『維新と興亜』第9号
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《目 次》
★【座談会】『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウヨ保守雑誌の読者に問う!(山崎行太郎×金子宗德×本誌編集部)
★【特別対談】米中台のグローバリストに挟撃される日本(稲村公望×深田萌絵)
【新連載】天皇を戴く国 「天皇を戴く日本」を見抜いた三人のフランス人(西村眞悟)
アフガンの次は日本が見捨てられる?(ペマ・ギャルポ)
【巻頭言】岸田総理よ、「国民経済」の視点を取り戻せ(坪内隆彦)
【時論】眞子内親王殿下の御成婚が示す教訓(折本龍則)
【時論】グローバリストが農業を破壊する(小野耕資)
★【特集】渋沢栄一も学んだ、日本を救う思想・水戸学
何故、水戸学は「水戸学」と呼ばれるのか(山崎行太郎)
水戸学の「国体論」を継承した吉田松陰と真木和泉(折本龍則)
経済弱者に優しい水戸学─構造改革論は尊皇愛国思想に非ず(小野耕資)
等閑視されてきた橋本欣五郎の政治思想(林 雄毅)
歴史の舞台・福岡県公会堂─孫文を助けた玄洋社と宮崎滔天(浦辺 登)
令和版「高次的高天原」を展開せよ(杉本延博)
林房雄先生の思い出(玉川博己)
神祇政策の混乱と神道人の覚醒(稲 貴夫)
「大家族連帯制度」を実行する、独自の素晴らしい「モデル都市」(川瀬善業)
「草とる民」の記⑤ みくに奉仕団と勤労奉仕(小野寺崇良)
人麻呂恋物語 下(玉川可奈子)
國體護持のための真正護憲論(新無効論)④(南出喜久治)
エビデンスは直接人を癒してはくれない(福山耕治)
田中角榮とロッキード事件②(田口 仁)
【蔵書紹介】「未完の尾張学」
【書評】江崎道朗『緒方竹虎と日本のインテリジェンス』
『維新と興亜』は、下記の通り「出口王仁三郎生誕150年記念セミナー」を開催いたします。
記
■日 時 令和3年11月27日(土) 15時~17時
■会 場 東京都台東区東上野3-14-12 302号室
■報 告 「蘇れ!アジアの巨人・王仁三郎」(坪内隆彦)
「皇道経済の先駆者・王仁三郎」(小野耕資)
■主 催 『維新と興亜』
参加申し込み mail@ishintokoua.com
「日本再建」懸賞論文(一般財団法人昭和維新顕彰財団×『維新と興亜』)
第1回(令和3年)テーマ
もう一度維新を興すために、いま訴えたいこと
一般財団法人昭和維新顕彰財団は、「日本再建」を担う若手論客の発掘と育成のために、ここに新たな懸賞論文を創設いたしました。
いまなお、水戸学の評判は良くない。数年前にも水戸学を悪しざまに罵る文章に出くわした。
〈長州テロリストたちがテロリズムを正当化する論拠とした「水戸学」とは、実は「学」というような代物ではなかった。空疎な観念論を積み重ね、それに反する「生身の人間の史実」を否定し、己の気分を高揚させて自己満足に浸るためだけの〝檄文〟程度のものと考えて差し支えない〉(原田伊織『明治維新という過ち』)。
明治維新の原動力となり、戦前には持てはやされた水戸学がここまで否定されるようになった理由は単純だ。GHQが水戸学に危険思想の烙印を押したからだ。例えば、GHQは占領期に塚本勝義『藤田幽谷の思想』、松原晃『藤田幽谷の人物と思想』などの水戸学に関する書籍を没収した。こうしたGHQの意向に沿って、戦後の学界で水戸学は否定的にとらえられてきた。
では、なぜ我々はいま水戸学に学ぼうとするのか。自立自存の精神を忘却し、グローバリズムの荒波の中で道義なき拝金主義に流され続ける日本を救う思想的な価値が、そこにあると信ずるからだ。水戸学は、國體つまり「日本の日本たる所以」を明らかにした。そして、民を愛しむ天皇統治を理想とし、経世済民論を唱えた先駆的学問だ。しかも、水戸学は机上の空論ではなく、実践と実行を伴った学問である。水戸学を信奉した幕末の志士たちは、自らの命を擲って国事に奔走し、ついに時代を動かしたのだ。
渋沢栄一もまた水戸学を信奉していた。若き日の渋沢は、水戸学の國體思想を体現しようとする尊攘の志士だった。そして、最晩年に渋沢が書いた『論語講義』では、代表的な水戸学者・会沢正志斎の『新論』を彷彿とさせる堂々たる國體論が展開されている。渋沢は終生水戸学を信奉し続けていたからこそ、常に大御心を拝し、聖恩に報いる覚悟で、身を挺して社会事業に取り組み、国家と公益を優先する産業人として人生を全うし得たのではないか(詳しくは拙著『水戸学で固めた男・渋沢栄一』望楠書房)。
本誌同人はいま、正志斎の『新論』を年内に復刻すべく勉強会を続けている。
我々は水戸学の真価を堂々と説き続ける。 (坪内隆彦)
何故、水戸学は「水戸学」と呼ばれるのか(山崎行太郎)
水戸学の「国体論」を継承した吉田松陰と真木和泉(折本龍則)
経済弱者に優しい水戸学─構造改革論は尊皇愛国思想に非ず(小野耕資)
■米中結託の「G2」構想
── バイデン政権の対中政策の行方を考える上で、米中の橋渡し役を演じているグローバリストの動向に注目する必要があります。本日は、米中が結託して世界覇権を二分割しようという「G2」構想に警鐘を鳴らしてきた稲村さんと、グローバリストと連携して動いている浙江財閥に注目してきた深田さんに対談していただきます。稲村さんは、米中間で暗躍する人達を「国際拝金主義勢力」と呼んで警戒してきました。
稲村 奇跡的な戦後復興を遂げたわが国は、一九八〇年代までは国際社会の主要プレーヤーとして認められていました。ところが、一九九〇年代になると「日本の代わりに中国を国際社会の主要プレーヤーとして位置づける」という発想が、アメリカの政策決定者の一部に芽生え始めたのです。
そうした「G2」論的な考え方は、一九九五年の大阪APEC(アジア太平洋経済協力)の頃には日本に伝えられていたように思います。環太平洋構想を唱えるなど国際社会で影響力を持っていた大来佐武郎氏は一九九三年二月に急逝しましたが、大来氏は「G2」構想の代表的論者と知られるフレッド・バーグステンと電話で話をしている最中に意識を失い、その後亡くなりました。私は、大来氏がバーグステンから「今後、アジアの代表選手は日本ではなく中国だ」と告げられてショックを受け、憤死されたと考えています。
バーグステンは二〇〇五年に、「中国は日本を抜いて間もなく米国に次ぐ世界第二位の経済大国になる。両国は二つの経済大国であり、二つの貿易大国である」と語っていました。
この時期、国務副長官を務めていたロバート・ゼーリックも、中国を「責任あるステーク・ホルダー(利害共有者)」と位置づけようとしました。二〇〇七年に世界銀行総裁に就いたゼーリックは、「世界の経済問題の解決には米中両国の先導的な協力こそが不可欠であり、強力なG2なしにはG20も失望に終わるだろう」と主張するに至ります。この年から夏季ダボス会議がスタートし、天津と大連で交互に開催されることになりました。
ダボス会議は、スイスの経済学者クラウス・シュワブが一九七一年に設立した世界経済フォーラム(WEF)が毎年スイスのダボスで開催している年次総会です。ダボス会議を仕切るグローバリスト、「国際拝金主義勢力」が、自分たちに都合のいいように各国の政権を操ろうとする意図が透けて見えます。
中国の台頭に伴い、日米欧三極委員会も変化していきました。二〇〇九年四月に開催された「三極委員会」東京会合には、インドの参加者とともに、中国社会科学院教授の張蘊嶺氏が参加しています。これに伴い日米欧三極委員会の名称から「日米欧」が外れ、単に三極委員会と呼ばれるようになったのです。
一方、欧米白人中心のビルダーバーグ会議にも、中国人が参加するようになっています。二〇一一年にスイス・サンモリッツで開催された会議に、当時外務次官だった傅瑩が参加していたのです。一九五四年に発足したビルダーバーグ会議は、毎年一回、欧米の有力政治家、外交官、財界人、マスコミ幹部らが集まり、世界のあり方について議論する秘密会合とされています。G2推進派のゼーリックも、二〇〇九年にギリシャで開催されたビルダーバーグ会議に参加していたようです。 続きを読む 稲村公望×深田萌絵「特別対談 米中台のグローバリストに挟撃される日本(『維新と興亜』第9号) →
『Hanada』、『WiLL』、『正論』などの「保守雑誌」は、中国や韓国、左派や野党に対しては、非常に鋭いパンチを繰り出している。読者はそれを喝采し、溜飲を下げているのかもしれない。しかし、これらの保守雑誌には重大な欠陥が潜んでいるのだ。彼らは、ひたすら自民党や政権を礼賛し、国家の主権や独立よりもアメリカへの追従、迎合を重視し、売国的な経済政策を主導し、日本社会を破壊してきた竹中平蔵氏らの新自由主義者を恥じらいもなく重用しているからだ。こうした言論が「保守論壇」の主流を占めている限り、わが国は本来の姿を取り戻せない。
では、保守雑誌のあるべき姿とは何か。『保守論壇亡国論』などで保守思想家を撫で斬ってきた山崎行太郎さんと、「国体」を基軸とする独自の編集方針を貫く『国体文化』(日本国体学会機関誌)の編集長を務める金子宗德さんと本誌編集部メンバーが保守雑誌の問題点について徹底的に議論した。
■「結論」を横取りし自説のごとく振り回す「パクリ野郎」
── 『WiLL』などの保守雑誌は野党を激しく叩いていますが、政権には阿るばかりです。まるで自民党の御用雑誌のような様相を呈しています。
金子 これらの雑誌は、九月に行われた自民党総裁選では「高市待望論」を展開し、その前は菅政権擁護、そしてその前は安倍政権擁護の主張を載せてきました。
特に第二次安倍政権以降は、政権を礼賛するためのプロパガンダ雑誌のようになっています。安倍氏が政権を退いた直後に刊行された昨年十一月号では、『Hanada』が「総力大特集 永久保存版 ありがとう安倍晋三総理」、『WiLL』が「総力特集 身命を賭した 続きを読む 山崎行太郎×金子宗德×本誌編集部「座談会 『Hanada』『WiLL』『正論』 ネトウヨ保守雑誌の読者に問う!」(『維新と興亜』第9号) →
『維新と興亜』第8号特集「右翼テロの標的!? 国民=大御宝を苦しめる経団連」の紹介動画をアップしました。
「財閥富を誇れども 社稷を念う心なし」
蜷川正大「民族派は国家の危機を察知する〝触覚〟」
針谷大輔「右派はなぜ財界の横暴に無関心なのか─麗しき山河を守れ」
本誌は、竹中平蔵氏に代表されるグローバリストたちを糾弾してきた。彼らがアメリカの要望に応える形で、規制改革を推進した結果、格差の拡大や共同体の破壊が進んだからだ。しかも、空港や水道などが特定の企業に「私物化」されつつある。まさに売国的行為だ。
では、竹中氏らの新自由主義路線は、誰の意向で進められているのか。それは、日本の大企業の意向にほかならない。その元締めこそ経団連だ。いまや日本の有力企業の多くが外資系となっているので、経団連はグローバル企業の元締めでもある。
日本の賃金水準の低下を招いたのは経団連の責任であり、法人税減税と消費税増税を主張し、我が国の税制を歪めてきたのも経団連だ。しかも、彼らは国家戦略特区諮問会議や成長戦略会議などの諮問会議と歩調を合わせ、「規制改革」の先頭に立ってきた。彼らは次々と提言を発表し、環太平洋経済連携協定(TPP)推進、外国人労働者の受け入れ拡大、「農業改革」など、一連の改革を進めてきた。
こうした経団連の横暴が罷り通ってきた理由の一つは、保守派、右派が経団連を批判しなくなっているからだ。いまや、「保守」を名乗る月刊誌が、新自由主義を礼賛する国家戦略特区ワーキンググループ民間議員に、主張の場を提供するような有様だ。
振り返れば、我が国では資本主義導入以来、國體の立場から資本主義の弊害を批判する言論が存在してきた。やがて、営利至上主義の財閥に対する国民の激しい憤りを背景に直接行動が展開された。
大正十(一九二一)年九月には安田財閥の首領・安田善次郎が朝日平吾に刺殺され、昭和七(一九三二)年三月には三井財閥の総帥・團琢磨が血盟団の菱沼五郎によって射殺されている。五・一五事件で蹶起した三上卓が作った「青年日本の歌」には、「財閥富を誇れども 社稷を念う心なし」とある。財閥を狙った右翼の直接行動は、いずれも愛国思想に基づいていたのだ。
ところが戦後、GHQの占領政策によって我が国の愛国思想は封じ込められ、東西冷戦勃発後、右翼は反共・親米に誘導された。やがて、「資本主義擁護、グローバリズム擁護が右派のとるべき立場だ」という考え方が広がったいった。しかし、経団連事件に象徴されるように、戦後体制打破を掲げ、営利至上主義の財界に牙を剥いた先人たちは存在したのだ。彼らこそ、昭和維新の精神を引き継いだ本来の民族派だったのではないか。
経団連新会長に就いた十倉雅和氏は、「新自由主義や市場原理主義に基づく行き過ぎた効率追求や規模拡大が、格差の拡大や再生産、気候変動、生態系の破壊を招いている」と語ったという。ならば、経団連はこれまでの新自由主義路線を直ちに転換すべきだ。
経団連が社稷を思う心を取り戻さなければ、やがて「経団連を討て」という国民の声が高まるに違いない。
以下の通り、第8回「権藤成卿『君民共治論』を読む」(大アジア研究会主催、オンライン)を開催します。参加希望者は事前にご連絡いただければ幸いです。
記
日 時 令和3年9月25日(土)午後7時
講 師 小野耕資(大アジア研究会代表)
テキスト 『権藤成卿の君民共治論』(展転社)
申し込み mail@ishintokoua.com
『維新と興亜』第8号に掲載した「渋沢栄一の『第二維新』─大御心を拝して」(坪内隆彦)の一部を紹介します。
〈渋沢栄一が九十一年の生涯を閉じたのは、昭和維新運動が台頭しつつあった昭和六(一九三一)年十一月のことである。一見すると彼の人生は昭和維新運動とは無関係に見えるが、彼は終生「明治維新の貫徹」「第二の維新」を願っていたのではあるまいか。彼は水戸学で培った國體思想、尊皇思想を堅持し、常に日本の本来あるべき姿を思い描いていたからだ。
本誌第五号「渋沢栄一を支えた水戸学と楠公精神」で述べた通り、若き日の渋沢はペリー来航以降の激動の中で尊皇攘夷思想に目覚め、水戸学を崇拝し、藤田東湖の『常陸帯』や『回天詩史』を愛読した。渋沢の國體思想が終生変わらなかったことは、晩年に著した『論語講義』にも明確に示されている。渋沢が幾多の企業設立、育成に取り組んだのも、大御心を拝して、国家の生存と国民生活の安定に寄与するためだった。
本稿では、渋沢が教育勅語や戊申詔書などの詔勅といかに向き合ったかを紹介したい。そこからは、大御心に応え奉り、国民精神の発揚を願う渋沢の姿が浮かび上がってくる。……渋沢は、明治三十五(一九〇二)年に埼玉県出身学生を助けるため埼玉学生誘掖会を設立した。「誘掖」とは、導き助けるという意味である。彼は、寄宿舎を運営したり、奨学金を貸与したりすることによって、学生たちを助けようとしたのである。明治三十八年には七カ条の寄宿舎「要義」が定められたが、その最初に掲げられたのが、「教育勅語ノ聖旨ヲ奉体シ、至誠以テ君国ニ報ユヘシ」である。「要義」発表式では渋沢が「要義」を朗読した上で、次のように述べている。
〈抑も教育勅語たる、日本臣民の常に肝銘して忘る可からざるものなり。謹んで其の聖旨のあるところを惟るに始めに於て国家の根本たる可き教育の淵源を示し、更に人倫五常の有るところを説き、国民の義務を明にせられたるものにして、時の古今、国の東西を問はず堂々不磨の大律なり。諸子は日常善く此の旨を体して修学の羅針盤とす可きなり〉
『維新と興亜』第8号に掲載した「明治維新と神社神道 神社と神道をめぐる今日的な課題を探る」(稲 貴夫)の一部を紹介します。
〈現代日本人の神社に対する具体的な印象や理解の仕方は如何なるものでせうか。神社は、日本固有の信仰である神道に基づく祭祀の場ですが、神社本庁の包括下だけでも全国に約七万八千五百社(法人数)の神社があります。さらに神社毎に由緒も規模も異なるため、個々人の神社との関はり方によつて区々であると思はれます。これまでに複数回行はれてゐる神社に関する意識調査などでも、地域や年代によつて様々な傾向がみられることが報告されてゐます。
このやうな神社に対する認識は、神職の場合でもあまり変はらないところがあります。神社とは何かといふ、神社の本質に関する理解でも、神職の経歴や奉仕神社の性格によつて異なつてくるのです。事実、教派神道とは異なり神社神道には教義経典が無いことから、神社が宗教であるか否かをめぐつて、関係者の間で論争になつたりすることもあります。実はこの論争は今に始まつたことではなく、近代の歴史の中で、現代とは比較にならないほど真剣に議論されてきたテーマです。それは、近代日本の出発点である明治維新を経た新たな国家体制のもとでの神社政策が発端であり、その壮絶な終焉とも言へる大東亜戦争の敗戦による占領政策によつて、法制度上は強制的に決着がつけられた問題でした。
果たして、その中で神社の置かれた環境がどのやうに変化し、現代の神社にどのやうな変化を及ぼしてきたのか。変はつたものと変はらないものを見極めることで、神社の本質に近づくことができるかもしれません。またそのことが、価値観が多様化するだけでなく、科学技術や産業社会の発展とともに多くの問題が明らかとなつてきた今日の文明社会の中で、今後の神社のあり方、社会との関係を考へる大きなヒントを与へてくれるかも知れません。
それではまづ、近代史の中での神社の置かれた環境変化について、その概略を見ていくことにします。〉
道義国家日本を再建する言論誌(崎門学研究会・大アジア研究会合同編集)