『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成二十九年八月六日(日曜日)午後二時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)
北朝鮮は核・ミサイルの開発を断行し、中国は海洋進出を推し進める一方で、アメリカは口では強気な事を言って両国を牽制するが、実際にはもはや東アジアの勢力均衡を維持する意思も能力もない。よっていまこそ我が国が、自立せねばならないが、こうした状況下でも自主独立の気運が盛り上がって来ないのは、我が国民に、国体の尊厳への自覚がないからである。すなわち、万世一系の天皇を主君に戴く我が国体は、主権在民の民主主義とは全く原理が異なる。この固有の国体への自覚がないから、いまだに「日米同盟」を信奉し、「民主的な価値を共有するアメリカに守ってもらえばいいじゃないか」となる。結果、在日米軍はいつまで経っても我が国から出て行かず、我が国は内政外交の両面で対米従属を深めているのである。しかし、上述の通り、我が国はアメリカと「民主的な価値」など共有していない、まったく異質の国家なのであるから、我々は、世界無比の国体の本義に立ち返り、真の自主独立を立ち取らねばならない。この国体の本義への回帰こそ「レストレーション」としての維新であり、我が国は神武建国以来、この維新を断行することによって幾多の国難を乗り越えて来た。それは、大化の改新然り、建武新政、そして明治維新然りである。では国体の本義への回帰とはどういうことか。それは、尊皇攘夷の旗幟を闡明し、「君臣」と「内外」の名分を正すことに他ならない。即ち、明治維新で言えば、六百年以上に亘る武家の専制を打破し、朝廷に政権を返上する大政奉還と王政復古を断行すると共に、富国強兵によって実力を蓄え、幕府が列強と結んだ安政の不平等条約の改正を国是として、独立国としての地位を確立することに他ならなかった。同様に、現在の我が国が国体の本義に立ち返り、真の独立を遂げる為には、まず国民主権の憲法を廃して、大政奉還、王政復古を断行して君臣の名分を正さねばならない。そして、内外の別を明らかにする為に、核武装を断行して国家の軍事的独立を確保し、昭和の不平等条約である、日米地位協定、日米安保を廃止して夷狄の軍隊である在日米軍を我が国の領土から駆逐せねばならない。
王政復古とは天皇親政のことである。天皇親政こそ我が国の本然たる姿である。世の通念では、天皇親政は「変態」であり、むしろ、現在に於けるような「大政委任」こそ「常態」だと思われているが、逆である。天皇親政こそ「常態」であるし、神武建国以来、我が国が「大政委任」の下で、内外の国難を乗り越えた試しはない。もっとも平時に於いては「大政委任」でも成り立つかもしれないが、少なくとも国家の非常時に於いては天皇親政でなければ立ち行かない。特に今後、我が国の自主独立の為に、核武装や日米安保の廃止などを断行する上で、この様な国家の根幹に関わる意思決定が国民主権や民主主義で出来る訳がない。大聖断を仰がずしてどうして前に進めようか。「陛下に責任を押し付けるのか、貴様不敬だ」と言う者もあるが、だったらこのまま民主主義で時間を空費し、座して死を待つのか、そっちの方が余程無責任であり皇祖皇宗に対し奉り不敬である。時局はそこまで逼迫しているのである。
稲田防衛大臣が辞任したが、引き金になった「報告書問題」は、我が国の安全保障論議のレベルの低さを如実に物語っている。要は、南スーダンの戦況が悪化し、後方支援に徹すべき自衛隊が戦闘に巻き込まれそうになった事実の記録を防衛省が「隠蔽」したという事であるが、NGOのボランティアじゃあるまいし、そもそも完全武装した自衛隊を内戦国に送り込んでおいて、戦闘リスクゼロの地帯でしか活動させないことの意味が分からない。戦闘させたくないなら、送らなければ良いではないか。アメリカに言われたから仕方なく送ったが、九条があるから戦闘地域には送れない、という賎民根性の塊みたいな発想こそが問題の根源である。稲田大臣には、その辺の問題提起をして欲しかったが、話にならなかった。むしろ、今回の「報告書」の存在が、防衛省幹部からのリークによって発覚したことの方が、問題ではないのか。たかがこれしきの問題で大臣や幕僚長が簡単に辞任するということ自体が、いわゆる「シビリアン・コントロール」さらには民主主義そのものの弊害を表している。
無責任な「シビリアン・コントロール」など止めて、統帥権を朝廷に返上すべきだ。
北朝鮮が着々と核・ミサイル開発を推し進め、強国への道を突き進んでいる一方で、我が国では、くだらん「日報問題」で防衛大臣と幕僚長が辞任し、肝心の安全保障論議は、安倍内閣の下で一歩も前進していない。メディアは、馬鹿のひとつ覚えのように「シビリアン・コントロール」と言うが、今回の一件は、むしろ「シビリアン・コントロール」の弊害を露呈するものである。我が国の既成メディアは、所詮は営利会社で自社の利益が第一であるから、視聴率さえ取れれば、自国の安全保障などどうでもいいと思っている無責任な連中だ。そのメディアの宣伝に踊らされた国民は、たかが「日報問題」ごときで喚き立て、そもそものPKOの是非や日米関係の問題の本質には目を向けようともせず、完全なる思考停止、事なかれ主義、醜い足の引っ張り合いに興じている。「シビリアン・コントロール」を云々する前に、「シビル」のレベルが低すぎるのである。先の投稿で、政権を朝廷に返上すべきだと書いたが、統帥権も朝廷にお返しすべきだ。統帥権は、本来、天皇大権である。低レベルな「シビル」の方を向いて安全保障を議論していれば、無責任なメディアは儲かるかもしれないが、肝心の国が滅びる。
田母神俊雄氏の新著『日本の敵』(KKベストセラーズ)を読んだ。周知の様に、著者は、平成二十六年に出馬した東京都知事選挙に絡む業務上横領と公職選挙法違反の容疑で逮捕された。業務上横領では、政治資金を私的に流用し、また公選法違反では、選挙運動員への金銭授与を指示した疑いがかけられたが、今年平成二十九年五月の初審判決では前者については無罪、後者については執行猶予付有罪判決が言い渡されている。著者に悪意はなく、法律違反を犯した事実はないと信じているし、昨年五月の参院選への出馬を控えたタイミングでの突然の逮捕に、何か検察による政治的な思惑の臭いを感じざるをえないが、それでもチャンネル桜の水島聡社長の様な「偽装保守」を安易に信用し、水島社長が紹介した人物を選対事務局長、会計責任者に据えて、政治資金を一任してしまったこと、金銭授与に関する著者の指示はなかったとはいえ、そもそも金銭授与が法律違反であることを知らず、選対事務局長から金を配る許可を求められた時に明確な否定をしなかったこと、等に対する落ち度は拭えない。
とはいえ、著者は日本にとって必要な人物であることは間違いがない。それは、著者が我が国の保守運動のなかでも数少ない「真正保守」の人物だからである。世の保守論壇の大勢は、中国や韓国北朝鮮を敵視し、「日米同盟」に頼って我が国の安全を維持しようという親米論であるが、著者はそもそもアメリカへの従属政策が我が国の独立を阻害し、中曽根内閣ではF2戦闘機の自主開発がアメリカの要求で共同開発にされ、小泉内閣では、アメリカの「年次改革要望書」基づく構造改革によって我が国の社会が根本から破壊された事実を述べ、北朝鮮の脅威をいたずらに宣伝するのは、日本に高額なミサイル防衛システムを売り付ける為のアメリカの策略であることを明確に見抜いている。無論、中国や韓国、北朝鮮は我が国の主権を脅威する「敵」であり、著者もその事を述べているが、だからといって自主防衛を放棄し、アメリカの軍門に下って国防を一任しては本末顛倒である。その意味で、著者の根底を成す考えは、日本以外の国は全て仮想敵であるという独立国の指導者として本来当然の安全保障観なのであり、それこそが我が国世論の大勢を占める親米反中保守と親中反米リベラルの何れとも一線を画する著者の真面目であり、「真正保守」たる所以である。著者は本著のなかで、現在の安倍内閣に対する直接的な批判は避けているが、従来の対米従属を強化し、小泉・竹中の構造改革路線を踏襲する現内閣は、チャンネル桜の水島社長と同類の「偽装保守」である。
『崎門学報』第十号を発行致しましたのでご高覧下さい。
三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(2015、飛鳥新社)を読んでいて、怒りが込み上げてきた。安倍首相は、政権奪還をかけた2012年12月の総選挙を前に、『文藝春秋』で次の様に述べている。
「日本という国は古来から朝早く起きて、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈って来、『瑞穂の国』であります。自助自立を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の皆でこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
私は瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい資本主義があるだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかしウォール街から世界を席巻した、強欲資本を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります。
安倍家のルーツは長門市、かつての油谷町です。そこには、棚田があります。日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、多くの漁り火が映り、それは息を飲むほど美しい。
棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかも知れません。しかし、この美しい棚田があってこそ、私の故郷なのです。そして、その田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のありかたを考えていきたいと思います。」
・・・
いまとなっては、もはやブラックジョークにしか聞こえないが、この似非「保守声明」に続けて、三橋氏は次のように述べる。「しかし現実の安倍政権は、瑞穂の国どころか、ウォール街に象徴される一部の投資家、企業家の利益ばかりを追求する「改革」を推進している。派遣労働者の拡大、外国人労働者の受け入れ、社会保障支出の削減、混合診療の解禁、発送電分離、TPP、地域間格差を認める地域創生策、そして農協改革。一体全体、どこが「瑞穂の国」の資本主義なのか。全ての政策が、外国人を含む一部の投資家や企業家といった富裕層を富ませ、国内において「国民の所得格差」「地域間格差」「企業間格差」と三つの格差を拡大していくばかりである。2012年に安倍総理大臣が表明した「瑞穂の国」の資本主義は、要するにウソだったことになる。」と。
先のモンサント法案成立といい、郵政民営化の推進といい、第二次以降の安倍内閣は、竹中平蔵等、外資の走狗と共謀し、我が国独立の基盤をなす農業や地方社会を根底から破壊する「改革」を推し進めている。
http://7net.omni7.jp/detail/1106579621
平成二十九年七月二日、浦安で崎門研第六回保建大記の勉強会を開催した。当日は折本代表をはじめ有志五人が参集した。前回に引き続き栗山潜鋒「保建大記」を理解するため、谷秦山の「保建大記打聞」(テキストは杉崎仁編注『保建大記打聞編注』を使用)を読み進めた。今回は、同書五十五ページから六十五ページまで輪読した。前回までで序論が終わっているので、今回から前回までの内容をより詳しく論じる形となる。
内容としては、まず崇徳上皇側と後白河天皇側の小競り合いがあったことに触れて、潜鋒の議論は尊皇の在り様に移る。わが国はシナとは違いどちらも天日嗣による争いであるが、その場合臣下としてどちらをお支えすればよいのであろうか。それは三種の神器を擁する天皇方であるという。後鳥羽天皇や南北朝の際の北朝の天皇など、三種の神器を擁しない帝には問題があるという。特にそれをお諌めしなかった当時の摂関家をはじめとした群臣は罪が重いとしている。また、本日の輪読個所では谷秦山による難解ではあるが詳細な神器論が展開されている。
なお、今回も終了後懇親会を行った。次回は八月六日同じく浦安で開催の予定。
『保建大記』は、崎門の栗山潜鋒(一六七一~一七〇六)が元禄二年(一六八九年)に著した書であり、『打聞』は、同じく崎門の谷秦山が『保建大記』を注釈した講義の筆録です。崎門学では、この『保建大記』を北畠親房の『神皇正統記』と並ぶ必読文献に位置づけております。そこでこの度弊会では本書(『保建大記』)の読書会を開催致します。詳細は次の通りです。
○日時 平成二十九年七月二日(日曜日)午後二時開始
○場所 弊会事務所(〒二七九の〇〇〇一千葉県浦安市当代島一の三の二九アイエムビル五階)
○連絡先 〇九〇(一八四七)一六二七
○使用するテキスト 『保建大記打聞編注』(杉崎仁編注、平成二一年、勉誠出版)
安倍首相は、経済優先と言っているが、アベノミクスの成果とは何だろうか。よく言われるのは、民主党時代よりも株価は二倍になり、失業率が低下して有効求人倍率が上昇し、上場企業の収益が過去最高になった事などであろうが、株価が上がったのは、日銀が「異次元の金融緩和」で金融市場に金をばら撒き、GPIFが株を買いまくっているのだから当たり前の事であるし、失業率が下がっているのも、そもそも少子化によって生産年齢人口が減り、女性の労働参加や非正規雇用が増えているのであるから当たり前である。また上場企業の過去最高収益は、上場企業の増加や法人減税、海外子会社からの収益が要因とされるが、大企業が幾ら儲かっても、労働分配率はむしろ下がっており、労働者の実質賃金はほとんど上がっていない。我が国の株式市場は、既に外国人持株比率が三割を超えているため、株高は一部の外資や投資家に莫大なキャピタル・ゲインや配当をもたらす一方で、企業の利益は労働者に還元されず、長期的な設備投資は伸び悩んでいる。
本来、安倍首相の経済政策における最優先課題は、「デフレからの脱却」であったはずであるが、日銀による「異次元の金融緩和」は、実体経済に対して無力であることが露呈した。デフレから真に脱却するには、家計消費と設備投資を促さねばならないが、上述した様に実質賃金は上がらず、設備投資は低迷している。その原因は、我が国の大企業が潤沢な内部留保を抱えているにもかかわらず、外資を始めとする株主の利益が優先され、賃金や設備投資に金が回らないからだ。
さらに家計消費と設備投資に加えて、政府は財政支出を増やすことで、総需要を拡大する必要があるが、周知の様に、安倍首相は郵政民営化や農協の解体を推し進めることで、我が国の金融市場を外資に明け渡し、政府の国債発行による資金調達を困難にしている。
つまり、アベノミクスは、岩盤規制の撤廃と称して、我が国の国民資産を外資に売り渡し、本来の目的であったデフレからの脱却のための基盤を根本から掘り起こしているのである。
兒島高徳(こじまたかのり)は、備前の人で、幼い頃より読書を好み、それによって大いに尊皇の大義を弁え、一日兵を集めて勤皇の旗を挙げました。時に後醍醐天皇は笠置山に御在し、高徳に錦旗を賜いました。
ところが幾ばくもなく、笠置山は陥り、天皇は賊のために隠岐に流され給うこととなりました。これを聞きて高徳は憤慨し、志士の起つべきはこの時なりと、車駕を隠岐に行く途中で奪わんと企て、舟坂山に上り、車駕の通過するのを待っておりました。そして、車駕が山陰道に向かうのを確認するや、高徳は賤しい服を着て抜け道を通り、車駕の後を追いかけました。遂に隠岐に入り、行在所の庭に忍び込み、桜の木を切って、これに次の二句を書き付けて去りました。
天莫空勾践(天、勾践を空しくする莫れ)
時非無范蠡(時に范蠡、無きにしも非ず)
これはシナの故事を引き、越王勾践(こうせん)が范蠡(はんれい)の力を借りてその国を回復したように、天皇にも今に味方して車駕を迎え出る范蠡があるとの意を示したものであります。衛士はこれを見てもその意を知らず、天皇に申し上げたところ、天皇これを御覧じて心ひそかに喜び給うたのであります。
かくして後、天皇舟坂に在わす時、高徳はその父と共に一族を率いてこれに詣で、千種忠顯に属して六波羅を攻めましたが、忠顯の卑怯なるために戦い敗れました。その後も賊と各所にて戦い、勤皇の志士として奮戦しました。
足利高氏が反逆するや、高徳は義兵を募りて千余人を得て、これを近郊に分かち置きて、高氏を狙撃せしめんと企てました。ところが高氏これを察し、兵を遣わして兵の隠れたる壬生を攻めましたから、高徳は信濃に奔り、髪を剃り、志純と号しました。
時に天皇、男山に還り、京師を復さんと謀り給うや、高徳は勅を奉じて東北に赴き、諸国に諭して行在の急なることを告げました。そこで各将軍ら兵を発して救わんとしましたが、その軍達せぬ先に男山は陥落してしまったのです。
かくして後、高徳の行方は分からぬこととなりましたから、世の人の中には、かかる人物(高徳のこと)は存在せずと説く学者もありますが、それは余りにも速断であります。しかし一方で、世に有名なる『太平記』の書は兒島法師の作とも言われ、即ち高徳が法体になってよりの著述であろうという説もあります。これは学問が深く、勤皇の志士であった兒島高徳であれば、無きにしもあらずではないでしょうか。
道義国家日本を再建する言論誌(崎門学研究会・大アジア研究会合同編集)