このように一々誓いを立てしめて後、秀吉は諸侯を饗応したのでありました。その時に秀吉は聚楽第行幸の御礼として帝室の御料を定め奉りました。
また天正十六年には内大臣平(織田)信雄以下諸侯をして勤皇を誓わしめました。そこで後陽成天皇は「松に寄する祝」という題にて和歌を詠し、これを秀吉に賜いました。
わきてけふ 待つかひあれや 松か枝の
世々契りを かけて見せつつ
ところが御駐輦(ごちゅうれん)三日目に雨が降り出しましたから、秀吉は特に意を用いて饗応し奉り、歌を詠して奉りました。
てらまでも 君が行幸を かけて思ひ
あめふりすさぶ にはの面かな
天皇これに御返しを賜わりました。
かきくらし 降りぬる雨も 心あれや
晴れて連なる くもの上びと
既にして車駕、将に宮に還り給わんとするや、秀吉歌を奉りて、臨幸を謝し奉りました。
御ゆき猶ほ 思ひしことの あまりあれば
かへるさ惜しき 雲のうへ人
天皇これにも御返しを賜わりました。
あかざりし 心をとむる 宿りゆゑ
猶かへるさの おしまるるかな
大いに御意に叶ったことを推測に難くないでしょう。また同時に正親町上皇も和歌を秀吉に賜いました。
よろづ代に また八百萬 かさねても
猶かぎりなき 時はこのとき
この御製の畏さに秀吉は感泣し、御返しを奉りました。
言の葉の 濱のまさごは 盡るとも
限りあらじな 君がよはひは
こうして駐輦五日にして将に宮に還られんとせられましたから、秀吉は和歌を奉って臨幸を謝し奉ったのであります。
時を得し 玉の光の あらはれて
みゆきぞ今日の もろびとのそで
上皇はこれに御返して賜わりました。
うづもれし 道もただしき 折にあひて
玉の光の 世にくもりなき
時に後陽成天皇もまた御返して賜わりました。
玉を猶 みがくにつけて 世にひろく
あふぐ光を うつすことの葉
このように秀吉は一意皇室の御為に力を尽くして、諸事を復興し奉ったのであります。その精忠想うべきであります。(写真は聚楽第に向かう後陽成天皇の鳳輦)