金正男暗殺で、北朝鮮の残虐性が改めて浮き彫りになったが、拉致問題を抱える我が国は他人事ではない。安倍晋三氏はかねてから拉致問題と深く関わって来ただけに、国民の多くが安倍内閣の発足による拉致問題の進展を期待したが、残念ながら、これまで一歩も先に進んではいない。政府はやる気があるのか。
北朝鮮は、全ての拉致被害者の再調査を約した2014年のストックホルム合意を一方的に破棄し、核・ミサイル開発に邁進している。これに対して、我が国政府は独自の経済制裁を課しているが、全く効果がないことは、最早誰の目にも明らかだ。ただ、北朝鮮に軍事制裁を課したり、内部体制の崩壊に乗じて北朝鮮に自衛隊の特殊部隊を送り、拉致被害者を強制奪還するシナリオも現実的ではない。
しかし、少なくとも我が国の主権の範囲内で、北朝鮮による対日工作の拠点である朝鮮総連を違法化して資産を没収し、関係者を国外追放し、在日朝鮮人によるパチンコ特権を廃止する等の対抗措置を講じることは可能である。それすらもしないなら、安倍首相は拉致問題を政治利用したと言われても仕方ない。
我が国が取り組むべき第一義的課題は、目先の経済政策ではなく、人倫の根本である「三綱五倫」の道義を回復することである。三綱とは、君臣・父子・夫婦の道義であり、これに長幼と朋友の道義を付け加えたのが五倫である。具体的に君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信の五つである。君臣の義は君に対する忠、父子の親は子の親に対する孝を意味するが、「忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず」というように、ときとして君臣父子の忠孝は相反することがある。しかし畏くも天皇を戴く我が国の国体は忠孝一致、これに夫婦を加えた三綱の道義も我が国の国体においては三位一体を成している。
すなわち、夫婦は男女の交りによって子を生み、父子の関係の基となる。そして父子はまた世代を超えた生命の継承によって祖先崇拝の観念を生み出す。さらに、祖先崇拝は、我が国民の共通の始祖である天照大神とその直系の御子孫にあらせられる天皇への尊崇の観念を生み出すのである。このように、君臣父子夫婦の道義における三位一体こそ、我が国体の精華であり、国家が守るべき第一義的価値である。
しかるに、戦後我が国は、アメリカ由来の個人主義ならぬ利己主義的な価値観によって、この三綱の道義を破壊されてしまったのであり、この道義的頽廃こそ、国力衰退の根本原因である。以下にそのことを論じる。
近年、「子供の貧困」が問題視され、全国に子供食堂などが出来つつあるが、例えばコンビニだけでも業界一位のセブンイレブンの売上が約4兆円、二位のローソンが約2兆円、三位のファミリーマートが1兆7000億円で、計約8兆円あり、廃棄率が大体売上の3%だとすると、2400億円に上る。さらに我が国のこども人口(15歳未満)は1600万人なので、一人あたり15000円の計算になる。この莫大な廃棄を捨てるのではなく、行政が独自の安全基準を定めて安値で買取り、貧困家庭に無償で配給するだけでも、我が国の貧困問題は飛躍的に改善するのではないか。これを聞いて、「腹が痛くなったらどうする」とか言ってる内は、問題はそこまでシリアスではないという事だ。生活保護をパチンコに使われるよりは、民間の余剰資源を活用し「現物支給」にした方が不正受給は防げるのではないか。
我が国は有史来未曾有の少子高齢化が進み、慢性的な財政赤字に直面する一方で、家計の金融資産は1700兆円を超え、その内半分以上が現預金とされる。また企業の内部留保も378兆円に上る。そこで、大方の議論は、この莫大な国民資産を如何に活用し、保育所や介護施設を充実させるかという方向に向かっているが、そもそも保育や介護は行政ではなく家族の仕事であるという、当然の前提が見失われている。子は親が保育すべきであり、親は子が介護するのが基本だ。
保育所や介護施設の増設は、かえって親の育児放棄と子の介護放棄を助長し、家族共同体の解体を招きかねない。家計の現預金が約1000兆円あるといっても、その大半は高齢者に偏在している。だったら老後の介護は子供に任せて、自分の財産は子や孫に譲るべきではないか。また企業の内部留保が378兆円もあるなら、企業は正社員の雇用割合と賃金を増やして、共働きの負担を軽減すべきである。負担を行政に丸投げして、女や老人を労働市場に駆り立てれば、家族共同体はより脆弱化し、かえって国家の長期的発展は損なわれる。
朝鮮半島の政治的安定は、我が国の安全保障に直結する重要課題である。朝鮮が大陸の覇権国(つまりは将来の中国)に侵略支配されれば、次は我が国が標的となり、本土が戦場になる。だから我が国が朝鮮に対して求めるものは、民主的な政治体制でも、親日政策でもなく、一重に如何なる大陸国家の侵略をも受けない独立した政府とその政治的な安定である。
金正男が暗殺されたが、正男は金正日の死後、事実上中国政府の庇護下にあり、中国が北朝鮮に改革開放を促すパイプ役を期待されていた。また、2013年に暗殺された張成沢は正男に資金援助し、彼を担いだクーデターを企図していたとも言われる。よって今回の正男暗殺は、金正恩が中国の内政干渉を排除し、その権力基盤を確立するためには同族粛清をも厭わないという、断固たる意思表示としても受け取れる。無論、西側メディアは、正恩体制の非道さを必死で喧伝するに違いないが、事大主義と宗族利己主義による汚職が蔓延し、民主政治が機能不全に陥っている韓国と比較すれば、少なくとも政治的独立と安定の点では、我が国の国益と合致している。
ついに自民党は、御譲位を一代限りの特例法で実現する方針を正式決定した。ただし譲位の制度化を求める民進党に配慮し、皇室典範と特例法が一体の法律である規定を設けるという。自民党は、譲位の制度化について、客観的な要件を定めるのが困難とし、仮にそれを陛下の御意思とする場合、天皇は「国政に関する権能を有しない」とある憲法第四条に違反するとしている。しかし、憲法を根拠にするなら、特例法での譲位も、「皇位の継承は皇室典範で定める」とある憲法第二条違反である。安保法制では簡単に憲法解釈を変更出来た安倍首相が、こと御譲位に関しては憲法を楯にとるのは卑怯であり不忠である。そもそも、現行憲法において天皇が政治的権能を有さないのであれば、天皇の譲位は政治的行為にはならないのではないか。
ついに難民申請者が一万人を超えた。インドネシアやネパールからなぜ難民申請に来る必要があるのか意味が分からない。内戦や専政下にある国ならともかく、殆どが就労目的の偽装難民だろう。法務省は事実を認識しながら、彼らに一律で就労許可を与え、問題の拡大を放置している。正当事由なき偽装難民に対しては、国外退去や強制送還等、断固たる措置を取るべきだ。
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僧道鏡の後、不臣の行いをしたのは平将門です。将門は鎮守府将軍良将(よしまさ)の子で摂政藤原忠平に仕え、検非違使(けびいし)の官になろうと思っておりましたが、忠平はこれを顧みませんでしたので、将門は大いに怨み、常陸下総の間で謀反を起こしました。将門は常陸の叔父、国香を殺し、下総の叔父、良兼を攻め、各地で金品を略奪した挙句、たまたま八幡の使者が「朕まさに位を蔭子、将門に譲らんとする」との大神の教えをもたらしたのを聞いて喜び、自ら親王を称して偽りの宮を下総に置きました。
そのとき藤原純友なる者が将門の反乱に応じて伊予(愛媛)で反乱を起こしたため、朝廷は大混乱を来し、藤原忠文(ただふみ)を征東大将軍に任命してその討伐に向かわせました。
これより先、平国香の子貞盛(さだもり)は、父の仇に報いようと常陸に下りましたが、将門との戦いに苦戦を強いられておりました。ときに、下野の藤原秀郷(ひでさと)は、つとに勇名を馳せておりましたが、貞盛の味方に参じ、将門の軍勢が手薄になったのを貞盛と共に急襲して、ついに将門を殺しました。この軍功を以て、後に貞盛と秀郷は共に高位に叙せられ、鎮守府将軍を拝命しております。
本日二月十一日は、紀元節である。この紀元節は、初代神武天皇が、御東征の後、奈良の橿原宮で即位建都遊ばされた日であり、戦前は四大節(四方節、紀元節、天長節、明治節)の一つとして国を挙げた奉祝行事が営まれたが、戦後はGHQによって廃止された。その後、「建国記念の日」として復活したが、国民の大半は、その由来を知らないでいる。
平成二十二年の参院選のときの公約集「自民党政策集Jファイル2010」で、自民党は「政府主催で、二月十一日の建国記念の日、そして二月二十二日を『竹島の日』、四月二十八日を『主権回復の日』として祝う式典を開催します」と公約していたが、『主権回復の日』は開催された一方で、「建国記念の日」の式典は未だ開催されていない。安倍首相に対しては、速やかに公約を実行し、政府主催の奉祝式典を開催するよう、強く要請する。
東京都議会が、石原慎太郎元知事を参考人招致するらしい。石原都政は豊洲市場の汚染問題など負の遺産もあるが、一方で尖閣諸島の購入計画や、横田ラプコンの一部返還など、賞賛に値する功績も忘れてはならない。功罪半ばするのは政治家の常であるが、彼にとって惜しむらくは、保守愛国をかたりながら、我が国の指導者にとって最も肝心である、尊皇心が欠如していたことであろう。残念ながら、石原慎太郎は、愛国の仮面を被った共和主義者である。それは、かつて三島由紀夫との対談における次の一節を読むだけでも瞭然である。どんな功績があっても尊皇心がなければ意味がない。まさに「画竜点睛を欠く」というやつである。
(石原)何を頑張るんですか?三種の神器ですか?
(三島)ええ、三種の神器です。僕は天皇というものをパーソナリティを作ってしまったのが、一番いけないと思うんです。戦後の人間天皇制が一番いかんと思うのは、みなが天皇をパーソナルな存在にしてしまった。
(石原)そうです。昔みたいにちっとも神秘的ではないもの。
(三島)天皇というものはパーソナルじゃないんです。(中略)今週も美智子妃殿下がおこしになる。と、騒がれている。そのような、天皇制にしてしまった。パーソナルなものにするということで、天皇制に対する反逆ですよ。逆臣だと思う。
(石原)僕もまったくそう思う。
(三島)それで天皇制の本質が誤られてしまった。だから石原さんみたいな、たいへん無垢であるけれども、天皇制反対論者をつくちゃった。
(石原)僕は、反対じゃない。幻滅したの。
(三島)幻滅論者というのは、つまりパーソナルにしちゃったから幻滅したんですよ。
(石原)でも僕は天皇を最後に守るべきものと思ってないんでね。
(三島)思ってなきゃ、しょうがない。今に、目が覚めるだろう。
対談の全文は『江藤淳全集』で読める。
道義国家日本を再建する言論誌(崎門学研究会・大アジア研究会合同編集)