望者は事前にご連絡いただければ幸いです。

日 時 令和3年6月11日(金)午後7時
講 師 小野耕資(大アジア研究会代表)
テキスト 『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
申し込み mail@ishintokoua.com

大アジア研究会主催「権藤成卿『君民共治論』を読む」(令和3年3月11日)

下記の通り、「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催)を開催いたします。
なお、コロナ対応による人数調整の為、ご参加は事前予約制とさせて頂きます。オンラインでのご参加を希望される方も事前にご連絡ください。

日 時 令和3年3月11日(木)19:00~
場 所 浦安市当代島1-3-29-5F 折本事務所
テキスト 権藤成卿研究会編『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
サブテキスト 島崎藤村『夜明け前』(オンライン参加者にはデータをお送りします)

「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催)

下記の通り、「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催)を開催いたします。
なお、コロナ対応による人数調整の為、ご参加は事前予約制とさせて頂きます。オンラインでのご参加を希望される方も事前にご連絡ください。
権藤成卿研究会編『権藤成卿の君民共治論』(展転社)

日 時 令和3年2月5日(金)19:00~
場 所 浦安市当代島1-3-29-5F 折本事務所
テキスト 権藤成卿研究会編『権藤成卿の君民共治論』(展転社)

久留米尊攘派・池尻茂左衛門(葛覃)─篠原正一『久留米人物誌』より

 池尻茂左衛門(葛覃)は、高山彦九郎と親密な関係にあった樺島石梁に師事し、久留米尊攘派として真木和泉とともに国事に奔走した人物である。大楠公一族、真木一族同様、池尻も一族挙げて国事に奔走して斃れた。権藤成卿の思想系譜を考察する上で、父権藤直が池尻に師事していたことに注目しなければなない。
 以下、篠原正一氏の『久留米人物誌』を引く。
 〈米藩士井上三左衛門の次男として庄島に出生。母方の池尻氏が絶えたので、その跡を嗣ぎ池尻を姓とした。兄は儒者井上鴨脚。本名は始また冽ともいい、字は有終、通称は茂左衛門、号は紫海また葛覃、樺島石梁に学んだのち、江戸留学九年、先ず昌平黌に学び安井息軒・塩谷宕陰と交わり、転じて松崎慊堂の門に入った。天保九年十一月、藩校明善堂講釈方となり、嘉永ごろから池尻塾を開いて門弟を育てた。安政六年十二月、明善堂改築竣工の際は、特に命ぜられて「明善堂上梁文」を草した。
 早くより勤王攘夷の思想を抱き、特に攘夷心が強かった。天保十五年七月、和蘭軍艦「パレンバン」が入港し人心動揺すると、秘かに長崎に行き、その情勢を探り、事現われて譴責を受けた。これより真木保臣の同志として国事に奔走し、特に京に在っては公卿の間に出入し、三条・姉小路などの諸卿や長州藩主毛利敬親の知遇を受け、また朝廷と米藩との間の斡旋に力を尽くした。 続きを読む 久留米尊攘派・池尻茂左衛門(葛覃)─篠原正一『久留米人物誌』より