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『崎門学報』第十二号発行

崎門学報号十二号.表紙pdf『崎門学報』第十二号を発行致しました。ご高覧下さい。本号のラインナップは以下の通りです。

一面 保建大記現代語訳(折本龍則)

十面 崎門列伝⑪吉田東篁(坪内隆彦)

十一面 維新の源流を繙く①(山本直人)

十三面 山本七平『現人神の創作者たち』を通して崎門学を考える②(小野耕資)

十六面 『若林強斎先生大学講義』を拝読して③(三浦夏南)

十七面 崎門学派と「新葉和歌集」(坪内隆彦)

二十三面 時論:安倍首相は速やかに種子法を復活し、規制改革会議を廃止せよ!

二十四面 追悼、近藤啓吾先生(折本)

 

第十五回『保建大記』を読む会のお知らせ

『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成三十年五月六日(日曜日)午後二時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇四七(三五二)一〇〇七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)

種子法廃止緊急セミナー@浦安が開催される

平成三十年三月三十一日、浦安市内で「種子法廃止緊急セミナー」が開催された。講師の坪内隆彦氏(月刊日本編集長)が、安倍政権が行った種子法廃止の問題点について講演を行った。講演の要旨は以下の通り。

本日三月三十一日を以て「種子法」の効力が消える。「お種子法」とは、各都道府県が米をはじめとした作物のタネについて、責任を以て開発、維持管理するというものだ。この法律が廃止されたことにより、都道府県が予算、人員等を割く法的根拠が消失した。これは安倍政権のグローバル企業優遇、大企業優遇の農業政策の氷山の一角であり、漁業なども併せてグローバル企業優遇、大企業優遇が規制改革、成長戦略の名を以て行われている。

都道府県が米をはじめとした作物のタネについて、責任を以て開発、維持管理することに対して、農水省は十年前、民間の参入を妨げる者ではないという見解を出していた。ところが今回はそれを翻し、規制廃止に同調した形となる。現在、三百種米の品種のタネが保存管理されているが、今後は民間企業の効率化、市場の論理により品種が少なくなることが想定される。そうなると気候変動や害虫の増加などの異常事態に対応できなくなる。

また、種子法廃止後実際にタネの育成を民間が担うわけだが、「民間」とは実質的に世界最大の種子企業モンサントである(わが国では住友化学モンサントのパートナーとなっている)。モンサントベトナム戦争の際に枯葉剤を開発したことでも知られる「世界最悪の企業」「モンサタン」とも呼ばれる企業である。種子法廃止の背景には、同社が進める遺伝子組み換え食品事業、ゲノム編集事業を推進する魂胆が伺える。遺伝子組み換えやゲノム編集は本当に安全なのか、まだ科学的結論が出ていない。また、そもそも同社が遺伝子組み換えを進める動機の一つに、同社が開発する強力な除草剤をセット販売することがあり、そうした(発がん性を持つ)除草剤の残留による影響などを考えても大いに「食の安全」に悪影響を及ぼすと考えられる。

安倍政権は内閣人事局で官僚幹部人事に官邸の意向を介入させ、自らの政策に都合の悪い官僚を左遷させ、グローバル資本に便宜を図り続けてきた。現在の農水次官は「農水省はいらない(経産省の一部でよい)」と放言する人物である。国際的な流れとしては、協同組合や家族農業の再評価が進んでいたり、欧州を中心として有機農業へのシフトが進んでいる中、わが国の政策はこうした国際的な流れにも反している。農業は単純に植物を栽培することによる産業というだけでなく、文化や景観の維持、治水など様々な機能を持っている。こうした働きを忘れてはならない。

正直に言って情勢はかなり厳しい段階にあるが、今後反転攻勢に出る手段として、食糧安全保障法を作る、種子条例を各都道府県で作る、種子法廃止違憲訴訟、住民の反対運動などが行われており、そうした動きを進めていく必要がある。その後、質疑応答が行われ、活発な議論、意見交換が行われた。

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政府自民党の「加憲」論に反対する理由

目下、政府自民党が推し進める「加憲」論に対し、以下の三つの理由で反対する。

第一に、首相は、自衛隊の存在を明記しない現行憲法が、自衛隊の存在と活動を不安定にしているというが、国民の九割は自衛隊の存在と活動を支持している。朝日新聞の調査では、六割の憲法学者自衛隊違憲ないしはその疑いがあると答えたそうであるが、最高裁統治行為論で、自衛隊の合憲性に対する憲法判断は下さないのであるから、憲法学者の意見など所詮どうでもよい。このように、「主権者」たる国民の圧倒的大多数による確固たる支持基盤が存し、最高裁憲法判断を下さない以上、自衛隊の存在は既成事実として確立されており、いまさらその存在を憲法に明記する実益などない。

第二に、仮に「加憲」によって自衛隊の存在を明記したとしても、憲法を純粋に解釈すれば違憲性の疑いは依然払拭されない。というのも、九条二項は、我が国の戦力の不保持、交戦権の否定を規定しているのであるから、「加憲」によって自衛隊の存在自体は認められたとしても、今度は「自衛隊の有する「実力」は、憲法の禁止する「戦力」に該当するから違憲だ」という意見が容易に想定されるからである。結局違憲論争は止まないのである。

第三に、自衛隊員には気の毒であるが、首相の指揮下にある現在の自衛隊は、どこまでいっても「警察予備隊」の延長に過ぎず、畏くも天皇陛下を大元帥に戴く「皇軍」ではない。つまり自衛隊には建軍の大義がないのである。そのような組織の存在を憲法に明記したところで、何等問題の本質的解決にはならない。段階論にもならない。

以上の理由により、政府自民党による「加憲」論に反対する。

第十四回『保建大記』を読む会のお知らせ

『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成三十年四月一日(日曜日)午後二時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇四七(三五二)一〇〇七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)

種子法廃止に沈黙する連中は保守でも何でもない

我が国のメディアは、種子法廃止についてほとんど報道していない。森友問題など大概にしてこちらの問題を取り上げるべきだ。たしかに森友は問題であるが、我が国が抱える他の本質的な問題に比べたら大した問題ではない。その本質問題の最たるものが、安倍内閣による種子法廃止である。というのも、種子は、農業の根幹であり、農業は国家独立の根幹であるのだから、種子法の廃止は、我が国農業の根幹を脅かし、ひいては我が国の存立をも左右しかねない重大な危険をはらんでいるからである。それはただ単に、グローバル種子会社、モンサントによる遺伝子組み換え種子の流入を通じて、我が国の食料安全保障を脅かすのみならず、「瑞穂の国」たる我が国の国体を危うからしめるものである。

天照大御神天孫瓊瓊杵尊の降臨に際して授けられた三代神勅の一つに、「斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅」というのがある。すなわち、「我が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)を以ちて、また、まさに我が御子に御(しら)せまつるべし。」というものであり、高天原にある稲穂を授けて、これで葦原中つ国たる我が国を栄えさせよと命じ給うたものであるが、いまも今上陛下はこの神勅を守り給い、毎年の新嘗祭では、皇居の神田で獲れた新米を天照大神に捧げられている。つまりそれほどに、我が国の国体にとって稲作は密接不可分であり、そのために稲穂の固有性を守ることは国家の重大責務ということだ。まさか、新嘗祭天照大神モンサントの新米を奉納するわけにはいくまい。そんなことをすれば五穀豊穣どころか神罰が下ろう。

不可解千万なのは、日ごろ国体護持を主張する保守派の諸君が、この我が国体を破壊する種子法廃止を拱手傍観し、不気味な沈黙を保っていることだ。その結果、種子法廃止反対の運動は、左翼の専売特許にされ、どっちが保守なのかわからない倒錯した状況を現出している。しかし、本来、保守派こそ種子法廃止に真っ向から反対すべきなのだ。保守の名の下に、「斎庭の稲穂」をグローバル資本に売り渡す売国勢力に対して、いまこそ真の保守の側から反旗を翻さねばならない。

いまの日本に必要なのは、安倍首相を叱る真の保守だ

森友問題の再燃で安倍政権が危機的な局面を迎えているが、あらゆる安倍批判をすべて左翼の陰謀と思い込んで排撃し、安倍内閣の延命自体を目的化した妄信的安倍信者にも、公文書改ざんの発覚で鬼の首を取ったように狂喜乱舞し、倒閣自体を目的化した腐れリベラルのどちらにも与すべきでない。たしかにいまの政局で安倍首相以外に誰がいるかと言われれば、「日本独立党」と言う以外に適当な答えが見当たらない。しかし現実問題そんなことを言っても戯言にしかならない。残念ながら、安倍首相の「保守」は「エセ保守」であるが、自民党の他の総裁候補は「保守」の看板すら掲げていない、論外だ。立憲民主党は、新自由主義反対など、部分的には賛成できる点もあるが、そもそも尊皇心の欠片もない連中であるから、共産党と同じく国家の敵、論外である。つまり誰もいない。ということは安倍首相しかいないということを残念ながら認めざるを得ないのである。しかしそれは、安倍首相を甘やかしてもいいという理由にはならないのであって、安倍首相しかいないからこそ、しっかりしてもらわねばならない、ということなのである。

 

明治の時代、頭山満という凄い人間がいた。頭山は無位無官、在野の浪人の立場でありながら、日露開戦を躊躇する伊藤博文の家に上がり込んで、不意に「伊藤さん、日本で一番偉い人はだれですか」と問を発し、困惑する伊藤に対して、「それは畏くも天皇陛下におわしますでしょう。」と言い、「ではその次に偉い人間は誰か、それはあなたでしょう。そのあなたが、この際しっかりして下さらんと困りまずぞ!」といって凄みをきかせたので、伊藤は度肝を抜かれて返す言葉もなかったという。頭山が率いた玄洋社からは、屈辱的な条約改正案を阻止するため、外務卿大隈重信に爆弾を投げて自決した来島恒喜など、皇国のために身を殉じた多くの志士が輩出した。いまの日本に必要なのは、頭山であり、来島であり、玄洋社の様な、政府を叱る真の保守だ。

第十三回『保建大記』を読む会のお知らせ

『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成三十年三月四日(日曜日)午後二時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)

『崎門学報』第十一号発行

崎門学報号十一号表紙『崎門学報』第十一号を発行致しました。ご高覧下さい。

本号の目次は以下の通りです。

一面、『保建大記』を読む(折本龍則)

六面、崎門列伝 ⑩合原窓南(坪内隆彦)

八面、山本七平『現人神の創作者たち』を通して崎門学を考える(小野耕資)

十一面、『若林強斎先生大学講義』を拝読して(三浦夏南)

十三面、君民一体の祈願こそが、我が国の永遠を守る(坪内隆彦)

十七面、時論:売国経済論ー真の独立経済への道(折本龍則)

シリーズ『元気が出る尊皇百話』その(二十七)豊臣秀吉

豊臣秀吉尾張国の人で、天文五(一五三七)年に農家の子として生を享けました。この一農家の子が風雲に乗じて一世の権栄を極めたというのは、全くその天稟の才知と幸運とによったものであります。今、その伝記はこれを略しまして、少しく勤皇事情を述べれば、彼は天正十五年島津氏を九州に討ちて降伏せしめ、京師に凱旋するや、正親町天皇には特に使いを遣わして慰労し給いました。翌年正月秀吉はその恩を謝し、聚楽第に臨御あらんことを奏請しました。その時正親町天皇は位を譲り給い上皇となられておりましたが、後陽成天皇と共にこれを嘉納し給い、四月十四日聚楽第行幸し給いました。そこで秀吉は文武百官を率いて扈従しまいらせ、特に盛服して御座の右に侍り、尽く天下の大名を召して御前に列せしめ、皆に誓わせて曰く、

1、 皇恩を奉戴して力を皇事に尽し、敢えて怠ることなけん
2、 皇家の邑は敢えて侵すことなけん
3、 関白の令する所は事大小となく敢えて奉ぜざることなけん

このように一々誓いを立てしめて後、秀吉は諸侯を饗応したのでありました。その時に秀吉は聚楽第行幸の御礼として帝室の御料を定め奉りました。
また天正十六年には内大臣平(織田)信雄以下諸侯をして勤皇を誓わしめました。そこで後陽成天皇は「松に寄する祝」という題にて和歌を詠し、これを秀吉に賜いました。

わきてけふ 待つかひあれや 松か枝の
世々契りを かけて見せつつ

ところが御駐輦(ごちゅうれん)三日目に雨が降り出しましたから、秀吉は特に意を用いて饗応し奉り、歌を詠して奉りました。

てらまでも 君が行幸を かけて思ひ
あめふりすさぶ にはの面かな

天皇これに御返しを賜わりました。

かきくらし 降りぬる雨も 心あれや
晴れて連なる くもの上びと

既にして車駕、将に宮に還り給わんとするや、秀吉歌を奉りて、臨幸を謝し奉りました。

御ゆき猶ほ 思ひしことの あまりあれば
かへるさ惜しき 雲のうへ人

天皇これにも御返しを賜わりました。

あかざりし 心をとむる 宿りゆゑ
猶かへるさの おしまるるかな

大いに御意に叶ったことを推測に難くないでしょう。また同時に正親町上皇も和歌を秀吉に賜いました。

よろづ代に また八百萬 かさねても
猶かぎりなき 時はこのとき

この御製の畏さに秀吉は感泣し、御返しを奉りました。

言の葉の 濱のまさごは 盡るとも
限りあらじな 君がよはひは

こうして駐輦五日にして将に宮に還られんとせられましたから、秀吉は和歌を奉って臨幸を謝し奉ったのであります。

時を得し 玉の光の あらはれて
みゆきぞ今日の もろびとのそで

上皇はこれに御返して賜わりました。

うづもれし 道もただしき 折にあひて
玉の光の 世にくもりなき

時に後陽成天皇もまた御返して賜わりました。

玉を猶 みがくにつけて 世にひろく
あふぐ光を うつすことの葉

このように秀吉は一意皇室の御為に力を尽くして、諸事を復興し奉ったのであります。その精忠想うべきであります。(写真は聚楽第に向かう後陽成天皇の鳳輦)

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